「これは終わらないな」と思うから、形だけ合意してしまう子どもの話

夫が以前話してくれた話。

「自分が子どもの時、家族で出かける間際になって、必ず誰かが『行かない』と言い出すんだよね。それで出かける前にもめるんだよ」

その話を聞いた時、「ふ~ん。男3兄弟は大変だな」なんて思っていた。


しかし、自分が子どもを育てていて、夫も子どもを面倒見ていて、気づいたことがあった。

私は、子どもがどこかに「行かない」と言うとき、極力出かけなくて済む方法を考える。どうしても出かけないといけないときは、

出かけないと何が起こるかを説明する。

〈例〉
 買い物に行かない → 夜ごはんに食べるものが無くなる

そして、その結果を受け入れる覚悟があるのなら、出かけなくてもいいと言う。そうすると、しぶしぶでも出かけることを受け入れることが多い。

それでも駄目な時は、短時間なら「置いていくよ」というと案外「それでいい」と言われて、急いで買い物に行くこともよくある(一番近いコンビニでさっと済ませることも多い)。本人は工作とか動画見たりとかしている。

長時間の予定だった時は、また日を改めるなりこちらが作戦を立て直す。


ところが夫は、「出かけることありき」で、説得する。諭す。

これ、夫のお母さんがやる方法なんだけど、なんていうか、見ていて気持ち悪い。

「出かけないと困るのよ~。一緒に出かけてくれないと悲しい。大丈夫。○○ちゃんなら行ける」

みたいな感じ。上に説得と書いたが、実際には「情」に訴えかけている。

そして、『絶対引かない』

子どもから、「わかった、それでいい」と合意を得られるまで、延々とそれを続けるのだ。

私はそれを見ていて思った。

「ああ、これ、『わかった』って言わないと終わらないやつだ」

情に訴えかけたうえに、「わかった」と言わないと終わらない。しかも、大人が子どもの気持ちを理解するターンが一個もないのだ。この方法だと、「あなた(子ども)の気持ちより、私(大人)の気持ちを優先しないといけない」ということが子どもにインプットされていく。


で、一番上の話に戻ると、「わかった」と言わないと終わらないことを、子どもが理解してしまえば、お母さんの言うことには必ず「わかった」と言う子どもになる。だけど、心では納得していない。受け入れていない。

「わかった」と言わないとお母さんが困る(ここがすでに歪んでいるのだが)し、絶対終わらないから終わりにするために「わかった」と言う

だけど、「わかった」というのは簡単だけど、実際にそれを行動に移す段階になって「やっぱりやだ!!」という自分の本当の気持ちが出てくる。納得していなかった自分が出てくるのだ。

そこで、「お前、自分で『行く』って言ったじゃないか!」となって怒られる・・。不条理だ。


自分の言うことを聞くまで終わりにしない。これって、まるで拷問じゃないか。


子どもには(自分の子どもに限らずだけど)、自分の気持ちを封じ込めるようにはなって欲しくない。いい子ちゃんで大人受けはいいけど、自分を見失ってしまった子供は、大人になった時に、ただの「自分がない大人」になってしまわないか。

実際、夫の弟達は、自分を押し込めている感じがするのだ。いや、今元気にやっている夫でさえも、心を抑圧して生きている。自分じゃない誰かのために生きていることを、やめられていないと思う。そしてそれはおかしいと、気づき始めている。






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