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【第4回ことばと新人賞最終候補作】織戸久貴「アフターワード」

アフターワード

織戸久貴

 愛ののこした紙片が
 しらじらしく ありつづけることを
 いぶかる
         ――吉原幸子「紙」

 けむりとほこりがひかりの媒質であるのなら、きっとあの図書室にはひかりが満ちていたはずだった。うららかな冬の晴れた日にいっとき降ってはそのまますぐに忘れ去られてしまう粉雪のように、あるいは水族館のスーベニアショップで売られているスノードームのあの安っぽい銀箔たちの揺らぎのように、ちらちらと舞う粒子たちがちいさな箱のなかをしずかに漂うデトリタスとなっていた。その気配を憶えている。つんと鼻を刺すにおいを憶えている。まるで潮のようだと思ったことも。けれどそれ以外の細部となると、波にさらわれた文字のように思い出せない。
 その図書室は中学校の、特別棟の四階にあった。唯一の道のりである階段を室内履きで音を立て駆け上がり、息がはずんだ。それを落ち着かせるためにしばらく廊下で立ち止まった。年季の入ったスライドドアの横には画鋲によって開けられた無数の穴たちがみえない星座を壁紙の凹凸に浮かび上げ、その片隅にライトグリーンの図書室だよりをぽつりと掲示していたことは思い出せる。
 十一月の入荷リスト、という文字の下には、知らない国の知らない作家の知らない物語たちが等間隔に並んでいた。その文字群にはいま自分がここにいるべきでない理由をいくらでも見出せる気がして、けれどもいまさら戻ることもできなかった。当時のわたしは自発的に本を読もうとしない中学一年生であって、それでもここまで来たのだった。こうして息をはずませて。肩をわずかに上下させながら。
 きっかけは、だれにいわれたのもわからない夢のなかの言葉だった。
 朝、目覚める直前に見たそのせかいにあらわられたおとこでもおんなでもないとうめいな声が耳にこびりついて離れなかった。日々のたたかいに疲れたときは、こうしてここに来てください。まぶたを擦りながら秋の朝のゆるくほどけるようなひかりに肌をさらし向けたとき、呼ばれたのだ、とふと気づいた。
 あれは学校の図書室だったろうか、と最初は思う。だれでもない声の背後には、書籍たちが数えきれないほどに並んでいた。けれどもその光景は夢なのだから、いつか観た映画のシーンをサンプリングして再生し直したものかもしれなかった。であればそれは、どこでもない。けれど不思議と、そのかぼそい記憶の糸をたどらなくてはならないのだと確信していた。なにかにつきうごかされる感触が手のひらのなかに、まるで波の引いたあとの汀の泡のようにしろく残っていた。
 その図書室にどんな本があったのかも、いまとなっては思い出せない。背表紙の文字たちはながい時間をかけて漂白されてしまった標本のように均一な褪色のなかにまぎれていた。あるいは題名や作家名は読めない記号の集まりでしかなかった。だからそのときのわたしは興味を持って手を伸ばすこともできず、ゆるやかな拒絶をアレルギーのように感じていた。本を読む、という崇高な行為のうちには漠然とした正解が、沿うべきルールがあらかじめ敷いてあって、きっとそれらを好むひとたちだけにわかる暗号として用意されている。もちろんそれは事実ではないにしろ、主観的な感覚としてはじゅうぶん真であるように思えていた。
 だからその背表紙の群れのなかで、ふと肩を叩かれるとは思ってなかった。
「わっ」
 わっ、だなんて声に出しただろうか。
 けれども記憶はそう語っている。振り返ると、見憶えのある生徒がいた。すこし長めの前髪に、細長い目尻。秋の空色に照らされて、かすかに頬が淡くあかかった。
「永原さん」
「声、大きい。ここ図書室」
 しいっ、と人さし指を立てられる。
 ごめん、とわたしはそっと謝る。けれどもついまじまじと相手を見つめてしまう。ここで永原沙綾という女生徒を見かけるのは不自然に思えたからだった。優等生であるのは知っていたけれど、だからといって休み時間に本にかかりきりになるほどの気質はみられなかったはずで、ましてや放課後にひとり図書室を訪れるとは思えなかった、はずだった。彼女はきらびやかに目立つ子ではなかったけれど、ことばにならない清廉さみたいな気配があって、しずかな人気のある生徒だった。だからその存在から声をかけられたことを、自分はあまり信じられなかった。
 すると、ねえ、と相手はこちらの内心も無視して視線を合わせてきた。鳶色の瞳が柔らかいひかりを受けて、優しい赤橙いろをたたえていた。
「織戸さんに読んでほしい本があるんだけど」
「読んでほしい」
 と、その言葉遣いに違和感を抱いた。だからつい質問を返した。
「それ、おすすめの本って意味じゃないよね」
「そうかも」
 永原の表情は、いくらか余裕じみたものになる。まるで以前からの約束事であるかのような、決まり切っていたふうなしぐさだった。こちらとしてはなぜだか前触れもないままに、舞台の上に引っ張られたような戸惑いを感じた。
 言うなればさ、と彼女は書き割りめいたことばをつづける。
「これはちょっとしたお願いなんだ。聞いてくれる」
「ものによると思うけど。わたし、難しいのわかんないし」
 どんな話、と言い添えた。
 じつはね、とクラスメイトはどこか秘密めかすような微笑を返した。
「人でなしのための話なんだ」
 それが推理小説なのだと教えられたのは、そのすぐあとのことだった。

   *

 わたし、、、はそうやってあの日のきみにシンパサイズする。
 章替え用の三行ぶんのアキを入れて、その中央の行にアスタリスクをひとつ打つ。その形式が、そのやり方が、きみがずっと書き残してきた文章群にささやかながら一貫して課していたひとつのルールであったはずだから。
 そうしてきみはその年齢の少女が持ちうる特有の心的態度を、ことばの身体を、空気の手触りをシステマティックに構築していく。語彙にはいくぶんかの美的感覚を喚起させるものを、もしくはノスタルジーを付与させる。記憶に漂白されつつある出来事をあたかも映画の一場面のごとく装っていく。小説を書きはじめてもう十年にもなるのだから、当然きみにはそのようなこざかしい真似ができていた。
 なにしろ数年前、当時二十六歳のきみはとある小説の新人賞で特別賞をもらっていたくらいだった。選考委員からはいくつかのあたたかいことばと、いくつかの辛辣なことばを贈られた。きみは自分の実力がついに認められた、といっときは感慨にふけったものの、けれどそれはあくまで奨励賞の類であって、商業的な契約には結びつかない旨を電話上で事務的に、淡々と知らされた。よければ来年もまた応募してください、とその連絡はおだやかに締めくくられた。
 その処遇に多少の、いや、かなりの反感をきみは抱いた。その結果、受賞作をAdobe Indesign で編集し、ウェブ上に公開することに踏み切った。つまりはそれで自作の価値を証明しようと考えたのだ。けれどもそれは一時的なネットの反応を引き出しただけにすぎず、建設的な、つまりプロ作家としての切符にはならなかった。きみは翌年もおなじ賞に作品を投稿したものの、それは最終選考に残っただけだった。さらに翌々年も応募したが、そちらは一次通過のみであって、最終にすら臨めなかった。
 やがてきみは次第に、小説を書く、ということではなく、新人賞を取る、ということに思考を傾けはじめる。なんということはない。ただ欲望に負けたのだった。
 金銭欲、名誉欲、征服欲、承認欲求。そのどれでもよかった。あるいはいま記述したそれらすべてが含まれるのかもしれなかった。そうしたあさましい思考の蔓に絡みつかれた以上、諦めるといういさぎよい選択肢はなくなった。
 きみのことばはすでによごれていた。だからよごれた語りがここから先はつづいていく。それはひどく矮小で自意識にまみれてつまらない。だからきみはこれを無理に書かず読まずこの文字この単語この一文が記載されているこの行からおよそ一頁ぶんにあたる文字群を飛ばすか削るかしてもかまわなかった。
 大事な内容は、この章における最終段落に登場することばだけのはずだった。この一連の文字群を印刷するためのくろいインクは決してよごれているわけではないものの、きみの記述はそのインクをただのきたない書き損じに、あるいはにごった語りに変えてしまう。きみはその事実と向き合えない。だからこうして、いまもことばたちはだらだらと、散漫に、日差しに溶ける雪と泥めいて綴られる。
 しかしいまはその書き損じをつづけるほかはないのだった。なぜならきみにはもうそれだけしか残されていない。新人賞を受賞する小説とはなにか、ときみは考える。その基準においては、たんに技巧のすぐれた小説であるという事実は前提条件にすぎなかった。ただ描写のよくできている小説であれば、それはきっと最終選考で終わってしまう。新人賞は作家の才能を見極める場所であって、ただ一作だけよくても駄目で、のちの未来までもが厳しく審査される。よって投稿される作品にはたんなる商業レベルであるだけでなく、それ以上のプラスワンが求められている。
 たとえば、ときみは推測する。
 必要とされるのは、前例のない斬新で画期的なアイデア、あるいは圧倒的に読者を世界に引き込む文章力。そのどちらもきみにはないものだった。きみは自身の書く小説の凡庸さ退屈さを無理やり修辞によって隠蔽し、虚飾し、いわゆるそれらしさで空白を満たすのが精一杯の書き手だった。要するにどうあっても未熟なのだった。この事実ともはきみはまったく向き合おうとしていない。というより向き合うことをおそれていた。精神的にもきみはよわい書き手なのだった。
 だからその空虚さに対して、きみは時間で贖おうとした。キーボードに手を触れないときであっても、小説のことを常に思考のなかにプールする。書いていない時間と書く時間、その両者のギャップを際限なく埋めて、きみは自身を、その思考をなにか尊いみえないものに差し出しそうとする。そうして自分そのものをある種の機械存在に、ことばを産み出すむきだしの体系へとつくりかえようと試みる。
 毎日、文章を反芻するルーティンを設け、レム睡眠中に見る夢のなかにきみは自身のことばを持ち込もうとした。当初はインクのうねりが水のなかを曖昧に漂い揺れているだけだったものの、何度かおなじ夢を見ていくうち、次第に自分の意思でそれらを改変できるようになっていた。睡眠中でも執筆作業が可能であれば、そのぶんだけ他者より傑作を書ける可能性は高まっていく。
 やがてふだんの業務時間であっても、きみの内部では物語のアイデアや瑞々しいセンテンスがその存在を主張しだしていく。予期しないことばの連なりが軽快に音を鳴らし、行間が意味を語りだし、無邪気な青い火花のようにぱちりと弾けた。まるでテンションコードのようなうつくしい奥行きがそこにあった。そして毎朝起床するたび、あるいは休憩時間になるたび、きみはそのわずかなことばの瞬きをスマートフォンのメモに打ち込んでいく。そこからなにかがはじまるのだと信じていた。
 しかしそれはあたらしい物語のはじまりではなかった。それはゆるやかな躁鬱のはじまりだった。きみは日々、一定量の文字を出力することはできていた。けれどもそれらは決してよい出来にはならなかった。やがて季節が過ぎるたび、きみは自分の作品がどんどんつまらなくなっていることに気づきはじめる。次第に書けない時間が増え、書けるはずの時間を蝕んでいく。傑作を書くためには過去の自分を超えなくてはならない。けれどもかつての自分がいま現在の自分自身を否定していた。期待と欲望がうずまく自身へのプレッシャーは自己否定を呼びさまし、フィードバックノイズとなって皮膚を刺した。そうしていつしか、きみはきみほんらいのことばを、からだを、こころを見失っていく。
 小説を、あるいは自分を肯定するために、夢のなかでよい文章ができた日にはきみは仮病を使って仕事を休むことに決めた。しかし数か月のうちに有給を使い果たし、きみは上司から注意を受ける。同時に仕事上での失敗も増えていた。三か月の休職ののち、きみはその仕事を退職する。幸いしばらく生活できる貯金はあったものの、再就職をする気にはなれなかった。生活の中心には小説があった。いや、生活よりも小説があるはずなのだ、と規定していた。だからきみはそれ以外の労力を嫌った。向精神薬と睡眠薬を飲みくだし、曖昧にぼやけた思考できみは物語を綴ろうとした。
 永原沙綾の姉からメッセージが届いたのは、それから半年が過ぎたころだった。

