早慶は高学歴なのか、低学歴なのか
世間一般では、早慶はかなりの高学歴だとされているが、一部の学歴厨は早慶は過大評価であり、東大・京大・一橋大と比べると遥かに劣り、決して高学歴と言えず、むしろ低学歴だと主張している。こうした言説は、主流ではないものの、ネット上では、それなりの頻度で見受けられる。
この主張に関して、私自身は、両方の主張が分かる立場にあり、少し解説してみたいと思う。
まず、私の経歴だが、かなりぼやかして書くが、都内の中高一貫校の進学校(男子校)出身である。私の学年は、東大に進学した人間は約50人、医学部進学者が30人ほど、東工大・一橋も計30人かそれ以上はいた。早慶はそれぞれ軽く100人以上の合格者を出しており、まあ、都内有数の進学校だ。
私は、在学当時は、校内の模試の成績はおおよそ上位20-30位くらいのところにおり、最上位層ではないが、2番手クラスのそこそこ勉強ができると周囲からは認識される層にいた。なので、学校の先生からも、周囲の友人からも当然東大志望と思われていたし、私自身もなんとなく流れで東大を受けることになった。
同級生には、鉄緑会という東大専門の塾に通っている人間も多かったが、私は基本的には独学でやっており、夏期講習などを大手予備校に少し通う程度だった。なので、高3の東大模試もC判定・D判定と芳しい成績ではなく、そもそも東大にすごく行きたいとの強い意志もなく、夏休みも比較的ダラダラと勉強していた。
そんな私でも、センター試験レベルであれば、英・数は、ほぼ満点は取れる実力はあり、苦手な国語も150-160点はコンスタントに取れており、2次試験でいかに点数を取るかが合否の鍵を握っていた。ただ、2次試験となると問題の難易度は圧倒的に上がり、難易度の低い模試やセンター試験では得点源としていた数学が、思うように点数が取れない状況だった。そのため、東大を受ける前の感触としては、数学で得意分野から出題されれば、合格できる可能性はあるが、そうでなければちょっと厳しいかな、という状況だった(ちなみに、私は文系)。
そのため、滑り止めで早慶を受けておく必要があり、早慶の過去問も買って問題を解いてみたが、東大の問題と比べると、クイズ王に出てくるような難問奇問の類が多く、記述がまったくなく全てマークシートの選択式だったため、本当の学力よりも運試しの要素が強い問題だな、というのが当時の素直な感想だった。
東大入試は、とにかく科目数が多く、かつ、記述問題も多いことから、広く深く理解することが求められる。それに比べて、早慶は、科目数が少なく、特定の分野について(どーでもよい)細かな知識を詰め込むことが求められる。入試問題の性質がまったく異なるため、東大合格者なら全員早慶に受かるということもなく、特に対策を取っていない人は落ちても全く不思議ではない。ただ、東大に受かる実力がある人間であれば、全ての科目に対して一定程度の深さまで学習しているため、東大合格者であれば10回受ければ少なくとも5-6回は受かるのではないか、と思う。一方、早慶に特化して勉強した人間は、天地がひっくり返っても東大には合格できないため、その観点からすると、東大と早慶には明確な難易度の差があると言える。
それゆえ、鉄緑会などに通うトップ層は、早慶なんて全く眼中になく、滑り止めでの受験すらしないのが通常である。そもそも、東大以外は大学として見ていない節があり、大学受験=東大受験、と極自然に考えている。なので、私が通っていた学校においては、成績最上位層は東大もしくは医学部を受験し、2番手層も東大を目指し、3番手層(この辺は勉強という面では全く目立たない存在で、ぶっちゃけパッとしない印象)は東大受験を避けて、東工大・一橋や他の旧帝を受験する。そして、下位層は、入試科目数の多い国公立の受験を早々に諦め、下位層の中でマシな部類は早慶単願となる。
こうした構造があるため、私の学校くらいの進学校になると、早慶=勉強ができない人が目指す学校、という位置づけとなる。さらに言えば、東工大・一橋も、真面目に勉強しており、成績もまあまあだけど、あまりパッとしない人が行く学校という印象なのである。
ところが、最終的な進学先はどうなるかというと、2番手と3番手で逆転するケースが生じてしまうのである。2番手層だと、全員が東大に合格できるわけではなく、落ちて浪人する人間や、滑り止めの早慶に進学する人間が必ず一定数出てしまうのである。この東大落ちで早慶に進学する人間からすると、自分と同レベルの学力でライバル関係だった友人が東大に進学し、自分より学力が低かった人間が東工大・一橋に進学していく中、同じ学校の成績下位層と一緒に早慶に進学することになるのである。かくいう私も、2番手層で東大に落ちて、早慶に進学している。
