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「ダルマを守るものは、ダルマに守られる。」 業協同組合 業 協平(ごう・きょうへい) --歓喜人004--
業協同組合とは、カルマの法則に従って、街を巡回する組合だ。
組合員の業協平(ごう・きょうへい)は、組合員として働いていた父の姿を受け継ぎ、大学卒業後に組合へ加入。住民がきちんとダルマに沿った行いをしているかどうか、日々巡回している。
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「ダルマに沿った行いをしている人には徳が与えられ、ダルマに反するアダルマな行いをしている人には不徳が与えられる。ダルマを守るものは、ダルマに守られる。という真実を伝え、住民が穏やかに生きていけるために活動しています。」組合のおかげで、住民は皆お互いを信頼し、なんとこの町にはもう50年以上も警察組織が存在していないのだ。
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業共同組合の活動は多忙だ。「1日の巡回は最低10回。まず朝起きたらそれぞれの持ち場を巡回。いったん朝食を摂りに自宅へ戻り、そのあと再び巡回です。午前中は大体持ち場を3周します。午後も同様ですね。ダルマに沿っていない住民を発見したら、その住民のお宅へ訪問し、カルマやダルマの法則について指導しています。時々町の人間教習所へ行って講師を務めることもありますね。」
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ちなみに上記が業(ごう)の1日のスケジュールだ。睡眠以外巡回。あまりにも現実味がないので、本人に尋ねると「はい、確かに少し盛ったと言われればそうかもしれません。実際は休憩や食事も取っていますが、でも気持ちの中では一日中巡回なので。」とのことだ。
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また、時々住民から怒られることがあるという。「はい、確かに住民から、またお前か!何回目だよ!って怒られることがあるんです。でも巡回数だけは誰にも負けたくなくて。ちなみに私の父は1日に28回巡回した記録を持っています。計算するとあり得ないんですけど、いつか超えたいですね。」と胸に秘めた思いを吐露し、今日8回目の巡回へ向かった。
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【カルマ・業(ごう)karmaḥ 】
カルマ(karma)は、行いを意味する言葉だ。行いは、選択から始まる。「するか、しないか、別の方法をするか」という自由意志を使った選択から始まる。
自由意志を使った選択が、ダルマ(調和・秩序)に沿った行いであればプンニャ(徳)がたまり、ダルマに反する行いであればパーパ(不調和)がたまる。プンニャがたまることにより、快適な結果がベストなタイミングで実り、パーパがたまることにより、不快な結果が実るとされる。
行いは結果を生み出す原因となる。結果があるということは原因があり、原因があるということは必ず結果に繋がる。
行いは、思考・言葉・行動の三つのレベルで行われ、どれも結果に必ず繋がる。ダルマを選ぶ行いは、人間にとってすべき行いだ。アヒムサー(非暴力・不殺生)や、貢献、祈り、思いやり、清浄などが、ダルマな行いで、「すべきことをして、すべきでないことはしない。」というのが人間としての強さとされる。
ダルマを選び、行いをするためには、人間としての成熟がなければ選ぶことができない。嫉妬、妄想、傲慢、不安、不満などにより、ダルマを選ぶことよりも、私利私欲を選んでしまう。アルタ・カーマ(安全・安心)を得るためにアダルマ(不調和)を選んでしまうことは、人間としての成熟途中や心の弱さや無知によるものだ。
カルマは意志を使った行いで、怒りや悲しみなどは反射なので、避けることができず、カルマではない。怒りからの行動は、自由意志を使ったカルマになるので、行動を選ぶことができる。怒りが起きた後に、その場から離れるか、物に当たるか、反抗して攻撃するか、など選ぶことはできる。ヨーガの練習は感情に自分の主導権を奪われないようにする実践だ。
成熟したヨーギーはダルマを選ぶことが幸せになり、自然にダルマを選んだ行いをすることができる。ダルマを自然に選べるように、自分を統括して自分自身のマネージャーになることがヨーガの練習だ。
撮影協力:有限会社 佐渡山農産
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