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百人一首で伸ばす読解力講座第6回:「かささぎの」(中納言家持)

今回は「万葉集」の編さんに深く関わったとされる大伴家持(おおとものやかもち)の歌です。

かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける

 【現代語訳】(天の川にかかるという)かささぎが羽で渡した橋に、降り置いた霜が真っ白になっているのを見ると、夜が本当に更けてしまったのだなあ。

「かささぎの橋」というのは、七夕の夜、天の川を渡る織姫のために鵲(かささぎ)という鳥が羽を連ねて橋を作り、織姫を渡らせたという中国の伝説を踏まえています。もうこの時点で「恋」の香りがしますね!

さてこの歌ですが、季節は「霜」が詠まれていますので冬です。そうすると、「かささぎの橋」は秋の七夕にかかるのですから季節が合いません。

実はこれは本当に天の川にかかる橋を見ていたわけではなく、宮中(御所)の御殿と御殿をつなぐ橋や階段のことを「かささぎの橋」と言っていたようなんです。それを作者は夜中に見ているということは、宿直か何かで宮中に詰めていたときに階段に霜が降りている様子を詠んだということなのでしょう。

さて、「夜ぞ更けにける」の「ぞ」は係助詞と言って、その直前の言葉を強める働きがあります。従って作者は「夜」を強調したかったのであって、「ああ、夜がかなり更けたなあ」という気持ちを強く感じていたということになります。

「霜が降りた」ことで「夜更けを感じる」。これはおそらく「寒さ」ということなのでしょう。霜が真っ白に降りているのを見て、ああ寒いはずだ、こんなに真白に霜が降りているんだもの、夜も更けたはずだ、というような気持ちです。では前半は?前半の「かささぎの渡せる橋」は「夜が更けたなあ」には関係しないのでしょうか?

考えられるのは「本当に夜空満天に耀く星を見ていた」ということです。あまりに星が多く、きれいに耀いているので、まるで天の川のようだ、しかもまるで霜が降りているようだという感動を持って見ていると、いつのまにか時間が経ち、夜が更けてしまったなあ、という感慨なのかもしれません。

「秋」と「冬」、この季節の矛盾により解釈がいくつも読み取れる。考えようによってはそれはそれでとても面白いことですね。


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