私の場合、学校の先生からは浪人して東大を再受験することを強く薦めてきたが、当時の私は受験勉強は極めてくだらないと感じており、社会に出て役に立ちそうにないものに熱を入れてもう1年頑張るモチベーションがなかったため、早慶に進学することを決めたのだが、大して勉強していなかったので自業自得とはいえ、ものすごい馬鹿だと思っていた同級生と同じ大学に進学しなければならないことは大変不本意であり、大きな挫折体験となった。
なので、世間一般からすると、早慶=高学歴のイメージがあるが、上位の進学校においては、早慶=負け組=低学歴のイメージがあるのも紛れもない事実なのである。
とはいえ、高校生だった私は、そうは言っても早慶はブランド力もあるし、それなりに賢い人間が入ってくる(世間的には)トップレベルの大学だから、優秀な人間もきっと沢山いるのだろうと思い、早慶に進学するにあたっては多少の期待もしていた。ところが、いざ入学してみると、早慶の平均的な学生というのは、想像以上に学力が低く、高校時代に切磋琢磨していた仲間と比べると大きく見劣りし、とてもガッカリしたことを覚えている。せめて、想像より優秀な学生が多く、東大に落ちたけど、ここも意外と悪くないなと思える環境だったならば、不本意な入試結果も水に流せたのだが、残念ながらそうはならなかった。
こうした背景もあり、正直、あまり大学生活を心から楽しむことができなかった。ずっと心のどこかで、同級生を少し見下してしまう自分がおり、一方で、見下している同級生の方が、中途半端に勉強していた自分より遊び慣れて洗練されているところに、認知的不協和も生じ、なんともいえない不快感を抱えながらの学生生活を送ってしまったわけである。今思うと、本当に勿体ないことをしたなーと後悔するが、当時の自分は、こんな馬鹿な連中と同じ目線で楽しみたくないという、しょーもないプライドが邪魔をしてしまったのである。
最近では、東大落ち早慶よりも、早慶専願で入った人間のほうが社会に出て成功するという話はよく聞くが、それはとても正しいと思う。なぜなら、早慶を第一志望で頑張ってきた人にとっては、早慶は憧れの大学であり、その憧れの大学に入った自分に対しても誇りを持っており、自己肯定感も高く、当時の私のような卑屈さもなく、素直に大学生活を前向きに楽しもうとするエネルギーを持っているからだ。他方で、私のように進学校出身で、東大に落ちて早慶に進学した人間は、その真逆の心理状態なので、スタートから躓いてしまうのである。
その後の就職活動も、学生時代にいかに能動的・前向きに活動してきたかどうかが評価されるわけであり、どちらのグループの方が高く評価されるのかは自明である。私自身も就職活動にはかなり苦戦をし、最終的にはそれなりの大手企業に奇跡的に入れたが、全落ちして就職浪人・ニートとなっていた可能性も十分にあり、思い返すとかなりの冷や汗ものである。
こんな私も社会に出て、相応の時が経つので、社会に出ると学歴なんてほとんど関係ないことを身に染みて体感し、かつ、学生時代に見下していた陽キャで、社会性のある人間のほうが、圧倒的に出世して、社会で活躍しているのを目の当たりにして、私の歪んだ思考はかなり矯正され、今となっては東大だから、早慶だからと学歴で人を判断することは全くなくなったし、そんなことはもはやどうでもよくなってしまったが、振り返ると社会人になっても暫くは、この偏った価値観に毒されていたように思う。それだけ、学力がトップクラスの進学校に通っていると、そこでの価値観が自分に強く根付いてしまう、ということなのだろう。
逆説的に言えば、私が間違って東大に受かってしまっていたのならば、きっと私のこの偏見はもっと助長され、東大に落ちて早慶に進学した同級生のことを心の中ですごく見下し、東大に入った俺はすごいと大きく勘違いしてしまった恐れがある(というか間違いなく、そうした糞人間になっていたのだろう)。東大に進学していたとしても、社会に出れば、この勘違いに遅かれ早かれ気付かされていたであろうが、少しでも早くそこから脱せられたという意味では、東大に落ちて良かったのかもしれない。今は、そう前向きに捉えている。
と、少々話が脱線してしまったが、早慶は高学歴かどうかという話題を気にしている時点で、君は受験偏差値教育に毒されていると言える。だから、そんなどうでもいいことはもう気にせず、世の中に役立つ人間になるべく、もっと生産的なことに頭のリソースを使おうよ、と私からは言いたい。(過去の自分にもこの声が届くと良いのだが・・・)
#COMEMO #NIKKEI