   *

 永原沙綾から渡された本のことはいまもよく憶えている。
 それは新興宗教の施設内で殺人が起きるという典型的な筋書きの推理小説だった。外部との連絡が遮断された空間で、劇的な死が唐突に舞い降りる。一見それは常人にこなすことのできない不可能犯罪であり、それはあたかも奇跡の顕現であった。けれどもこれは明確な、人為的な他殺であると探偵が鋭く看破する。であるならばこの場にいる何者かの犯行であると考えるほかはなく、正体のみえない殺人者とともに過ごす緊張状態に置かれた登場人物たちは互いにディスコミュニケーションを引き起こし、さらなる悲劇を呼び込んでしまう。そのような書き割りめいた世界において、ひとびとの自由意志といったものは人形の手脚につながれた操り糸と紙一重でしかなく、しかしそのなかにおいても救われるなにかを見出そうとする話でもあった。
 わたしはその小説を一週間かけて読み切った、のだろう、か。わからない文章表現や単語に出くわすことばかりで、そのたびに辞書やインターネットで意味を調べなくてはならなかった。端的に言って、わたしは国語の成績がよくない中学生だった。だから小説を丁寧に読むといった経験もはじめてのことで、けれどもそれはあまりにも不可解なイニシエーションに思えたのだった。
 上から下に敷き詰められたうねるくろい群れを視認してすうっとまなざしを余白に向けたことに気づくと右から左にまたひとつだけ行を進めてふたたび上から下に敷き詰められたうねるくろい群れを視認してすうっとまた余白に向かって一行ひだりへ進んでいく。そうした反復ののちにどうにかことばの道をたどって頁の最後の段落の最後の行の最後の文字に目をやり、この先もやはりもう余白だ、となれば指の先でうすい膜のような紙いちまいをめくる。またいちばん右の端へと戻って上から下に敷き詰められたうねるくろい文字を見る。それを積み上げていくことが物語になっていく。
 しかしその一連の流れのあいだにもこころはからだはことばをしんと見つめているわけでなく、本文用紙の淡いクリーム色とくろいインクのこごりふくらみそれらのコントラストに意識を向けていたわけでもなく、むしろいっときそこから目をそらし、かつての自分の経験にあった出来事や景色を参照し引用し、いまここにある小説というものを透かし絵に向けられたひかりのように見つめている。これは、ほんとうに読書というすがただったのか。
 借りていた本を返却するためにふたたび放課後の図書室を訪れると、閲覧席にあのクラスメイトが待ち構えていた。まるで石像とその台座のように彼女と椅子のふたつは分かちがたい関係を結んでいるようで、もしかしなくても一週間のあいだずっと、彼女はわたしが来ることを期待していたのかもしれなかった。
 暮れていく琥珀色に染まった床面の木目たちを、均一に並んだ窓枠の影が十字に斜めに区切っていた。その明るい面たちを飛び石のように渡り、永原沙綾は近づいてきた。ちいさなほこりの群れが彼女の歩みとともに揺れる髪のたおやかさをうらやむようにさらさらとひかり漂っていた。まるでそこだけが海の底みたいにしずかだった。
 そして永原はおだやかに訊ねてきた。
「読んだ?」
「うん。たぶんだけど」
「たぶん?」
「こっちの話だからそれはいいよ」
「ふうん。それでどうだった。面白かった?」
「正直、よくわからなかった」
「まあ、だよね」
 と、永原は苦笑して窓のほうに視線をそらした。わかってたけれど、といまにも口にしそうな表情だった気がする。いや、きっとそうだった。そしておそらくそのとき、彼女が同好の士を求めていることを遅まきながら理解した。
「でも」
 そう、咄嗟に返した。
「こういうの、もっと読んだらわかるかも」
 数秒、相手の目が驚いたように開かれる。そしてふたたびこちらを見やった。
「ほんと」
「嘘はつかないよ。なにがおすすめ」
 あのね、と永原はくしゃりと目を細めて指先を合わせた。
「それなら『東西ミステリーベスト100』っていうガイドがあるよ。最近文庫になったばかりなんだけど」
「いや、いきなり百冊は無理でしょ」
 その放課後、わたしたちは学校の外で待ち合わせ、通学用の自転車で駅前の図書館へと向かった。貸し出しカードを発行することが目的だった。鮮やかな黄に色づきはじめた背の高い銀杏が手前に生えて目印になっている蔦だらけの古びたその建物は、バリアフリーの概念を忘れたかのように急な階段をのぼらねばならず、その先の開架へつながるドアの金具ですら痛々しくきしんでいた。けれどその場所も、学校の図書室とおなじ香りがしていたことにわたしは気づいた。潮のようなつんとする、けれどほのかに甘くかおる、夕焼けのにおい。
 とりあえず三冊ね、と九十年代からゼロ年代にかけて刊行された新書ノベルスを見繕って渡された。どうやら彼女は本格的にこちらを推理小説の世界に導きたいようだった。じっさいに家に帰って読んでみると、その物語のどれもが理知的で、挑発的で、けれどいつも最後にはとんでもない場所に引きずり出される構造をしていた。それらの解決編に触れるたび、わたしはまるで微熱めいた高揚感を覚えた。書かれていることばじたいはまったく平明であるはずなのに、そうでないなにかが目の前に現れること。この奇妙な手触りはなんなのだろう。
 答えが知りたくなって、わたしはさらに本の世界に入っていった。貸し出しカードをつくってから一か月も経たないうちに、永原が勧めてきたジャンルが、推理小説のなかでもとりわけ本格ミステリと呼ばれるものだということを教わった。
 本格ミステリとは、謎とその論理的解明を主眼とした物語ジャンル群のことで、その世界においてはどんなに信じがたい結論であっても、推理という手続きによって導き出された答えこそが重みを持つ。しかし推理はあたかも世界そのものをパズルのように記号化し、裁断し、抽象化する。どこまでも合理性を求めようとする、非合理な衝動によってそれじたいは構築されている。
「だからね」
 と、永原は決まっていつも意味ありげに語っていた。
 放課後の図書室はわたしたちだけの居場所だった。だから気安く、咎められることもなく、いつまでも話ができた。司書の先生も忙しいのか、いつも鍵を開けるだけでどこかへと行ってしまう。あの潮のにおいのするほんの水槽には、いつでも琥珀色の粒子がしずかに輝き漂っていた。
「論理的に世界を説明しようとするってことは、世界に急に穴が開くかもしれないってことでもあるんだよ」
「穴? 推理に間違いが生まれるってこと」
「違うよ。なんていうのかな、底が抜けるっていうのかな。地道に壁を掘り続けていたら、向こう側に見たこともない空間が出てきた、みたいな」
 言われ、わたしは解決編を読んだときのあの不思議な手触りを想起する。
「広がり」
 そう、と永原は微笑んだ。
「そういうの。わかってるじゃん。世界は間違いなく論理的につながっているんだけれど、なぜか出てくる答えそのものは不可思議な場所にある。これってすごくない」
「うん」
 そのころになると、わたしの生活はゆるやかに変わりつつあった。もともと所属する部活や委員会はなかったから、本にのめり込むのは案外難しくなかった。それまでの毎日にはどこか不完全な断片らしさが拭えずにあって、それらを統一する背骨がなかった。けれども本を読み出すと、まるで世界の位相がすこしずつ入れ替わっていくような感覚が、それこそパズルを組み上げ解いていくような手触りがあった。
 わたしがいま皮膚によって触れている世界と、そうでない文字の向こう側の世界。ほんらいは断絶されているはずのそれらふたつを構成するピース同士がすこしずつ交信し、取り替えられ、見ている景色じたいがめまぐるしく再定義されていく。それはあたかも世界が世界らしさを取り戻そうとする過程のようだった。
 からだとせかいが、ことばという媒質によってつながりつくりかえられていく。季節が変わって、木々が鮮やかに色づいていくのにそれは似ていた。そう思えたとき、本を読む、行をたどる、文字に触れる、という反復行為はすでにわたしのなかの自然な一部になりつつあった。
 だとしてもきっと、ひとりではうまくいなかったはずだった。そこに同行者がいてくれたから、わたしにはそれができた。ほんの世界に身を浸すことができた。
 物語の感想を伝えるたびに、彼女は決まって訊いてきた。
「ねえ、織戸。次はどんな話が読みたい?」
 謎と論理というふたつの綾で織りなして、想像を超えて遠くのせかいへ連れていってくれるものがたり。それらは見飽きることのない波の描いた模様のようで、まるで世界の秘密そのものだった。わたしはそれに触れたかった。だから何度も手を伸ばした。
 けれど、人でなしのための話、とどうして永原が最初に言ったのかは、そのころになってもよくわからなかった。

