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只見町に住む理由をつくる政策を(一般質問)

今回の6月会議の一般質問は「只見町に住む理由をつくる政策を」にしました。YOUTUBEのリンクを張りながら、提言したいことを補足しながら記載しようと思います。

小水力発電できねえかなあ!(福島県の調査事業)がきっかけ

福島県では、再生可能エネルギーの推進を掲げています。

この推進ビジョンの中に「2040年頃を目途に、県内のエネルギー需要量の100%以上に相当する量のエネルギーを再生可能エネルギーで生み出すことを目標として定め、産学官金の連携による着実な取組を進めてきた(略)」とあります。それが令和4年の小水力の調査事業に繋がっています。

只見町での小水力発電の可能性

調査報告書を抜粋します。一番可能性あるやり方(国補助+固定資産税なし)

地点:叶津川(砂防ダムの辺、国道289号で只見町の入口にあたる)
基数:2基
出力:394kw
発電電力量(kwh/年):2,619,816kwh
建設費総額:5億700万円
建設単価(円/kw):128万円
20年間の累計収支:3億3千万円(YOUTUBEでは33億円と発言していますが誤り。申し訳ありません)
損益分岐:単年度から黒字
すごいこと:この小水力発電で只見町の40%の世帯の電力を賄うことができる可能性がある(1,526世帯x4,175kwh=6,371,050kwh)

YOUTUBEはここから見て(29:13)

前半は報告書の内容の確認や細かい話などです。ここからは政策立案についての議論になります。


只見町第七次振興計画の理念に基づいた政策を推進することが前提。その政策の中で只見町に優位性があり独自性があるものに注力を。(その方が打率が高くなる)例えば、

小水力発電と薪エネルギーで実現する電気代が無料の町

は、すごく夢があるキャッチコピー。これは東京では実現できない只見町だからこそ目指せる明るい未来。

人口減少について言及すると、人が集まるところは可能性がある場所。人が増える減るは単なる結果(そこに着目しても意味がない。人口推移は未来に向けた指針にすべき→予測できない世の中だが、人口は予測できる→変数ではなく定数として扱う)人口を増やそうとする政策は順番が逆。

可能性がある、自己実現ができる、只見町に住む理由をつくる政策を推進する。その結果、人が増える、働く人が増える、問題だと思える事案が勝手に解決していくこともある。
現場の問題を現場で解決するのではなく、現場の情報を基に高所から状況を分析する。それから戦略をつくる。それが適切な政策立案ではないかと考える。

いつも暗い話ばかりをする私が(小水力発電は)明るいニュースだと感じた。しかし只見町役場は、同じ報告書を見ているにも関わらず、可能性が一番低い、検討に値しないケースを答弁書に記載してある。こういう答弁書がくるとツライ(泣)。

一個人の話ではなく只見町役場の視点、空気、文化がは明るい未来を見ようとしているのか疑問である。これは理念に基づいた政策になるのか、明るい未来をどのくらい膨らませることができるのか、後世に財産と残せるのではないか、そういう視点が足りないのではないかという苦言である。(偉そうですみません)

渡部町長の政策立案のクセは、戦術(打ち手)から展開されることが多い。それはわかりやすさを重視するからだろうと感じているが、戦略から展開する方が私は理解できる。それは「なぜこの事業をしなければならないのか」「誰にどういう価値を提供したいのか」がないままに(例えば)「福祉公社」というワードが出ても理解できない(腹落ちしない)。

今回の私の質問は「小水力発電をやろう!」とは言っていない。(本当はガンガンやろうぜ)小水力発電は戦術(打ち手)で、戦略ではない。戦術から話をすると「そんなことはやる必要がない」「いや是非やるべきだ」と意見が分かれる。

只見町に住む理由をつくる政策をつくろう(戦略)

から展開すると誰も反対する人はいない。現状の分析を比較しながら戦略の精度を高める。その上で無数にある戦術(打ち手)の中で成果が出そうな、例えば「小水力発電をやろう!」になる。戦術に関しては現場の方が一番情報を持っているので、議場で時間をとって議論する内容ではないと私は考える。(議場は戦略を議論する場)

話を変えるが先日、若い方と話す機会があった。そこで「なんで只見町に住んでいるんですか?」「なんで議員をやっているんですか?」と質問があった。その答えに「只見町は自己実現できる町だからです」と答えた。

都会になくて只見町にあるのは「場所」です。例えば私が東京で議員をやりたいと思っても、そんな場所はありません。私ぐらいの能力でも誰かに必要とされる場所を只見町ではつくれます。自分のやりたいことと、社会に求められることを合わせることができる町なんです。東京で研鑽を積むのも大切ですが、自分でなにかやりたいと思った時には、こういう地方といわれる町であれば、可能性が高い場所です。と伝えた。

税金と時間と労力を使う時には、町民に向けるのが本筋。
2階建ての1階が、「町民の毎日の安心・安全な暮らし」
2階建ての2階が、「観光で訪れた方々へのおもてなし」
で政策を立案すべきだと考える。


(町長答弁)
論語の一節に「近悦遠来」という言葉がある。近くの人(住んでいる人)が、悦ぶ(楽しむ)。その上で遠くから来る人をお招きする、おもてなしする。
更に言うとおもてなすのではなく、心遣いをする。一方的な主従関係ではなく、自分たちが楽しんでいることをお裾分けする。そういう観光をしていく必要がある。住民の方が一番、大切にしていくという考えは同感である。その考えが様々な分野に広がっていけば、明るくて気持ちの良い、優しいまちづくりになると信じている。


らしくないことは、やらない

冒頭に、二期目の議員になったのだから、「新人議員の手本となる一般質問」「言葉を丁寧に扱う」と発言しましたが、全然でした。苦手。

言葉の正確性を追い求めても、結局それは揚げ足取りにしかならないと、やってみてわかりました。相手に求めると結局は自分に返ってきて、「3億3千万円」のところ「33億円」、「町民」で止めておけば良いのになぜか「住民税を払っている人」と言ってみたりと致命的なミスを連発。反省。

役場と議会は二元代表制という対立しやすい構造ですが、善政を競う間柄です。議論する相手への敬意が、信頼関係を築く。と改めて感じました。
相手の意図していることは何かを理解し、補完し合える間柄」がより良い議論の土台になります(心理的安全が担保されている状況)。
渡部町長は、今回の私の失言を追求するのではなく、補完して答弁してくれました。感謝。新人議員の方は、今回の私の一般質問を反面教師として学んでいただけると幸いです。