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読むだけ歴史 古代国家、古墳時代

 前回、弥生時代までやりました。ということで、今回は古代国家の成立から古墳時代までを勉強します。まず、昔の日本は中国の書物にしか記録がない。ということで、中国の書物を勉強する。まず1つ目は、「漢書」地理志です。この書物は、「倭には、100余り国があり、楽浪郡を通じて漢に使いを送る国もあった」と書いてあります。ちなみに、楽浪郡というのは、今の中国の東側にある小さな国のことです。当時は、港として機能してました。2つ目は、「後漢書」東夷伝です。この書物には、「倭の奴国の王が後漢に使いを送り、光武帝から金印を授けられた」光武帝というのは、後漢の王であり、もらった金印には、「漢委奴国王」と刻まれており、江戸時代に福岡の志賀島で発見されました。3つ目の、書物は「魏志」倭人伝です。この書物は、「邪馬台国の女王卑弥呼が30あまりの国を従え、魏に朝貢した」さらに、卑弥呼は「親魏倭王」の称号と金印銅鏡100枚を授けられました。ちなみに、邪馬台国はどこにあるのかわからず、近畿説と九州説があります。次は、古墳時代です。古墳時代は、3世紀から7世紀まで続いた、古墳がたくさん作られた時代のことです。古墳時代では、大和政権という大きな政権が存在しました。大和政権は、有力な豪族による連合政権のことで、首長は大王です。そして、九州から東北地方南部までの地域を従える者による2つの鉄剣が出ました。埼玉の稲荷山古墳と熊本から江田船山古墳から出ました。その鉄剣には「ワカタケル大王」と書いており、雄略天皇の説が有力です。そして、古墳時代の文化である、古墳文化です。古墳というのは、大規模な、前方後円墳が各地に作られました。代表例は大阪にある大山古墳です。表面には、ふき石が敷き詰められ、埴輪が置かれていた。そのような、古墳が当時作られました。ちなみに、日本には四角や丸い形の古墳があります。このように、稲作が伝わったことにより、人々に立場がうまれ、それにより大きな政権が生まれた。そして、その権力の戒めとして、人々は古墳を作った。

1, 倭には100余りの国があると記した中国の書物を何というか?
2, 「後漢書」東夷伝にはなんと記してあるか?
3, 邪馬台国という国がある。と記した中国の書物を何というか?さらに、邪馬台国の女王は何というか?
4, 倭の奴国が授かった金印にはなんと書いてあったか?さらに、どこで発見されたか?
5, 古墳時代に政権を持った有力な豪族による連合政権を何というか?
6, 鉄剣が出土した古墳を2つ答えよ。
7, 前方後円墳の形をした大阪にある古墳を何というか?
8, 古墳の表面には人形が置かれた。人形を何というか?
9, 「6の答え」で出てきた鉄剣には誰の名前が記してあったか?
10, 「漢書」地理志にはどこの国を通じて、漢に使いを送ったか?

答え
1,「漢書」地理志
2,倭の奴国の王が後漢に使いを送り、光武帝から金印を授かった。
3,「魏志」倭人伝 卑弥呼
4,「漢委奴国王」 志賀島
5,大和政権
6,稲荷山古墳 江田船山古墳
7,大仙古墳
8,埴輪
9,ワカタケル大王
10,楽浪郡

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