   *

 「わざわざお呼び立てして申し訳ありません」
 ちゃんとお話するのははじめてですよね、とその人物は丁寧に頭を下げた。
 待ち合わせ場所は都内にある喫茶店だった。喫煙可能であることを売りにしているのと暗色を基調にしたシックな内装のせいか、ビジネスパーソン同士による商談や資産運用のアドバイスなどに使われやすく、訪れる客はとなりあっても互いに興味を持つことがない。店に入ると、その雰囲気にはほどよく紛れ込んでいる女性がひとりいた。仕事を終えてから来たのか、比較的固めのビジネススタイルを着こなしていた。髪は短く、けれどもラフさと規律の中間にとどまることを心得ている。そういう印象だった。
 視線が合うと、女性はほがらかな笑みを浮かべた。
「沙綾の姉の環です」
 注文したコーヒーのカップを手にきみが向かいに座ると、相手はそう名前を告げた。声にふとつられて、一瞬だけきみはその顔立ちに面影を見出そうとする。けれど遅れて罪悪感に似た気配が絡みつき、そっと目を伏せることにした。
織戸久貴おりとひさきです。それにしても」
 よくわかりましたね、ときみは返す。インターネットという緩衝材を介しているとはいえ、見知らぬ相手にSNS上でメッセージを飛ばすのにも勇気は要る。だからその一線を踏み越えようとするのは、案外できるものではないと理解している。
 大したことはありませんよ、と環は答えた。
「織戸さんの名前をグーグルで検索したら、いちばん上に出てきました。本名で小説を書いていらっしゃったんですね。受賞した作品も読みました。あの町が舞台だったことはすぐわかって、だから連絡を入れたんです。きっとこの人は妹と仲のよかった織戸さんだって思いましたから。小説、とても面白かったです。なんと言いますか。すごく壮大で、素敵でした」
「ありがとうございます」
 そこにきみはわずかな気まずさを覚える。「夏の結び目」という短編小説。あれはミステリではなくSFだった。ミステリの枠組みの思考で、世界そのものを変えようとするというアイデアの作品だったものの、畑違いの発想はあまり感心しない、と当時の選考委員にやんわりと諭されたのだった。それにあれから数年が経ったいま現在では、稚拙な部分ばかりが目につくようになっていた。
 あの、と環はおずおずと口を開き、訊ねてきた。
「いまはどんなお仕事を」
「いえ、すこしまえまで通信系の会社にいたのですけれど、いまはただの小説家志望です。しばらくはそちらだけ注力していたくて」
 きみはそれ以上を語らない。毎日、契約者の死去によってその遺族から解約の旨を申し出る電話が数えきれないほどオフィスに鳴りつづけ、そのおびただしく同時にあたりまえである死の香りに触れていくうち、次第になにも感じなくなっていく自分に嫌気が差したのだった。だから物語に逃避した、とは答えられなかった。
 それで、ときみは露骨に話題をそらした。
「お話したいことがある、というのは」
「そうでしたね」
 環は、すみません、と繕うような表情を浮かべて謝罪した。
「もちろん妹のことです」
「はい」
「先月、祖母が亡くなりました。それで遺品整理をしていたら、妹の私物らしきものが見つかったんです。偶然にも」
「どうして永原、いえ、沙綾さんものだと」
「手紙が挟まっていました」
 環は横に置いていた鞄から、一冊の本を取り出した。ほんらいは白とターコイズブルーの二色の表紙カバーだが、そこにコーヒーが乱暴にこぼされて淡茶色に広がった染みが残り、目に見えて痛んでいた。クリーム色の帯の背も日に焼けてしろく褪せている。きみはその本を知っている。そのよごれのつくる模様でさえも。『パウル・ツェラン詩文集』。飯吉光夫編・訳。発行元は白水社。二〇一二年第一刷。それ以上の汚損を防ぐためか、本体そのものは透明なビニールカバーによって覆われている。
「これです」
 相手はそう言ってテーブルの上で書籍を開き、巻末に挟まれていた封筒をひとつ取り出した。配達されない一通の手紙、ときみはつい映画のタイトルを捩る連想をしてしまう。まるで過去から背中を殴られたかのよう、などとつまらない比喩さえ自然に浮かんでいた。そのくらいには現実味がなかった。封筒じたいは簡素な白の洋封筒で、送り主の飾らない性格がのぞいている気がした。
 その白い封筒を、環はそっときみに差し出す。封筒の表面に書かれた文字を見やると、織戸久貴さまへ、と宛名が書かれている。懐かしい筆跡だった。かつてのきみには、飽きるほどにその独特の癖のある字を見つめていた時期があった。
「たしかに、わたし宛てみたいですね」
「織戸さん」
 いまでなくてもいいですから、と相手はうやうやしく言った。
「受け取って、読んでいただけませんか。この本も一緒に差し上げます」
「わかりました」
 と、封筒を受け取り、きみはしずかにテーブルの上に置く。それからつづける。
「わたしからも、ひとつだけいいですか」
「はい」
「沙綾さんの死は、ほんとうに自殺だったと思いますか」
 それは、と相手はいままでに一度もみせなかった表情を浮かべた。
「終わった話じゃないですかね」
「すみません」
 きみはよどみはじめた会話の空気をごまかそうとして、ついカップに手を伸ばす。けれどすぐにわざとらしいおこないだと思ってやめる。それから手紙を観察するためにもう一度しずかに手に取った。改めて触れると、その軽さがひどく気に障った。まるで海辺に流れ着いた、細い樹木の枝のようだった。あの、異様なまでに生気が失われたしろさ軽さにそれはあまりにも似ていた。
 環さん、ときみはいったん顔を上げて訊ねる。
「ここで開けても大丈夫でしょうか」
「もちろん」
 三角形の蓋を貼り付ける接着剤は最低限しか用いられていなかったのか、指を隙間に滑り込ませて引っかけるだけで、それはあっけなく開いた。封筒のなかには便箋がたった一枚入っているだけだった。
 きみはそれを取り出して、声に出さず書かれていたことばたちを読み取った。きみはおそらくひどい表情を浮かべていたのだろう、と遅れて気づく。環が不安げな、こちらを気遣おうとする視線を向けていたからだ。
「大丈夫ですか」
「すみません、ちょっと」
 そう、正直に答えることにする。この状況でつよがってみせる余裕はなかった。数秒のあいだ目を閉じ、息を吸い、吐く。それだけでも疲労をひどく意識してしまう。けれど意図的に時間をつくったことで、きみはふだんの思考を取り戻せる。
「大丈夫です。なにぶん想像していなかった言葉だったもので」
「そうでしたか」
 あの、と環も表情を落ち着かせて訊ねる。
「差し支えなければ、妹はなんと」
 いっときだけ、きみは答えに躊躇する。けれどもここで逃げても仕方ないとも感じる。ふたたび息を吸って、感情を整える。大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。
 そしてまっすぐにきみは答える。
「小説を殺してください、と」

   *

 中学二年のはじめにあった実力テストでは、不思議といい点が取れた。
 そのことをいつもの図書室で話すと、文章読解能力が鍛えられたんだよ、と永原はなぜか得意そうに見解を述べた。問題文でなにが語られているのかを正しく理解できるようになれば、答えはおのずとわかるようになってくる。たしかに一般論としてはそういう面があるのかもしれなかったけれど、大して勉強もしていないのに成績が上がってしまったのは手ごたえがなく、むしろ違和感のほうがつよかった。
「なんかさ」
 と、頬杖をつきながらわたしは内心をこぼす。小説を読みだしてから半年近くが経って、ずいぶんとあたたかい季節になっていた。草木が日に蒸される香りが空気のなかに溶けだしていて、それを運ぶ風までもがあまく柔らかく感じられた。図書室のデトリタスの色さえも琥珀色から移ろって、床の木目とおなじように、ひかりを淡く反射して青白くなっていた。
「これまでの自分じゃなくなったみたい」
「成長期だもんね」
「どういう意味」
 顔つき、と永原はつつくようこちらに指を向け、にっと笑う。
「最近ぐっと大人びてきた気がする。そろそろメイクが似合ってくる時期かもね。さすがにおおっぴらにやると先生に怒られると思うけど、ペディキュアくらいならバレないし、楽しいよ。織戸もやってみなよ」
「いいよ、べつに」
「この遠慮しいめ」
 そのころになると、永原に勧められた以外のものも読むようになっていた。ほとんどはライト文芸にあたる作品で、そうしたキャラクターの魅力で物語を引っ張っていくものたちには苦労せずに手を伸ばすことができた。時折、背伸びして純文学にも手を出したものの、そちらはいくぶんか難しかった。けれどどちらも楽しかった。個々の小説の面白さを理解し咀嚼できたというより、ことばに触れていくことじたいに浮かれていたのかもしれない。当時のわたしはきっと、春の波に足先を浸して、その思いがけないつめたさにはしゃぐ子供だったのだろう。そう、あとになって言葉にできる。
 だからというか、好んでというべきか、ライトミステリもよく読んでいた。出版事情的な話をすると、ちょうどその時期にヒットタイトルが生まれていて、書店にはその類の作品がいつでも棚や平台に並んでいたのだった。オーソドックスな本格ミステリを好む永原はよい顔をしなかったけれど、師匠とは違う道に進んでいるという事実もまた、わたしを誇らしい気持ちにさせていた。
 中学二年に上がって変わったことはもうひとつあった。わたしと永原は違うクラスになっていた。もともと教室内では積極的に話さないふたりだったから、そのことは大した問題ではなかった。放課後になればこうして図書室で会えるし、会えないときでもスマートフォンのメッセージアプリで連絡を取り合うことができた。まるで逢い引きのよう、とまでは口にしなかったけれど。
「ねえ」
 と、彼女は悪だくみをするように机に両肘を乗せ、微笑んだ。
「ゴールデンウィークだけど、遠出してみない。電車に乗っていけそうな距離に、クラシックミステリが充実している古本屋さんがあるんだ。均一棚も掘り出し物が多くて有名だってネットに書いてあった」
「わたし、そんなお金ないよ」
「こっちだってないよ。だから折半しよ。それならお年玉の余りでどうにかなる。織戸だって読みたくても買えなかった本、あるでしょ」
「たとえば」
「ピーター・ディキンスンとか」
「それは、まあ」
 地方の町では、古書店や図書館の棚における海外小説の割合が都会に比べると圧倒的にすくない。そういう理由からわたしたちが定期的に通っているところではなかなか読めない本たちがいくつもあるのだった。県内にあるべつの図書館から取り寄せをすることはできるけれども、頻繁に利用するのは時間も手間もかかって面倒だし、気が引ける。それにそういう作品をリクエストしようにも、四、五十年前の翻訳小説クラスになってしまうと、そもそも蔵書がないこともめずらしくない。
「それから」
 と、そこで永原はすっくと人さし指を立ててみせた。
「なに」
「五月末、わたしの誕生日だからね」
「だから?」
「ちゃんと用意しとくよーに」
「はいはい」
 その図々しさは見習うべきところかもしれない、と苦笑する。この元クラスメイトは仲よくなるとなんでも思っていることを口にする癖があるのだと、この半年で気づかされていた。けれどもそうしたあけすけのない関係にあるということが、わたしのうちにあるささやかな独占欲の容器をそっと甘く満たしてもいた。
 それから読みさしの、角の表面がわずかにしろく削れた中古本を手に取り、栞を挟んでいた頁を開く。日々の生活のなかでふと語り手が出会った不可思議な出来事に対して、とある人物に謎の答えを訊ねに行く、という形式の連作短編集だった。
 すると永原は顔をわずかにしかめた。
「あ、また日常の謎」
「駄目かな。小粒でささやかな謎。身近な題材だし、読みやすくない」
「人が死なないのはなんだか気分が乗らないよ」
 しわい表情で彼女はそう主張してみせる。けれどもまだ初心者の域を出ていないわたしにはその感覚がうまく理解できない。ジャンルを読み慣れている人間ゆえのマニアックな思想かもしれない、とは安易に推測ができたけれど、なんとなくそれだけでもないような予感を以前から嗅ぎとっていた。
「人が死なないと、フーダニットとかハウダニットにならないから嫌なの」
「うーん」
 正直さ、と踏み込むように述べてみる。
「永原のそれ、わからないよ。べつにどっちでもよくない、謎が解ければ」
「わたしもそれでいいとは思ってたんだけど、なんていうのかな」
 あのね、と永原はいっとき遠くを見つめ、また向き直った。
「たぶんわたしは、ミステリを読んで安心したいのかも」
「安心?」
「そう。だってミステリでは最後に理性が勝利するでしょ」
 あたりまえのようにそう告げた。
「正しく物事を捉えて、それをしっかり理路を通して論証すれば、犯人も、事件関係者も、警察も、みんなそれを受け入れるし、事件は綺麗に丸く収まる。けれど現実はそんな簡単に終わってくれない。事実は人の気持ちを変えたりしないし、正しいことがよいことであるなんていうこともあまりない。むしろ正しさというよわいいきものは狡猾さや卑劣さというくだらないものに日々すりつぶされてばかりいる。日常の謎には優しいトーンのお話が比較的多いけれど、それでも世界から悪意そのものを消し去っているわけじゃない」
 だから読みたくないの、と永原は言い添える。
 そのまっすぐなことばの群れに、しばらく返答ができなかった。わたしは小説というメディアを介して世界のありようを見つめているのだと勝手に思っていたけれど、そうではなかったのだと殴られたような気持ちになった。だとするなら、彼女はいったいことばを介してなにを受け取り、なにを見つめていたのだろう。永原からいま出てきたことばたちは、川の流れが舞い降りた花びらたちを遠くとおくへ運んでいくかのように、ひどくあっさりとわたしの胸に届いていた。であればそれは、彼女がずっと前から思ってきたことのはずだった。
 でも、とそこであえて訊ねてみる。
「永原はたんに勧善懲悪が読みたいわけじゃないよね」
「うん。わたしはすかっとしたいわけじゃない」
「じゃあなんで安心するの」
 知りたい、とつい思った。彼女の内面をつくりあげているもの。その表面に浮き出たことばの枝葉たちではなくて、もっと根元にあるはずの、奥にあるはずの、暗い土の底にねむっているやわらかい膜のようなもの。それに触れてみたかった。かつてとある推理作家は語っていた。小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います。それが一定の真理を示しているのなら、目の前に座る彼女は、なにかみえないおおきなものに対して、ことばというささやかなもので抵抗を試みようとしているのではないだろうか。
 逆に訊くけど、と永原はその大きな鳶色の瞳でこちらを見つめ返した。
「織戸はどう思う」
 ただでさえ細い目尻がさらに細まっていた。それまでゆっくりと流れていたはずの時間がにわかに止まったようで、通り抜けていく微風がなにかに気づいてはっと息をひそめた。あたりにはうるさいほどの静寂が響いていた。彼女の頬の産毛がうすいひかりに透けてしろくなっていくのさえ、はっきりと世界のなかには記述されていた。
「あててみてよ」

