見出し画像

【ゆるり胡同暮らし】第5回 胡同ドリーム

住まいを自分の好みに整えるのが好きだ。
2007年に胡同に住み始めた時、当時借りた部屋の内装がわりとシンプルで、備え付けの家具なども少なめだったので、自分好みに整える余地がたくさんあった。
それ以来、北京市内の市場や店、それに旅行先でも様々なものを買い集めては、胡同の部屋に持って帰ってあれこれ飾り立てるのが、胡同暮らしの最大の楽しみになった。
そうして、胡同でこんなふうに暮らしてみたい、という私なりのいわば胡同ドリームを少しずつ実現させていったのだった。

そうやって買い集めてきたものの中に、布がある。
中国では、布市場で自分の好みの布をメートル単位で買ってから仕立屋さんに持ち込んで、洋服はもちろんのこと、インテリア関係のものまで仕立ててもらうのがごく一般的。何でも自分だけのオリジナルを作れて、しかも布の値段も仕立料も日本では考えられないほどリーズナブルだ。
それで私も胡同に住み始めてから、近所でたまたま見つけた仕立屋さんに布を持ち込んで、シーツやカバー、カーテンなど、あれこれ仕立てをお願いしてみた。幸運なことに、その仕立屋さんが実に腕のいい仕立屋さんで、こちらが思ったとおりのものを次々と仕上げてくれるので、嬉しくてすっかりはまってしまい、それから何年にもわたってお世話になることになった。

その仕立屋さんは、陳さん夫婦。
夫婦どちらも、繊維産業、服飾産業が盛んな江蘇省南通市で生まれ育ち、それぞれ中学卒業と同時に仕立ての修業を始め、ご主人のほうは師が北京で仕立屋を始めたので誘われて、奥さんのほうは親戚が北京で仕立屋をしていたのでやはり誘われて、それぞれ北京で働き始めた。数年経った頃、たまたま春節休暇に帰郷して、北京で働く者どうしの集まりに参加した時に、お互い知り合って結婚し、その後北京で一緒に住み始めた。そして子供ができた2006年頃に独立して、胡同に工房をかまえて夫婦2人で仕立屋を営むことになったのだった。
私がそのすぐそばの胡同に住み始めたのが2007年なので、実はほぼ同じ時期だった。

独立したばかりの頃はやはり、なかなか固定客がつかなかったのだそう。北京市内には陳さん夫婦のような仕立屋さんが山ほどいるし、当時はまだ宣伝に使えるようなSNSなんてものもなかったから、それは難しかっただろうなあと想像がつく。
それがある時、ご主人のほうが布を仕入れるために布市場に出かけて行ったところ、たまたまやはり布を買いに来ていたフランス人がいて、片言の英語を話せたご主人が「自分は仕立屋をしている」と自己紹介し、連絡先を渡しておいたところ、後日連絡があり、まずそのフランス人から、さらに文字どおりいもづる式に紹介を受けて主に北京在住のヨーロッパ人から、仕立ての仕事が続々と入るようになったのだそう。
それからもう十数年経つけれども、今でも固定客のほとんどはヨーロッパ人で、安定して仕事が入ってくるとのこと。

たまたま近所に住んでいて陳さん夫婦のところに飛び込んだ私はある意味、例外的な客なのだが、それでもそうやって陳さん夫婦が、細部までこだわりの強そうなヨーロッパ人から歓迎されて次々と固定客をつかむことができる理由は、私にもよく分かる。
陳さん夫婦はまず、客であるこちらの要望にきちんと耳を傾けてくれて、「ここはこんな感じで」というこちらの微妙で曖昧な要望も的確に理解してくれた上で、しっかりと形にしてくれる。
そして仕事そのものもとにかく丁寧だ。私はよく、市場で買った布をそのまま陳さん夫婦のところに持ち込んでしまうのだが、すると「まだ洗ってないんだね?それならこちらで一度洗ってから仕立てるね。仕立ててから洗うと、縮んでしまうかもしれないから」と言って、わざわざ洗ってくれる。
仕立ててくれた完成品は、縫い目が完璧に整っていて、細かいところまできちんと処理がされている。
北京市内に星の数ほど仕立屋さんはいても、陳さん夫婦のような仕立屋さんはなかなかいない。
そうして陳さん夫婦は、それぞれ身一つで地方から北京に出てきて、手に職をつけ、きちんと仕事をする、という極めてまっとうな道を胡同の片隅で着実に歩んで、自分たちの胡同ドリームをかなえたのだ。

今でも胡同にある工房で夫婦2人仲良くこつこつと仕事をこなしている陳さん夫婦に出会ってから、もう約15年が経つ。その間、胡同でこんなふうに暮らしてみたい、という私なりの胡同ドリームをかなえることができたのは、陳さん夫婦のおかげだ。陳さん夫婦の胡同ドリームの軌跡も、私の胡同ドリーム実現にほぼ重なる。
だから陳さん夫婦に仕立ててもらった品々には特別な思い入れがあるし、ほとんどの品々を今でも大切にしている。

今では故郷の南通に家も建てたという陳さん夫婦。とはいっても当面はまだまだ北京で仕事を続けるとのこと。私もまだまだ仕立ててほしいものがいろいろあるので、今後もよろしくお願いします!

画像1
胡同の工房で仕事をする陳さん夫婦
画像2
この2枚のクッションカバーと掛布団カバーが陳さんに仕立ててもらったお気に入りの品々のごく一例

プロフィール
弥生

2005年から北京に住み始め、2007年から2018年まで11年間、胡同で暮らす。2020年のはじめに帰国してしばらく日本に住んでいたが、2021年11月に北京に帰ってきて、再び胡同暮らしを始める。
インスタグラム@march_nzで胡同の写真などを投稿中。

*胡同(中国語読みで「フートン」)とは、故宮を囲む北京中心部の旧城内に、ほぼ碁盤目状に巡らされた路地のことである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?