【ゆるり胡同暮らし】第1回 胡同暮らし再び
胡同に、帰ってきた。
もともと2005年から北京に住み始め、2007年から2018年まで11年間、胡同に住んだ。
その後、2020年のはじめから、新型コロナウィルスの流行を発端に、家族の事情もあり、しばらく日本に住むことになった。
そして、2021年もそろそろ終わろうという時に北京に帰ってきて、再び胡同に住むことになった。
胡同(中国語読みは「フートン」)とは、端的にいえば、故宮を囲む北京中心部の旧城内に、ほぼ碁盤目状に巡らされた路地のことである。その歴史は、北京に初めて首都がおかれた元代(1271年~1368年)にまでさかのぼる。
今やあらゆる意味で大国の道を突き進もうとしている中国は、国際的なニュースで常に注目の的だ。
でもそんな中国の首都、北京の中心に、昔ながらの路地裏が広がり、ゆったりとした空気が流れる場所があり、そこで近所づきあいを大事にしながらこぢんまりと生活している人たちがいることは、意外と知られていないかもしれない。
前回と同じく今回も、私が住むのは、中国随一の観光地、故宮にほど近い胡同だ。ほんの少し歩いて大通りに出れば、観光客が行列を作り、お土産を買いこんでいるのを目にする。
でも私が住む胡同の路地裏は、観光客が入ってこず、気持ちのよい静寂に包まれている。お隣りどうし共用の中庭では、おじいさんが椅子を出してきてのんびりと日向ぼっこをしている。おばさんが洗濯物を干している。そこにほかのお隣さんが帰ってきて、ついでにおしゃべりに花を咲かせている。
昔の日本の長屋暮らしに似ているのではないかと思う。
とても、国際的なニュースで常に話題になる大国の首都の中心にいるとは思えない。
今回私が住むことになったのは、前回住んでいた部屋と同じ胡同にある別の部屋である。なので、その胡同のあたりを歩いていると、約3年半ぶりの再会がいろいろある。
前回住んでいた部屋の前を通りかかったら、その時の隣人のおじさんが車を洗っていたので、声をかけてみた。
「おお!久しぶり!戻ってきたのか?」
うん、そうなの。今はこの先の別の部屋に住んでいるんだよ。
「そうか。あんたが住んでた部屋は、今は空き部屋のままなんだよ。あんたが出てった後、大家の息子がしばらく住んでたんだが、アメリカに留学に行ったそうだ。私が鍵を預かって、ときどき風を通しているんだ」
へえ~。そういえばおじさん、海南島に家を買ったって聞いたよ。すごいじゃない。もうほとんどそっちに住んでるの?
「いやいや、大したことないさ。まだ北京にいろいろ用もあるし、冬の間だけ向こうに行ってるんだ。やっぱり向こうは暖かいからな」
もう冬じゃない。まだ行かないの?
「うん、もうちょっとしたら行こうと思ってるさ」
うらやましいなあ。元気そうで何より。(でも何だか白髪が増えたかも…)
そのすぐ近くに、小さな商店がある。小さくても、胡同住民の生活ニーズに応える品々がぎっしり詰まった店だ。日用品から、果物、お酒、飲用水、お菓子、調味料などなど。私もよく通っていた。
でも、店を営むおじさんは、とても無口で、客の顔をまっすぐに見ることもないようなタイプなので、話をしたことはほとんどなかった。
今回、久しぶりにまた買い物に行ってみた。すると、何とそのおじさんが声をかけてきた。
「久しぶりだなあ」
え?おじさん、私のこと覚えてるの?
「覚えてるさ。何年ぶりだ?」
3年ぶりぐらいかな。(こっちはマスクつけてニット帽もかぶってるのに、本当によく分かったなあ)
「うん、そのぐらいだな。戻ってきたのか。どこにいたんだ?」
しばらく日本にいたんだよ。でもまた、前のところのすぐ近くに住み始めたの。
「そうか」
そこへほかの客が「今、日本は感染者の数はどれぐらいなんだ?」と聞いてきたりして、しばし皆でおしゃべりした。
私が胡同に魅せられ、そこで11年も暮らし、そして再び暮らすことになったのは、やっぱりこんな自然な近所づきあいも、理由の一つではないかと思う。
外国人である私のことも、適度な距離を保ちつつ、自然に受け入れてくれる。それが心地よいのかもしれない。
ご縁があって機会をいただいたこのコラムは、主に再スタートした胡同での今の暮らしぶりについて、前の暮らしの思い出も交えつつ、書いていきたいと思います。
プロフィール
弥生
2005年から北京に住み始め、2007年から2018年まで11年間、胡同で暮らす。2020年のはじめに帰国してしばらく日本に住んでいたが、2021年11月に北京に帰ってきて、再び胡同暮らしを始める。
*胡同(中国語読みで「フートン」)とは、故宮を囲む北京中心部の旧城内に、ほぼ碁盤目状に巡らされた路地のことである。
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