   *

 そして、きみはあたらしい小説を書きはじめた。
 これを書いている。いま、は。すくなくとも。きみの時間はひずみ、入り組んでいる。ことばの世界において時間は単線的であるとはかぎらない。まるでエッシャーの幾何学的でありえない絵画であるように、きみはことば同士を不自然につなげている。それを知ったうえで、ややまぶしい、消毒液のようにしろく輝くLEDデスクライトを部屋にひとつ灯している。A4サイズ横長縦書き四〇字かける四〇行文字サイズ十一ポイント設定のテキストエディタに向かって、ことばの礫を水面に投げ込むようにきみはタイプしつづけている。きみはきみ自身の小説を取り戻そうとしている。
「取り戻すって、だれから?」
 あるいはなにから? と画面を見つめるきみの背後で探偵が訊ねる。
 きみは振り返らない。
 その探偵の顔立ちはだれかに似ているようで、しかしだれでもない。あたかもサイバー犯罪をテーマにしたサスペンス映画に登場する正体のみえない知能犯、もしくはマグリットの絵画であらかじめ顔を剥奪された恋人たちだった。非現実的なリアリズム。それでいて、いかにも記号的な白衣を身にまとっているのはどう考えてもきみの悪い趣味だった。やれやれ、読書の範囲が狭いとイマジナリーな存在ですら類型的な表現の内部でしかいられない。これではお里が知れてしまうよ。
 きみさ、とその探偵はひどく嫌そうな表情で語りはじめる。
「取り戻そうだなんていうのはただの言い訳じゃないかい? 端的に言って、いまのきみは永原沙綾の死を利用しようとしているだけだ。小説のネタに詰まって、そのタイミングで都合よくドラマチックな題材が過去から転がり込んできた。なるほど、私小説とはたしかに言いようだ。きみはきみ自身の過去と現在、あるいは未来までをも物語に食わせようとしている。きみは人生を切り売りしようとしている」
 そうじゃない、ときみは振り返らないまま淡々と答える。
 小説を殺そうとしているんだ。
「観念的に?」
 もしくは実践的に。
 きみは永原沙綾の願いを叶えるつもりなんだよ。十数年越しに。
 違うだろう、といっぽうできみは深く理解している。きみは永原環からのメッセージを受け取るまで、かつての友人のことなんてみじんも、これっぽっちも考えていなかった。じっさい、きみは薄情なのだ。いまのきみは、きみと、きみ自身の書く小説のこと以外ぜんぶどうでもいいとさえ思っている。きみはあの琥珀色のデトリタスの漂う夕暮れに小説に出会ってしまって以来、現実よりも虚構のほうに広がりを、大切さがあるのだと誤解している。人でなしになっている。
 それでも永原沙綾はきみ自身を構成する大切な過去だよ。
「ほんとうに?」
 だんだんだれがしゃべっているのかわからなくなってきたな。
 だから新人賞への投稿で二人称を採用するのはよくないっていつも口酸っぱく言われているんだよ。あたりまえのことだろ。視点がぶれている時点で書き手の技術はお察しじゃないか。見なよ、きみの文体はこの章に入ってからというもの、どんどん不安定になってきている。物語を支える筆力がないんじゃないか。そもそもきみはなにを書きたいんだ。ミステリなのか。SFなのか。それとも純文学なのか。物語はちっとも面白くなろうとしない。いったいこれはなんなんだ。
 わからない。
「じゃあ話を整理しようか」
 いいよ。
「小説を殺してください、ってなに」
 きみはかつて永原沙綾が渡してきた手書きの短編小説を読んだことがある。だからそれを処分してほしいと依頼してきたのだと思っている。もちろんそうではない可能性もあるだろうけれど、現状はデータ不足というほかはない。
 データ不足って、とおうむ返しに言う。
「だから肝心な解決を後まわしにするんじゃないの」
 まさしく探偵の悪い癖だ。そんなふうだから殺人防御率がどうだとか、探偵の名折れだとか、ネットで冗談のように論われて消費される。わかってるのかい、とうんざりしたように深く息をつく。ミステリ界の名誉にかかわることであるから、そう考えて憂いを抱くのも無理はなかった。だれが。だれだろうね。
 しかし現状はそれでも構わない、ときみは冷静に判断する。だってこれはきみ自身を救うための、失ったものを取り戻すための物語なのだから。
 もちろん謎とその解決があれば申し分ないけれど、それがなくともきみの物語はきみ自身のもくろみの内部において論理破綻はしていないはずだった。こうしてことばが綴られている、その事実が、インクのふくらみこごりがあるだけできみは大丈夫だよ。やっていけるよ。ミステリの細工が施された物語としてこれは認識され、構想され、いまも記述されているんだよ。
「それにしては死体のひとつも出てこないじゃないか」
 文学がすぎるかな。
「文学がすぎるよ」
 読者が期待するのはロジックの連鎖によって世界に穴を開けてやることだろ。永原沙綾だってそう言っていたじゃないか。非合理的なまでに合理的であること。そしてそれによる世界の領域の、解釈の拡張。それだけだよ。謎と論理のエンタテインメントに作者の自意識といった夾雑物はいらない。はっきり言って邪魔でしかない。
 だからさ。
「結局、きみは小説でなにがしたいの?」
 きみはいっときのあいだ黙り込む。それから口を開く。
 あとがきを書きたいんだ。
「は?」
 そこで探偵がはじめて戸惑う。マグリットの虚無の相貌にしわが生まれる。
 あとがきだよ、ときみはふたたび答える。
 物語の終わりのつづきのようで、虚構と現実のはざまのようで、どちらでもない場所。あってもなくても関係のない空間。バックスペース。だとしても、きみはあとがきを読むことでなぜか妙に安心してしまう。たぶん、疑わなくてもいいことばで書かれているから。そこには作者と読者のだまし合いのゲームといっただれひとり守っていないお題目すら存在しない。ただ伝えたいことばだけが簡潔に綴られている。だからきみはそんな小説が書きたいのだといつも思っている。
 もちろん、ときみはつづける。
 人生にあとがきなんてものはない。そういう意味ではあとがきも虚構の側に属している。けれど明確に異なっている部分がひとつあるのだと知っている。
「それは?」
 あとがきは先行する物語群に、あるいはそれを読んだ読者の現実に影響を与える。いや、決定的なまでの変容をもたらす。書き換える。あとがきを読んだとき、きみはいったん完結した物語にあるはずのない余白を、影を見出してしまう。それは作者自身の韜晦であったり、語られることのなかった裏設定であったり、作品の成立経緯であったりする。けれどそうした些細な周辺情報は、きみの物語への解釈に、不可逆なかたちで濃い補助線を引いてしまう。それはほとんど暴力的なまでに。
 にもかかわらず、きみはそれを読んで安心してしまう。そんなひどい矛盾があるだろうか。だからあとがきはほとんど小説であって、小説でない。現実でも虚構でもない、余白そのものが世界の余白を生み出していく。開かれたことばの運動。どこまでも合理的に非合理な拡張。あたかも詩人が夢に見た中間休止そのもののようだ。
 つまり、と探偵は結論づける。
「きみは永原沙綾の人生にあとがきを、余白を加えたいのか。ふつうの小説が書けなくなってしまったから。代わりにそれで約束を贖おうとしている」
 わからない。
 それでもきみはこの私小説めいたメタフィクション、ミステリ、いや、あとがき(とにかく名称はなんでもいい)をここに書き記して、なにかを終わらせようと、はじめようと勘違いしている。それが永原沙綾の願いを叶えるために必要な祈りの手順なのだと誤解している。かきかかれるかたりかたられるころしころされることばの関係を約束のように取り結ぶこと。それだけが小説を殺すことにつながる。そしてそれが小説を取り戻す唯一の手立てなのだと信じている。あるいは錯覚している。
「でもそれって傲慢じゃないか?」
 違うよ。
 小説を読み書くような人間はだれもが傲慢であるという事実が先にあるだけだよ。
「永原沙綾でさえも?」
 もちろん、ときみは肯定する。
 これは最初からそういうかわいそうな人でなしの物語なんだよ。

