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【日々の、えりどめ】第7回 東京

 東京なんて右も左もわからなかったあの頃の東京が、わたしの東京のなかではいちばんうつくしい東京である。
 小学生の頃、修学旅行のバスの窓から見た東京。荒川の河川敷。隙間なく立ち並ぶ矩形のマンションや民家。東京タワーの雄々しい、そして華々しい存在感。テレビジョンで見た、お台場の放送局の辺り。夏休みになると決まって大型のイベントが催され、その様子が中継されるのであった。ピノキオの遊園地を思わせる、その輝かしさ。あるいははじめて上京してきた頃の、緑の、坂道の、住宅地の、その地図の新鮮。池袋、新宿、渋谷。嬉しい戸惑い。あの頃の東京。
 そんな東京を、わたしは不実にも踏みつぶしてしまった。もう十年になる。わたしの東京は、わたしの行動と習慣の中にお行儀よく収まってしまった。どうやら東京は、遠くから見る方がより感動的らしい。
 しかし、わたしには「あの頃の東京」のかけらを感じられる場所が、ひとつだけあった。それは舎人公園内にある足立区の高所から眺める東京である。
 この丘の上から東京方面を見ると、朝には煙の中に、夜には闇の中に、区々とした東京が僅かにその輪郭を地平の果てに造るのであった。あの煌めきはきっと池袋か、新宿の辺りか、あるいはもっと近いところかもしれないが、そんな場所などは問題ではなく、その遠景の持つ何かの要素がわたしの記憶に働きかけて「あの頃の東京」を思い出させるのであった。浅草方面に目線を移すと、東京タワーを悲しくも凌駕しながら優美な尖塔が上品な光を転回させている。落日も綺麗であるし、星が見える夜もある。日暮里からやってくる空中鉄道が、その中空をスイと可愛らしく通り過ぎることもある。「あの頃の東京」を感じられるその場所が東京のいちばん外れにあるということはなんだか面白いような気もするが、わたしのこの丘の風景を見たさに、早朝でも深夜でも思い出したように自転車に跨るのである。
 「鴨取り権兵衛」という昔ばなしがあるが、ある日の明朝、まだ日も昇らない頃、その丘で、ふとその物語を思い出した。それは鴨のいる池を見て回ってきたということもあったのだが、それよりもあの物語の持つ懐かしい破綻が、その時の心持ちとも妙に同調したのであった。
 猟師の権兵衛さん。鴨をいっぺんに獲ろうと考え罠を仕掛けるが、それによって鴨たちと空へ羽ばたく。たどり着いたのが粟畑で、ここで働くことになるが、またもやひょんなきっかけで空へ舞い上がる。次は傘屋になるが、またもや空に飛び立つ。最後に着地したのが五重塔のてっぺんで、下では四人の坊さんがそれぞれ布団の端を持ってここに飛び降りろという。権兵衛を助けようという算段である。思い切って飛び降りる権兵衛さん。しかし、勢い余って四人の坊さんが頭をぶつけ合い、それによってできた火花で五重塔は焼けてしまった。――大体、そんな話であったと思う。
 この物語は、二兎を追うものは――というような教訓譚ではないような気がしてならない。商売をするにあたっては効率の良い工夫を考えるのは当然で、権兵衛は努力して独創的な道具を開発し、しかもその事業を成功させ、それがために飛ばされることになるが、転々としながらも各地で懸命に働き、最後は窮地に立たされるが、そこは辺り一帯で一番の高所であり、いわばその眺めは人間世界の天下のようなもの。しかし下にいる人間にそそのかされて、権兵衛は正直にその地位を捨てる。そして大惨事。人生五十年。夢幻の如くなり。そんな具合に。
 落語にも「鷺とり」という類型の噺があって、どちらが先でどういう派生であるのかはまだ調べていないが、他にも五重塔はおろか山が焼けたとか、いちめん焼け野原になってしまったというような落ちもあるようで、飛ばされに飛ばされ、働きに働いて、画策をして苦労をして、そうして結局は無に帰すというおそらく逆説家の坂口安吾にでも言わせたら「うつくしい」というようなこの顛末は、時代に対する何者かの運命にも似ているような気がする。
 そんなことを考えながら、一大都市の水際から――それでも足立区では随一の高所から――わたしはわたしの東京を遠くに眺める。地平には遠い日の山火事のように発光する暗黒。浅草方面には、うつくしい尖塔。


【プロフィール】
林家彦三(はやしや・ひこざ)
平成2年7月7日。福島県生まれ。
早稲田大学ドイツ文学科卒業。
二ツ目の若手噺家。本名は齋藤圭介。

在学中に同人誌『新奇蹟』を創刊。
「案山子」で、第一回文芸思潮新人賞佳作。

若手の落語家として日々を送りながら、文芸表現の活動も続けている。

主な著作
『猫橋』(ぶなのもり)2021年
『言葉の砌』(虹色社)2021年


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