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【20周年に寄せて】3<下>:オタワは人種のるつぼ(書肆侃侃房・田島安江)

2022年4月で、書肆侃侃房は創業20周年を迎えました。「つれづれkankanbou」では、【20周年に寄せて】と題して、社内スタッフのブログを連載していきます。

第三回の今回は、書肆侃侃房代表・田島の綴る書肆侃侃房が生まれる前夜、第二回の続きのお話です。お楽しみください!(こちらの記事は後半です。前半はこちら

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オタワは人種のるつぼ

 オタワは人種のるつぼと言われ、いろんな国から来た人たちばかりだったから、英語だって、それぞれ、特色がある。わたしには外国人の英語がわかりやすかった。インドからきた友人パラビの英語は、早口でとても流暢だったが、発音は上手ではなく、イントネーションが全くちがっていた。なるほど、それでもいいのか、通じればいいということ。わたしが親しくなった人たちはそんな人が多かった。なかにはチェコから亡命した人もいたし、親が英語を話せずわが子に通訳してもらっている人もいた。
文章の最後をあげると疑問文になることも覚えた。カナダ英語で独特の表現はやたら語尾に"eh"(ええ)をつけること。例えば"She is cute, eh!"(彼女、かわいいよな)」だったし、"You know"を連発する人もいた。

 わたしが失敗したこともたくさんある。子どもをファミリープログラムに連れていったとき、黒人が白人の子どもを連れてきていた。わたしは、わあ、すすんでるんだなあ、黒人と白人の夫婦なのか。と思ったら、彼女から「いいえ、ちがうわ。私はハイチからの出稼ぎで住み込みのベビーシッターなの」と言われた。自分の子どもを親に預けて働きに来ている。親には、定期的に送金しているのだという。あとからわかったのは、公務員はほとんどが共稼ぎ。とても裕福で、子どもは住み込みのベビーシッターに育ててもらう。だから、住み込みなのだ。デイケアに預けるのは貧しい職業の人、海外からきて、働いている人たちだった。こんなところにも格差がある。

 カナダ滞在は、最初から2年と決まっていたので、ある意味、覚悟ができていたのかもしれない。わたしは、日本に一度も電話をかけず、日本人ともほとんど話さなかった。そうでないと英語が話せるようになれないと思ったからだ。日本への連絡はもっぱら、エアーメイル。ほとんどが両親にあてたもので、子ども用の洋服や靴を送ってくれるように頼むもの。船便で2か月近くかかったけれど、ありがたかった。

 半年も過ぎるとだんだん、英語が聞こえるようになっていった。耳が慣れてきたのだ。最初は苦手だった電話の言葉もわかるようになった。子どもたちの小児科医のアポイントはすべて、電話だったから。

 娘の英語の習得は早かったようで、教師から、高校生並みの英語力ですよ、といわれた。それがどうだろう。日本に帰ってから半年で小学校入学という時期でもあったので、瞬く間に英語は忘れ去られた。「わたしは英語を忘れないと日本語が覚えられない」と言って。それでも日本語の理解は遅れていたようだ。1年生一学期の家庭訪問で「とても申し上げにくいのですが、お宅のお嬢さんは少し知恵遅れではないかと。わたしのいうことがよくわからないみたいで」と。「まあ、すみません。実は」と話すと担任教師はホッとした様子。よかったです。見ていてとても気になったものですから。

 さて、話は少し戻るが、カナダ滞在2年目の6月。学校がやすみにはいってすぐ、バンクーバーの夫の友人ジョンがオタワまで車で迎えにきた。彼は5日間でぶっ飛ばしてきたという。必要な荷物は日本に送り、その他の家財道具を車の屋根に乗せてオタワを出発。長い距離を、ひたすら車による。バンクーバーまでの長いドライブが始まった。帰りはなんと11日間。高速道路を車で移動するのだ。2歳と5歳の子どもを車の中に閉じ込めておくのは至難の業だ。カナダの高速道路にはサービスエリアが少ない。何しろ、一日走っても全く風景が変わらないこともあるぐらい。

 それでも続けていればいつかはいいこともある。ジョンがいう。「今日はロッジに泊まるよ。一泊して楽しもう」と。今までずっとテントにビバーグだったので、まるで天国のよう。シャワーだって浴びられる。夜に着いたので周りの様子はよくわからなかったが、朝起きてびっくり。車の上はうっすら雪に覆われていた。6月の雪だなんて。それもそのはず、そこはロッキー山脈のふもと、バンフだった。絵葉書そのままの風景が目の前に現れた。野生の動物がすぐ近くにいる。野生の山羊やバッファローやリス。至るところに"Watch out for bears"と、看板が立っている。永久氷河もみたし、リスと遊べて子どもたちはご機嫌だった。

 そして、ついにノースバンクーバーのジョンの家に着いた。その家はリタイアして、ビクトリア島に移り住んだ両親の家を買ったジョンの持ち家でプール付き。カナダでは、息子に財産を譲ったりしない。息子に家を売ったお金で、次のリタイア後の家を買うのだという。バンクーバーは、トロントに次ぐ、カナダ二番目の大都市。そこで3カ月過ごしたあと、日本に戻ることになった。

(第四回につづく)

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