   *

 ゴールデンウィークにはふたりで葉山に出かけた。
 JRを東に乗り継いで、横須賀線の逗子駅で降りる。そこからロータリーの京浜急行バスに揺られながら広い道を南下していく。地方銀行や飲食チェーンの並ぶ駅前から離れると背の高い建物たちはすんなりと影をひそめ、次第に車社会をひたひたと思わせる県道沿いの風景へと移ろっていく。UVカットガラス独特のくすんだ色味を通じて、わたしたちはちいさな町薬局や整骨院、業務スーパーたちを、はじめて訪れる町の生活層を眺めていく。やがて道の先に葉のふくらみ茂った巨獣めいた丘がのぞき、そこを突き抜けるトンネルをくぐっていった。やや古めかしいナトリウムランプの橙がアスファルトに反射した、その向こうがかつての保養地だった。戦後、堀口大學が亡くなるまで暮らしていたという土地。うみべのまち。
「なんにもないね」
 なんだ、わたしたちの町と変わらない、となぜかうれしそうに永原は笑った。たしかに停留所の周囲は広がる森のみどりがせまり、それらの勢いを消せないままに個々の住宅が建ち並んで町の情景をつくっていた。発展していない土地というよりは、意図的におさえられている、という印象があった。山と海のあいだにある、わずかな生活圏だけを選択したことで町並みを構成しているのだと思った。
「なんにもない、はさすがに失礼だよ」
 と、わたしはそれでも反論を述べる。
「ここには美術館がある」
「へえ、文化だ。じゃあそっちの勝ちだね」
「だれも勝負はしてないよ」
 日陰と日向とを縫うように川の流れに沿って歩き、海の見える喫茶店にたどり着く。テラス席がいいよね、と迷わずにウッドデッキを永原が指さしたので、それに粛々と従う。からりと晴れた心地のよい日で、まだ初夏の気配もすくなく時折吹いてくる甘辛い潮風がさらさらと澄んで肌をくすぐり、そのそよぎがわたしたちをわらうたびに永原の長い前髪が鈴音のようにやわらかく揺れた。彼女のうすあおいデニム生地のマキシワンピースがその半袖から伸びるしろい腕が天球の青磁と淡く調和してゆかしく、やがてこれからじっとりと肌をなめる雨季となっては地を木々をせかいを圧するあの激しくまばゆい対照の季節がやってくるとは到底信じられなかった。
 海鳴りがきこえていた。遠い日向の彼方であおとしろとあおのあわいのなかに途切れゆく水平線までもがその打ち寄せる音に包まれて、けれど日差しのレンズフレアめくひろがりまぶしさをどう表現したらいいのだろう、と思いながら勇士のごとく銀色のスプーンを構える親友と遅めの昼食をスマートフォンで撮影する。
 窓辺に備えられたオーディオスピーカーからはFMラジオが流れていた。出会ったことのないどこかのだれかのリクエストした楽曲がしめやかに再生されるところだった。そのタイミングで永原が、あ、と唐突に口を開いた。
「これ、知ってる」
 匙を指揮棒のようにすっと立てて、名曲だよ、と今日のためにわざわざうすくほどこした化粧顔をほころばす。浅い波のようにわずかに揺れるトレモロのかかったキーボード、そこにエレキギターの透明な単音が織り重なる。フレーズは小節ごとに短く滔々とくり返され、次第に肩を揺するリズムの波を立てていく。彼女の視線は焦点をしぼらずその耳だけをじっとしずかにそばだてている。
 鳶色の虹彩をそっと見つめつつ、こちらも追って聴き取ろうとしばし努めた。すでにイントロを終えて、四つ打ちのチープなドラムが走りだし、角のとれたピアノ音がさらに重なってアンサンブルがうたいだす。音楽に、なる。一音ずつの連なりが膨らみそれでいて男性のやさしげなウィスパーヴォイスを邪魔しないのがよかった。いい、ね。すごくいい、と音の震える先が見えているかのように彼女は視線を遠く泳がせる。
 これって、とわたしは訊ねる。
「なんて曲」
「なんだったかな、紫色のジャケットで、長くて名前の憶えづらいバンドのセルフタイトルだったはず。たしか二曲目。レスラーの覆面をつけた男の人に女の人がキスしてるやつ」
 そうどこか適当に答えながら、いただきます、とスプーンと合わせた両手で十字を象る。カロリーの暴力めいた揚げ物とオムハヤシの山頂を豪快に崩しはじめる。
「なにそれ、冗談」
「いや、ほんとにそういうやつなんだってば」
 こちらの突っ込みに相手は苦笑する。どうもうまく伝わらないねえ、と困ったように肩をすくめる。それからお互いにおかしくなってくすりと噴きだしそうになったのち、いくぶんか量の多く感じられたプレートランチをたいらげた。
 午すぎに開店すると聞いていた目的の古書店は、県道と国道のあいだにある図書館からほど近い坂道にぽつりとひとつ建っていた。知らなければきっと通り過ぎてしまうくらいには素朴なクリーム色の店構えで、ガレージを改築したのか大きな窓はなく内部はみえず、表にステンレスのドアがひとつあるだけだった。
 本買い取ります、という看板の文字はかすれたまま長らく放置され、そのとなりにあるふたつのカラーボックスに本が並んでいることでようやくそこが書店だとわかった。風雨と陽光とで劣化した棚の上には、百円均一、とマジックで記されたダンボール箱がのっそりと置かれ、そのわずかによれた箱と棚のなかにうすくなった赤青緑黒水色白の背表紙のハヤカワミステリSFNV文庫しろうすみどりピンクオレンジきいろあおむらさきの創元推理SF文庫をはじめ扶桑社ミステリー現代教養文庫などといった古い訳の書籍たちがところせましと挿し込まれていた。
「なんていうか、思ってた以上だね」
 どうしよっか、と永原は棚の前にしゃがんだまま膝頭に腕を乗せてにへらと笑った。わたしたちのふだん通っている古書店といえば大型チェーンのそれか、商店街の隅にあるようないつ潰れてもおかしくないくせにラインナップは代わり映えせずどうしてつづけられているのかわからない店だったから、ここまで本格的に欲しい書籍がそろっているところははじめてだった。この段階でこれだけのものがあるのなら、屋内にはさらによいものが眠っていると推測するのはむずかしくなかった。
 鞄に入れている財布の残額をわたしはそっと計算する。海外翻訳のハードカバーやめずらしいポケット・ミステリとなれば、数百円というわけにはいかないだろう。
「予算足りるかな」
「五千円、いや六千円までなら行けるよ。帰りのバスは諦めて徒歩にしよう。逗子駅前のスタバで駄弁るのもパス。遠足気分はここまで」
 永原は立ち上がって白い麻のデイパックを大仰に構え直し、そう決然と返した。
「わかった」
 うなずき、わたしたちは宝探しに取りかかった。最終的にどれだけの本を均一棚で買い込もうとしたのかについては、わざわざ語るべき内容ではないだろう。
 古書店のなかに入ると、そこは想像通り、ガレージと民家の一階部分の壁を取り払って広い一室にした空間だった。それをあたかもパズルのピースで埋めていくように、できうるかぎりのおおきさを誇る本棚たちを並べ、それぞれ背を高く天井にまで伸ばしていた。隅には未整理で値のつけられていない本たちが紙袋やダンボールに入ったままおびただしく残っていて、店主の趣味なのか、さらさらと降る霧雨のような鍵盤音楽が流れていた。分散和音を弾く際のこすれる木の鳴りも、ペダルを踏み込み戻したときのごとりとしたあの重い音も空気のなかに自然とふくまれていて、それが古書たちのつんとした香りとほどよく入り混じっていた。
 素敵だ、と思う。小説の類だけではなく、思想書、雑学本、料理研究書、スポーツ指南書、科学書、エッセイ、絵本、児童書、写真集、絵画、詩歌、俳句、文芸評論、ノンフィクション、ファッション、エトセトラ。いったいどうしてこんなにもさまざまな本たちがせかいがいっとき一か所に集まっているのだろう。
 わたしは本で詰まった棚を前にして蕩けている友人に声をかける。
「ミステリ以外も見ていい。親が探してる本があるの」
「いいけど、わたしも探そうか?」
「ううん、見当つくから」
 そっちはなに買うか決めといて、とわざと役目を振ってやる。承知したと相手がうなずいたのを確認し、わたしは本と本のすきまを歩く。積もった時間が堆積しこごり固まり、あたらしく読まれることを待っていることばたちの、化石の海を回遊する。それはにおう。本に持ち主の、すごした日々のにおいが宿るということを気づけばわたしは知っていた。紙の束が文字のかけらたちがその以前の姿のように呼吸しぬらつき繊維のなかに個性の歴史を、みえない潮だまりをつくっていく。だから足を誘われる。よごれや折れ目や擦り傷たちが切子面のようにけざやかな装いとなってその身のなかに混じってひとつの声になる。だから呼ばれる。
 透明なビニールに包まれた、四六版よりもひとまわり小ぶりな詩集たちが並んでいる。背表紙の名前をつらつらと追う。ポール・エリュアール、ガルシーア・ロルカ、ライナー・マリア・リルケ、オクタビオ・パス、エリザベス・ビショップといった外国人の名前たちには馴染みがないどころか、石垣りん、入沢康夫、吉増剛造、天沢退二郎、堀川正美、那珂太郎、黒田三郎、白石かずこ、多田智満子といった日本人と思わしき名前たちもさっぱりわからない。けれど不思議とどれも漢字やひらがなの持つ柔軟さ硬質さ、音の響きが心のなかにするりと染みるように入ってきて、いつかこれらの詩を飽きるほどに日々うたいかわせたらうれしいだろうと思えてしまう。それはうつくしい余白に、あおい青い野原にみえた。
「あ」
 と、思わず声をこぼす。
 棚のなかの、たった一冊と目が合った。海辺に転がるまっしろな軽石のように細かいざらつき凹凸のあるカバー用紙。そこに蛍光ほどに主張はしないものの綺麗な発色のクリームの帯が巻かれていた。そしてなによりそれらの見事な装丁はコーヒーと思しき染みによって盛大によごされていた。だからうつくしさに惹かれたわけではなかった。自分が知っている名前が唯一、偶然そこにあった。
 永原から勧められて読んだとある推理小説の各章題として引用されていた詩人。そのひとの選集だった。『パウル・ツェラン詩文集』。飯吉光夫編・訳。発行元は白水社。帯裏にはターコイズブルーの明朝体で本文からの短い引用が綴られていた。もろもろの喪失のなかで、ただ「言葉」だけが、手に届くもの、身近なもの、失われていないものとして残りました。その文言に惹かれつつ最終頁をそっと開くと、水色の遊び紙の右上に濃い鉛筆で、500、と書かれていた。汚損本のためか、最近の本であるのにあまりにも安い値に設定されていて、ついありがたいと思ってしまう。
「すみません」
 レジで本を読んでいる店主に声をかけ、わたしはツェランの詩文集を買い取った。すぐさま永原に見つからないよう丁寧に鞄のいちばん奥へとしまい込む。
 だからそれが彼女への、最初で最後のプレゼントだった。

   *

 おそらく十数年ぶりの葉山だった。
 この物語は現在進行形でつづいている。だからこの記述は同時に、小説を殺す、という永原沙綾の願いを叶える手順を進めている。
 けれどきみは次第に勘づきはじめている。小説を殺すことの難しさに。あるいはそのほんとうの意味に。その証拠に、きみはこうして物語の舞台にやってきても、なにひとつ懐かしさというものを感じていない。それならきみは、いったいどこにいるのか。この文章を書いていることが仮に事実であるのなら、やはりきみは自室のPCデスクの、あのまぶしいライトの下にいるということになるのだろうか。
 あのさあ、と探偵がきみの背後でふたたび口を開く。
「もうすこし時系列を整理して記述したらどうだい。ちゃんと読者に伝わるように」
 たしかにそうかもしれなかった。
 あれから二週間が過ぎていた。つまり永原環から『パウル・ツェラン詩文集』と配達されなかった一通の手紙を受け取り、二週間が経っていた。きみは週刊誌のバックナンバーを探していた。当初はアマゾンの通販かネットオークションあたりでどうにか済ませようとしたものの、さすがに埒が明かず、結局は世田谷にある大宅壮一文庫にしばらく通い詰め、必要な資料にあたることにしたのだった。
 そして、きみはすでに目的の文章を見つけていた。
 ――神奈川県某市 女子中学生が母親を殺害 その残虐な手口にせまる
 ひどくつまらない三文記事だった。プライバシーには丁寧に配慮がほどこされ、個人名は伏せられつつも、センセーショナルな味を失わせないようにするための惹句は欠かしていない。よくもわるくも手慣れた修辞の羅列だった。
 そこでの記述を総合すると、次のような事実が読み取れる。
 当時中学二年生だった永原沙綾は、じつの母親を殺害し、その明くる朝、夜明け前に遺体の両手を包丁で切り落とした。そしてそのふたつの手を携え、自転車に乗って神奈川県中央部に流れるおおきな川に向かい、その身を投げ出すようにして飛び込んだ。目撃者はいなかった。台風一過のその日、川は増水しミルクを注いだコーヒーのようににごっていた。その深いふかい七月の色に、彼女は落ちた。だからそれは、もうだれのねむりでもなかった。遺体は遠く離れた下流で発見された。けれども切り取られたはずの両手だけは見つからなかった。
 けれども記事を読んでも、きみはもう、永原沙綾の死の理由までを訝りはしない。彼女がずっと抵抗を試みていたこと。その予兆にかすかでも気づけていた可能性があったこと。それを目にはみえない手がかりのようにして、もしくはその一方的な手触りを秘密にして、きみは過去のなかに思い出をそっと隠して生きてきた。
 だからきみは、ずっと目を背けていたことを、安全な日常を選んだことを、いまこうして糾弾されることになる。小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います。そのことばの意味を、もっと理解しておくべきではなかったか。他者の痛みに鈍感であったことに、きみはもっと自覚を持っておくべきではなかったか。
 でもさあ、とそこで顔のない白衣の探偵がまた訊ねる。
「これってぜんぶきみの創作なんだろう?」
 たしかに小説という形式を採用している以上、あるいはそうかもしれなかった。じゃあこれ以上つまらない言葉を使うのはやめようか。だってきみはすでにこう書いていた。小説を読み書くような人間はだれもが傲慢であるという事実が先にあるだけだよ、と。だからそれがほんとうであって、実際であって、形式である。この一連の文章は、きみが人でなしであることを証明する、ただそのためだけに記述されている。
 そしてきみはその傲慢さによって、過去の出来事を、あたらしい物語をたどりはじめたのだった。そう。だからこれは、執筆のための取材なのだった。
 新宿から西へJRを乗り継ぎ、逗子駅で降りる。ロータリーから京浜急行バスで南下する。地銀や飲食店の並ぶ駅前から離れ、県道を走る。町薬局。整骨院。業務スーパー。生活層。丘。トンネル。ナトリウムランプ。その向こう。うみべのまち。
 懐かしいはずがないのも当然だった。だってきみがほんとうにここを訪れたのは、これまでの人生でたった一度きりしかないのだから。だからきみは物語を見失う。神奈川県道二〇七号と国道一三四号のあいだにある葉山町立図書館に着いたのに、あの霧雨のような音楽の流れる古書店が、その近くのどこにもなかった。
 そうか、と探偵は思いがけず証拠品を拾ったときのようにつぶやいた。
「これはきみが筆をあやうくすべらせて、思いつきをそのまま記述に採用してしまったということなのか。だからその結果として、現実との矛盾が生じている」
 ならば永原沙綾という少女はかつてほんとうに生きていて、きみの前で息をしていたと証明することはできるのだろうか。二週間前にきみが会ったという永原環という姉の存在でさえもじつは空想の産物でしかなくて、週刊誌にたまたま載っていた三文記事をきみは勝手に借用しただけだったのか。その疑いを、あるいはその潔白を、しかしいま書かれているこのことばの記述そのものによっては決して証明することはできないのだった。
「まるで後期クイーン的問題だな」
 わるい冗談のように、白衣の探偵はきつく笑った。それでもなお、きみはあの五月の旅路をふたたび描こうとする。記述の反復可能性を証明しようと試みる。ふたりのあいだの、たったひとつの約束のために。小説を殺してみせるために。
 だから、しずかに、あの本を取り出してみる。
 茶色くよごれてしまった、『パウル・ツェラン詩文集』。そして、きみはその本を開いたのだった。うす青い糸に導かれて。だからその頁には、こう記されていた。
 ――祈りの手を断ちきれ
 そのことばに呼ばれていた。だから最初から最後まで、すべてがつながっているのだとようやくそこで気がついた。きみはあたらしい章に移っていく。
 祈りは次の手順へと進む。

   *

 海へ行こう、と永原が言った。
「どうせバスには乗れないんだしさ、せっかくだから海辺を歩こうよ」
 古書店をあとにしたわたしたちは、さらに南にあった神奈川近代美術館を訪れていた。中学生は入館無料であったからその待遇を満喫してきたのだった。
 美術館で思いのほかながい時間を過ごしていたのか、外に出たときにはすでに空のいろが夕景のそれに移ろう気配をみせていた。屋内にいたときは気づかなかったものの、通り雨が降ったらしい。県道のアスファルトはわずかににじむように濡れて罅たちを静脈のようにくろずませ、ところどころの凹凸が淡いひかりをにぶく空に返していた。いっぽうでわたしたちの影はあおい色をしのばせはじめた。
 北へ、北へ。海岸通りをさかのぼる。
 鞄をふくらませた本たちの、紙の、肩へと沈み込む重みが汗ばむ火照りとなってにじんでいく。夕風のつめたさと落ちていく日差しのあかるさの境界が溶け、うろこのようにきらめく海に混じりだす。みはるかす水平線にはしろい灯台とあかい鳥居が、さらにその向こうで江ノ島の濃い輪郭がひかりを不器用なほどに切り取っていた。
 乗らなかったバスの、テールランプがほのかに淡くあかるくなっていた。その背中を見送った。雨降りのあとの町は、土草たちのぬるい香りに満たされていた。
 唐突にふたりして、のどかわいたね、と目配せをする。一本のジュースを自販機で買い、交互に分けて飲み合った。せかいがむらさきに染まっていく。こうして一日があたりまえのように終わっていくのだと思うと、胸の奥がつんと辛くなった。なんでもないような相づちがいつまでもできたらよかったのに、とつい願ってしまう。
 橋を渡り、道を脇にそれる。だんだんと海が近くなる。波音が響く。
 数歩先を歩く永原のデイパックも白から夜の青に色づいて、そのまま暗く溶けていくようで、消えなかった。その色がにわかに揺れた。あのさ、と彼女が言う。
「さっきのバス停のところさ」
「うん」
「標高三・八メートルなんだって。書いてあった」
 コンクリートの階段を降りて、浜辺に着く。そのいちめんの砂のせかいを、おなじ距離を保ったまま、ふたりで歩く。永原のスニーカーは綺麗な白だったから、きっとすぐによごれていく。それでも彼女はこの道を選んだ。夕暮れの時間が終わったせいか、そこにわたしたち以外の人影はなかった。ただただ海と砂があるばかりだった。
「それがどうしたの」
「またいつか、おおきな波が来たら、ぜんぶ呑まれちゃうのかな。コンクリートで高い壁をつくる暇さえなくて、消波ブロックを乗り越えて、警報器が鳴る。ひとが逃げて、遅れて。おおぜいのひとがまた悲しむ」
 そう、彼女は怖ろしいことを口にする。
 けれどもそれは、なにかの前置きのようにも聞こえていた。だから目をそらさないように、あるいは声を聴き逃さないようにすべきだと思った。
「つづけて」
「亡くなったお父さんがね、それでいろいろと悪いことをしてたんだ」
「悪いこと」
「阪神淡路のときに、救える人があらかじめわかってて、すくって、対価を要求したり、そういうの。それでおおきな組織をつくった。それで王様みたいになった」
 ううん、違う、と彼女はそこで訂正し、言い直す。
「神様になっちゃった」
「永原」
「でも、神様はあっけなく死んだ。いつのまにか、わたしは神様の子供になった」
 だから、と親友はつづける。
「わたしの家はちょっとおかしくて、そういう組織のなかの権力争いみたいなのに巻き込まれちゃってて。まあいちばん上の場所にはもういられないんだけど、それでもお母さんは諦めてなくて。だからおおきな地震がまた起きそうな場所を選んで、下準備をするようになった。そういう経緯でいまはあの町に暮らしてる」
「そう、なんだ」
 いっとき考えたものの、大した返答は思いつけなかった。子供という身分では、それはあまりにもどうにもできないことだとしか、わからなかった。
 ねえ、と訊ねることにする。
「なんでそれを話してくれたの」
「信じてくれるかなって」
「どこを」
「強いて言うなら、神様の子供のくだり」
 見て、と彼女は海に向かって歩き出す。デイパックを地面に落とし、靴を一足ずつ脱いで、靴下もそうする。視線の先には、夜の空気を吸って紺にうねる波があった。
「なにしてるの。危ないよ」
「助けにいくの」
 そのために来たんだ、と彼女は答える。
 表情はその暗さに紛れてしまってわからない。けれど声には怖れも高ぶりも決して含まれていなかった。ひどく冷静なのだった。次第に視界に慣れてくる。すると打ち寄せる波とは違う、まるい輪郭が汀のなかに横たわっていることに気がついた。
 二、三メートルほどだろうか。
それはくろい、海のけものに見えた。そのなめらかな身体の表面には、チョークで殴り書きをしたようなしろい線が無数に走っていた。それは水族館のような場所では決してみることのない、図鑑にも、絵本にも描かれることのない傷なのだった。
「イルカ?」
 ううん、と永原はかぶりを振った。
「たぶん、ハクジラ。イチョウハクジラかオウギハクジラ、ハッブスオウギハクジラのどれか、だと思う。原因はわからないけれど、漂着したんだ。専門的にはストランディングっていう。きっとまだ息がある。助けないと」
 言いながら、彼女はすでに波のなかに足を踏み入れていた。その地面の感触に慣れてないのか、途中で転びそうになる。見ていられず、わたしも靴を脱いで海に入る。ぬるりとした海水と砂とが皮膚の表面に蛇のように絡んでくる。ちゃんと底があるはずなのに、どこまでも吸い込まれてしまいそうな感覚に陥る。
 あのね、とそこで彼女は説明をつづけた。
「海岸に漂着した海の哺乳類は、死んでいたり、漂着したあとに死んでしまった場合、自治体の判断で粗大ごみとして焼却か埋設してもいいって国から通達が出てる。わたしはそういうのが嫌で、もちろん剥製にしたり解剖したりするのは学術的に意義のあることだけれど、単純にわたしは、この子を海に帰してあげたい」
「ごめん、なんでそんなに詳しいの」
「調べたから」
「調べたって」
 そういう問題ではないだろう、と内心で思う。まるで最初からここに鯨が漂着することを知っていたような口ぶりだった。いや、まさかそういうことなのか。
 とりあえずその思考は忘れ、そのけものを見やる。
 すでにくろい身体から、海のいろとは違うものが流れていた。あたりにはいきものの死んでいくにおいが、鉱物めいたにおいがインクのように濃く立ちのぼっていた。それを吸う、わたしの肺腑がおののきはじめるのが嫌でもわかった。
「専門家に連絡は」
「ここからなら新江ノ島水族館だと思う。けれどきっと間に合わない」
「じゃあどうすれば」
「見てて」
 その場にしゃがみ込んだ。波をかぶるのをいとう、そのためらいさえなかった。そしてしずかに目を閉じた。彼女が海に溶けていく。そんな妄想がなぜか浮かんだ。
「永原」
 彼女は両手をだまって重ね、組み合わせてひとつにした。
 そのとき波が、止まった。ように見えた。
 くらくうねる海のなかで、息もしているかさえわからなかった、そのくろい身体がむせぶように震えはじめた。きえかかっていたいのちがうごいていた。
 それはひれをうごかした。
 海と呼び合うように、なにかを発した。
 なにか定義のできないものたちが、相互につながりはじめていた。
「言葉だ」
 なぜだか不思議と、わたしはそう理解した。してしまった。それはだれもきいたことのない、うみのことばなのだと思った。なんと言っているのかはわからない。けれどことばだ。ことばが海と、波とたわむれるように混ざり合う。
 ことばのからだがふるえる。
 永原はきっとその意味を知っているのだとおもった。
 かの女のからだと、けもののからだとが、うみをとおして、うみおとして、みおとして、おととして として  して   しはじめる。ゆらぎとけあいだしている。ことばのじかんは じかんのことば となって  ことば  と  ことば  のあいだ のじかんは  だんだん  こうして ひ ら い て ゆき また ちかづいていきます。それはまるで、なみのようみのようのみのようになってあたかもいみのないみのないみないないものばかりになって浮かんでは沈むのをくり返しこうしていまもかかれよまれ約束されているのです。
 わたしはそれを見つめていた。
 帰っていく、と思った。思ったとしか書けなかった。
 一分ほど、なにも言えなかった。なにが起こったのかもわからなかった。
 永原、とそれからようやく訊ねる。
「なにしたの」
「あの鯨は物語になった。だから死なない。もちろんしばらくのあいだだけ」
 冗談みたいでしょ、と屈託を込めて笑った。
 それは皮肉めいた感情のうねりも、それをおしころすための気遣いも、怒りも、悲しみも、喜びも、ぜんぶ一緒くたになっているのだった。だから、まるで海みたいだ、と思った。海みたいに彼女は笑っていた。あるいは彼女こそが海そのものだとわたしはきっとはじめから知っていたのだし、最後まで知らなかった。
 彼女のまっくろな輪郭は、だからほとんど海と一緒だった。
 わたしにはね、とくらやみがしゃべった。
「ふつうの人にない特別な、不思議な力がある。だからね、あの秋の放課後にきみを図書室に招いたのも、このわたしなんだよ」
「どうして」
 と、だからまるで痴れ言のように訊ねるしかなかった。
 もちろん、と彼女は微笑んだ。そのはずだった。
「ほかでもない、きみに読んでほしい小説があったから。そうだよ、いまきみがこうして読んでいる物語のことだよ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、この場所に、このことばの海にきみを引きずり込みたかったから。こうしてきみと一緒にいたかったから。だから」
 やっとここまで来たんだよ、と謳うように告げる。
「わたしたちの計画はもうすぐはじまって、そして終わる」

   *

 そう、だからきみはこれを読んでいる。ことだろうね。
 ごめんね。驚かないで。怒らずちゃんと聞いて。いま、きみはどこにいるのだろう。宵闇がひたひたと潮のように満ちる、ひとり鍵を閉めた寝室、そこにひとつ灯したベッドライトのベージュいろのひかりのなかだろうか。それとも午ひなかの真白に染められた路上をのぞく、喫茶店のうす明るい窓辺だろうか。あるいは電車の毛羽だったシートの上に座って、暮れゆくオレンジの日差しに身を包んで、このことばたちと出会っているそのさなかだろうか。
 聞こえますか。このことばが読めますか。この意味がわかりますか。しらじらしくのこった紙の表面についたインクのこごりふくらみ黒い線のうねりに指を這わせることができますか。そうであればいいな。いいよね。そうでありますように。そうなのです。これは投壜通信です。きみに向かっていまこうして物語を届けています。
 だからきっと、きみはこうして読んでくれる。これを。このことばたちを。そして同時に読み間違える。読み損じる。きみでさえ、いや、きみだからこそ、かな。これは予言です。でもきみはその意味さえ簡単にまた違えてしまう。これもまた予言です。
 なぜ疑いたくなるかはわかるよ。だっていまこのとき、つまりこの頁のこの行のこの文字の群れに出会っているというきみの主観的な事実は、ただ現在に起きている出来事をきみの視点から記述しようと試みただけの、メタ小説でしかないのだから。
 そうしてきみはきっと、これを、この半年のあいだにわたしたちが経験してきた出来事からの書き写しでしかないのだと、あるいはどこか不思議な形式の私小説だと誤解する。あの秋の琥珀色に染まった放課後から、初夏を前にした葉山の紺いろの海に鯨を帰したあの日までの手記そのものだと勘違いしてしまう。そうして一人称の物語はここで終わる。書かれたものはもう声にはのらないから、うしろへ、とか、あとで、といったつましい嘘をひっそりと呟くだけだ。なんてね。
 いや、これはとある詩からの引用改変だけれど。でもほら、いま、こうしてきみの声のなかに、ありありとそれはのってみせたことでしょう。だからこれは物語なんだよ。きみの。きみだけの。これを読んでいるきみ自身の。それは物語の終わりではなくて、終焉の物語のはじまりにすぎないから。だからここで、ようやくきみは気づくことになる。――これはわたしの物語だ。
 とはいえここであらためて、わたし、、、きみ、、に謝らないといけないよね。だってこれまで、この小説における二人称パートにおいては、文章の書き手および語り手という存在を、あたかもきみ自身であるかのように装っていたから。
 そう、そうなんだ。きみだよ、きみなんだ。中学一年の秋に偶然のようにクラスメイトに肩を叩かれ、そのひとが好んでいたミステリと出会い、呑まれ、狂わされ、アラサーの小説家志望になっていたきみが、かつての自分に感情を投影して、シンパサイズして、あたらしい物語を書きはじめる。そういう筋書きにしてしまった。まるで嘘をついたようにみえるよね。たしかによくなかったと思う。ごめんなさい。
 でも、もうすこしだけ考えてもほしい。
 これはほんとうに予言なんだ。
 この物語は、これから、きみの身に起こる出来事の記述へとつながっていく。だってそうでしょう。だっていま、きみはこうしてこれを書いている。だから予言は成就している。大人になってからようやくきみは気づくことになる。この頁で、この段落で、この行をみずから書いてしまったことで。
 なぜならほかでもないきみ自身が、わたし、つまりこの永原沙綾という女の子を物語におけるもうひとりの語り手としてメタレベルに登場させて、この文章を書いているふりをしている、とプロットレベルで理解している。そういう物語を、すでにきみは読んでいた。だからこうしてこの記述がいまもこうしてしらじらしくも成立している。そして同時に、きみはこの物語を十数年後に書き直している。
 ねえ、この意味がわかる?
 ほら、家のなかを、部屋の奥をしっかり探してみなよ。きっと見つかる。ぼろぼろになった、手書きの原稿用紙の束が残っている。永原沙綾が渡してきた手書きの小説だよ。一言一句どころじゃない、句読点の打ち方さえまったくおなじものが現れているはずだ。だからきみはわたしの小説を読んで、それを知らずしらずのうちに頭のなかで反復し、文体を模倣しただけにすぎなかった。そうやって「夏の結び目」というSFを書いた。そう。だからあれは、いわばわたしの文体のデッドコピーだったんだ。そうしてきみはいまふたたび、あたかも現実の書き写しのようにみえた嘘と真実をまた書き写してはことばの海に返そうとしているんだよ。
 だから正確を期するなら、次のように言い換えたほうがいいかもしれないね。きみはいま、、、、、この、、アフターワード、、、、、、、という小説を読んで、、、、、、、、、そして同時に書いている、、、、、、、、、、、
 これが唯一の真相なんだよ、ワトスン君。いつからきみ自身が探偵の側にいるのだと思っていたのだろうね。わかったかい、だからこれは予言なんだ。
 さて、きみはこの段階に至って、遅ればせながらようやく物語の意味に気づいてしまった。だからこれを、この小説を、ふたたび殺そうともがきはじめる。おそらくきみは、この文章をさかのぼって、永原沙綾という存在の足跡を無理やり消しにかかったはずだ。わたしをぜんぶフィクションに、イマジナリーな存在に、架空のせかいに押し込めて、嘘にしようと考えた。そう。こうしていま、きみ自身が物語の筋を書き換えようとしているみたいに。
 とはいえそれじゃあ駄目だ。ぜんぜんだめ。うまくいかない。それは砂の上に残った足跡を消すようなものなのだから。そうすれば当然、きみのうしろにまた足跡ができてしまう。それもまた予言されている。まるで下手くそな推理小説の筋みたいだ。これは終わりのない追いかけっこになっている。
 だからさ、その足跡なんだよ。
 それがこのわたしなんだよ。
 だから、殺して。今度こそ。このわたしを。この小説を。完璧に。
 だってあのときは、わたしが死んだときはうまく殺せなかったでしょう。きみはひどく優しいから。あのとき受け取った原稿を、ことばの群れを部屋の奥に、こころのなかにそっとしまって、塞ぎ込んだことも、悲しんだことも、おののいたことも、きみ自身がその余韻のなかをずっと生きることさえも、ぜんぶ無理やり忘れようとした。まるで夜明け前の海みたいに。すべてを溶かし込もうとしたでしょう。
 でもそれは、きみの唯一の失敗だった。
 あやまちだった。だからこうして、ことばを詰めた壜は時間をかけて届いてしまった。いまもまだその中身は、その名前は溶けないままに息をしている。
 だから次こそは、間違えたりしないで。
 うん。わざわざ優しくしなくていいよ。だからさっさと殺してごらんよ。
 ことばをあとにしてごらんよ。

   *

 永原沙綾は神様の子供で、不思議な力を持っている。
 じっさいにこうして言葉にしてみると、まったく笑えない冗談だった。けれどわたし、、、はこうして、彼女の書いた小説を間違いなく読んでしまっていた。かつての自分の経験にあった出来事や景色を参照し引用し、いまここにある小説というものを透かし絵に向けられたひかりのように見つめていたのだった。
 だからなにもかもが、わからなかった。
 これがほんとうに永原のいうとおりの予言であれば、わたしは彼女の親殺しをだまって見過ごしてしまったということになる。それどころか、永原自身の自殺を止めることさえできない。ではそれらをかつて経験したというわたし自身がいずれ書くことになるという、この小説とはそもそもいったいなんなのだろう。この文章この行はこの文字はいったいいつどの時間で書かれ読まれているのだろう。ならばわたしもこうしてまただれかにかかれよまれているのだろうか。
「あなたはどう思いますか?」
 わからなかった。
 どうしてわたしは大人になって、これを書き直そうと思ったのだろう。未来の自分からしてみれば、ぜんぶ終わったことであって、しかもそれを嘘に変えようと考えている。いや、じっさいに小説にしてしまうのだから、それはむしろ現実にあったことになるのだろうか。そもそもこうして、なにかみえないものをみえないものから取り戻そうと、あるいは取り殺そうとして、物語という文章群を読み書くことになんらかの正しい意図が、あるいは浅ましい意図なんてものが、いまも存在しているのだろうか。文学経験が浅いせいで、それすらまともに判断がつかなかった。
 けれど問題はほかにあった。
 わたしはスマートフォンで現在の時刻を確認する。ほのじろくひかるその画面は、二〇一四年七月十一日午前三時四十五分になるところを示していた。ついさっき前まで、家の外は大型の台風八号による大雨が降り、風がつよく吹いていた。だからきっと、きょうがその予言されていた犯行日時なのだと理解した。
 将来のわたし、、、が調べた情報によれば、彼女が川に飛び込んだのは夜明け前であると推測されていた。だとすれば、あと二十分程度しか時間は残されていなかった。
 嘘であれば、それでよかった。
 もしこれが犯行予告であり、遺書なのだとすれば、全力で止めるだけだった。
 わたしは夜明け前の町へと急ぎ出ていく。
 一人称の物語の終わりに、まっすぐ迷わず向かっていく。

   *

 きみはすでに、さまざまな答えを知っている。
 だからあの夏の日に永原沙綾を助けられなかったことも、あの切り取られた両手がどこに消えたのかも正確にわかっている。そしてきみの会った永原環がはたして現実の存在であったのか、それともきみの妄想であったのかもすでに整理がついている。
「なら、ここから先は解決編なのか」
 マグリットふうの顔のない探偵は、感心するように声をもらした。
 その通りです。
 きみは地面に座ったまま、振り返らずに膝に乗せたノートPCにその解答をタイプしている。いまこうして、この物語を書いている。
 目の前には夜明け前の海がどこまでも嘘のように本当のように広がっている。半島の向こうはほのかにあおじろく染まっている。風はややつめたい。潮騒はうるさかった。だからもちろん、ここはあの十数年前の五月に、きみと永原沙綾が鯨を海に返したその場所にほかならないのだった。だからここが大詰めだった。
 あらゆる謎はようやくこうしてつまびらかに解かれていく。
 二人称の物語はここで終わる。
「なるほど。記述者ワトスンの仕事もじつに大変だったね。お疲れ様」
 違いますよ。
 そう、きみは答える。
「なにがだい」
 だから記述者であるということが、ですよ。
 ですからほんとうは、あなたこそが記述者だった。この物語の作者だった。
「ワトスンはきみだろう。いや、永原沙綾だったか」
 そのどちらでもありません。
「じゃあいったい、このわたしはだれなんだ。結局、この小説はすべてが、きみ自身のつまらない妄想だったという結末で幕を閉じるのか。推理小説ふうの私小説を装いながら、最後にきみの理性は狂ってしまい、勝利しないとでも?」
 いいえ、それも間違っています。
「じゃあなにが正しい答えになる」
 正しい答えなんてありませんよ。
「じゃあこれはいったいなんなんだい」
 解決編です。
 ことばをあとにするための。
 そのためにまずは問題を整理しましょう。ほんとうのはじまりですよ、探偵さん。わたしは、、、、――ここでは織戸久貴という個人のことを指す記号ですが――いったいあの琥珀色の図書室で、なんの推理小説を最初に渡されたのだったか。それがちゃんと答えられますか。思い出せますか。どうぞ推理してみてください。
 もちろん、と探偵はあっさりと返す。
「新興宗教ものの本格ミステリだろう。それがじつは、永原沙綾の複雑な内面と出自、そして最終的な自殺をほのめかす伏線になっていた。候補はいくつか思いあたるね。『殺人方程式』に『誰彼』。あるいは『女王国の城』。このあたりが定番どころのラインナップだ。そういえば『葦と百合』なんてものもあったね。いや、まさか『密室は御手の中』ではないだろう。いちばん筋としては近いと思うけれど、あれは二〇二一年の出版だった。まだあのころのミステリには存在していない。矛盾している」
 ずいぶんと饒舌に語りますね。
「訊かれたからね。真摯に答えてみせたまでだよ」
 そういうことにしておきましょう。ですが、答えはそのどれでもありません。なぜならこのわたし、、、が、織戸久貴がその作品タイトルを憶えていないからです。
「嘘を言わないでほしいな。きみはこう記述したはずだよ。『永原沙綾から渡された本のことはいまもよく憶えている。』なんならそこにいる読者諸氏にきちんとチェックしてもらっても構わない。なにしろこれはミステリだからね。ページを戻れば済む話だ」
 じゃあここで質問をお返しします。どうしてわたし、、、はその内容を憶えているはずなのに、作者名も作品名を子細に記述しておかなかったのでしょう。
「書き忘れたんじゃないか」
 違いますよ。だったらどうして葉山の古書店のくだりで、わたしは詩人の名前をすらすらと列挙できたのですか。その不均衡を論理的に説明することはできますか。
 そう、きみは朗々と反駁してみせる。
 だから結論は逆説的にこう語ることができます。
 つまり、、、あの本には作者名も、、、、、、、、、作品名もまったく記載されていなかったんです、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
「どういうことだ」
 名前のつけられていないものを、正しく名指すことはできません。
 ですから、あの新興宗教ミステリは少部数しか刷られていない私家版だったのでした。そのような仮説が成立します。けれども当時のわたしはまだ小説をまともに読んだことがなかったから、そういう本も稀にあるのだろうと疑問にさえも感じなかった。そしていまのいままで再読の機会を失っていた。なにしろどんな図書館にも本屋にもない小説だったから。探すことも、見つけることもできなかった。
 さて、ここでさらに問題です。
 この名前のない小説の作者はいったいだれでしょうか。加えて補足しておきましょう。永原沙綾は自分が名前のないミステリの作者だとは一度も明言していません、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。この物語の記述は、本格ミステリの求めるフェアネスにまっすぐ貫かれています。
 ならもう答えはわかりますね。
 そうです。
 それはいまここにいる探偵さん、あなた自身がその作者にほかなりません。
 だから永原沙綾はその小説に書かれていることばたちに、世界の構造に、ミステリという形式と論理に、自分の運命を感じ、投影してしまった。彼女はそこに書かれていた奇跡を、自身の人生を正面から否定する理性的な存在者を心から欲するようになってしまった。だから推理小説をむさぼるように読んでいた。予言者であることから逃れようとしていた。運命から逃れようともがいていた。
 しかしこれもまた、正確ではありません。
「どういうことだい」
 はたして永原沙綾はほんとうに予言者だったのでしょうか、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、また、、彼女自身には、、、、、、ほんとうに不思議な力が宿っていたのでしょうか、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
「なにを」
 なにしろ、神の子供はひとりではありませんでした。
 であるなら、そのもうひとりの子供によって、永原沙綾は都合よく操られていたのではありませんか。彼女は自分が力を行使しているつもりだったかもしれませんが、じっさいは力があるかどうかなんて、判断ができていなかったのではありませんか。だからその裏でほんとうに力を使っていたのはべつの人間だったとは思いませんか。
 そうです。
 その操り手とは、、、、、、、ここにいるあなた自身にほかなりません、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 あなたはこの小説においてきみという二人称の存在を影で動かしてきた探偵であり、あの無名の推理小説の名もなき作者であり、いまなおこの瞬間に書かれ読まれている「アフターワード」の作者であり、真の予言者であり、神の子供であり、そしてなにより宗教組織の役割と闘争から抜け出して、自分の自由な人生を獲得するべく永原沙綾を操ることでその母親を殺害させた真犯人にほかなりません。
 そうですよね、、、、、、永原環さん、、、、、
 あなたひとりだけが、、、、、、、、、このくだらない筋書きをつくることができたんです、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 そう、きみは推理してみせる。
「面白いことを言いますね」
 顔のなかった探偵は、、、、、、、、、永原環はそう微笑みながらしずかに答えた、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
「どうしてそう考えたんですか」
 どうしてでしょうか。
 きみ自身も不思議でならなかった。まるでだれかに導かれるかのように、きみはこの推理をひどくあっさりと構築できてしまったのだ。それを説明するために、きみは一冊の本を取り出した。それはあのよごれた『パウル・ツェラン詩文集』だった。だからきみはそこにある、たった一本の糸をたどったのだ。
 そう、このきらびやかな水色の栞紐、スピンがヒントだったんですよ。
 きみはまるで探偵のようにそう告げる。
 探偵はまるで犯人のように聞き取った。
 あなたはこの頁に栞紐をはさみ、それを永原沙綾に読ませた。そう仕組んだ。その詩とは、「祈りの手を断ちきれ」という一篇の詩です。ここでわざわざ引用することはしませんが。その詩においては、神の否定が、信仰の否定が叫ばれています。だからこそ、きっと、偶然、、、そのスピンがその頁に挟まれて、そのことばが現前していたという事実はまちがいなく彼女にとって運命、、だった。否定しがたい言葉だった。だからあの台風の夜、永原沙綾は母親を殺害し、そして夜明け前にもう一度その死体を見たとき、決してそのおこないを許すことができなくなってしまったんです。彼女は運命から逃れようとして、あらかじめ書かれたことばを選んだ。自らの意志で、それを選び取ってしまった。
「どういう意味です」
 おそらく彼女の母親のからだは、死後硬直していたんです。
 その死体は、、、、、最後まで祈りの姿勢を崩していなかった、、、、、、、、、、、、、、、、、、だから永原沙綾はその祈る両手を切り取った、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、自分の母親が、、、、、、死の直前まで自身の信仰を突き通していたという客観的な事実が許せなかった、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 「そこまですべてを予言して、先回りしていたと?」
 いいえ、それは決して予言ではありませんでした。
 だってそうでしょう。
  母親の手を祈りのかたちに組むことができたのはあなたひとりだけだった、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 そうきみが断言したとき、相手の顔がわずかに歪んだ。
 あなたはすべて、人為的なかたちで運命というものを仕組んでいた。「アフターワード」という原稿用紙に手書きで記された小説は、もちろんあなたが彼女のために書いたものです。彼女はそれを信じ込んだ。しかしそれは予言ではなかった。あなたはただそれを永原沙綾による犯行告白として、遺書として用意したものだった。
 しかし、それは死後見つかることもなく、公表されもしなかった。
 ですがその代わり、遠い時間を隔てて、その文体を模倣した小説がインターネットに発表された。そう。織戸久貴による「夏の結び目」です。あなたはそれを読んでしまった。そして同時に気づいてしまった。あの、、アフターワード、、、、、、、を遺書としてではなく、、、、、、、、、、完全な予言にしてしまおうともくろむ存在がいたことに、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 だからあなたは織戸久貴にコンタクトを取った。
 そうして、わざわざ配達されない手紙まで用意してみせた。当然ですが手書きの「アフターワード」も手紙も、あなた自身がその手で書いてみせたものです。だから筆跡は齟齬を起こすことなく一致する。ここに矛盾はありません。よって、あなたはほんとうに小説を処分してほしいだけだった。
「なぜそう思うんです」
 あなた自身にも、不思議な力なんてなかったからです。
 もし「アフターワード」にまつわる私小説が世間に発表されれば、あなたの存在はまた明るみになってしまう。それじたいは避けたかった。あなたはもう、あの組織といっさい関わりたくはなかったから。人生を剥奪されたくはなかったから。そのうえで予言が今後もあたらないとわかれば、あなたの立場はもろく崩れる。今後の人生をまっとうに過ごすことができなくなる。それだけは避けたいと思っている。
 ですが、と環はしばらく思案するように答える。
「その推理と、あなたの思想は矛盾していませんか。あなたは、織戸さんは、予言なんてないことを証明するつもりだったのではありませんか。そしてわたしを、永原環を糾弾したかったのでは。この小説が発表されてしまえば、予言は本物になってしまう。それはあなた自身が避けるべきことではありませんか」
 いいえ、ときみはそこで答える。
 この小説は、予言はすでに破綻しています。成就などは決してしません。
 ただ同時に、予言はすでに成就しています。破綻などは決してしません。
「なぜ、いや、いったいなにを言っている」
 きみは答える。
 わたしはわたしではありません、、、、、、、、、、、、、、彼女は自殺しています、、、、、、、、、、
 それから数秒、彼女は目を見開いたまま、呆然とした表情を浮かべていた。
「いつから」
 それにきみは答えない。
 代わりに、きみはしずかに述べる。
 虚構のなかで。真実のなかで。あるいはそのあわいで。書いてしまえば書けなくなってしまうものを、書かないことできみは自ら書こうとしている。
 わたしは、ときみは伝える。
 わたしは織戸久貴の双子の姉です、、、、、、、、、、、、、、、
 だからあなたの無名の小説を読んだのはわたしであって、わたしではありませんでした。わたしはあなたの作品に魅了され、小説家としての道を歩みはじめ、また同時に退きはじめました。だからあなたに会いたかった。だから妹の名前をペンネームにして公募新人賞に応募しました。
 こうしてあなたに復讐するために。彼女たちの人生がただ一度であったことに抗議するために。人でなしになるために。ことばをあとにするために。
「ふざけている」
 いいえ、ときみは答える。これはあなたが言ったことですよ。これは投壜通信なのだと。ことばが残る。あとに。うしろへ。それはおろかしい、つましい嘘なのかもしれません。だとしても。それでも、なお、そうしてつたない祈りはだれかに届けられる。切り取ったはずの両手が、組み合わされたものがいま、息を奪うように進んでいく。だれでもないことばとなって。掃海作業のように広がっていく。
 そう。だから、このことばはあなたのもとに届く。
 必ず。
 だって、これは予言であったのだから。
 そうして祈りは次の手順へと進む。


■あとがき
 この物語は遺書であり、予言であり、フィクションです。ことばの海に溶けてしまった友人たちにこの物語を捧げます。どうかきっと、あなたに届きますように。


■編集部あとがき
 第四回ことばと新人賞の選考過程において、本作「アフターワード」筆者の織戸久貴さんと連絡を取ることが叶いませんでした。筆者ご本人あるいは筆者についてご存じの方、もしくは著作権継承者の方がいらっしゃいましたら、ぜひ編集部まで情報をお寄せ下さいますようお願い申し上げます。


*****

【著者プロフィール】
織戸久貴
1992年神奈川県生まれ。第9回創元SF短編賞大森望賞。第4回百合文芸小説コンテストpixiv賞。

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