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新鋭短歌シリーズを読む 第十二回 toron*「主役として日々を生きること」

 2013年から今を詠う歌人のエッセンスを届けてきた新鋭短歌シリーズ。今年二月にシリーズ第五期第四弾『ショート・ショート・ヘアー』『老人ホームで死ぬほどモテたい』『イマジナシオン』の発売と全タイトル即重版が決定するなど、盛り上がりを見せています。(http://www.kankanbou.com/books/tanka/shinei
 本連載「新鋭短歌シリーズを読む」では、新鋭短歌シリーズから歌集を上梓した歌人たちが、同シリーズの歌集を読み繋いでいきます。
 第十二回は『イマジナシオン』toron*さんが、水野葵以さん『ショート・ショート・ヘアー』を読みます。おたのしみください!

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 『ショート・ショート・ヘアー』は複数の連作から成り立っている歌集だ。章ごとにやや異なるシチュエーションの「僕」が主体となっていて、すべて同一人物というよりは、同一人物が演じる「僕」であるような印象を受けた。どことなく短い映画を観ているような雰囲気があるのだ。

ターミナル駅できみだけ3D 恋人上京編が始まる

NGシーンみたく笑って取り消して カットの声がまだ聞こえない

 実際に映画の用語が使われている歌も作中に収められている。
 一首目は恋人を迎えに行ったときのワンシーン。「恋人上京編が始まる」と言い切ることでそれまでは別の「〇〇編」だったことを思わせて面白いし、ちょうど映画のタイトルロゴが出て来る場面のようでもある。「きみだけ3D」はちょっと不思議で、自分もターミナル駅の人々も三次元を生きているので当然「3D」のはずだ。「きみ」以外の現実感の希薄さを表しながら、まるで映画のスクリーンの平面上に投影されている自覚があるようにも思える歌だ。
 二首目は恋人からおそらく別れを告げられたのであろう歌。あまりの唐突さに、台本になかったシーンに遭遇したような反応をしてしまう。本来存在しない他者を巻き込んで、心理的なダメージの緩衝材にしている感じもある。
 また『ショート・ショート・ヘアー』のどの「僕」も見られていることの意識が常にあるように思える。それも小説の三人称的な俯瞰というよりは、映画の観客のような存在に。

美しい街という名を持つ場所で生きる前歯を強めに磨く

ポートレイトをくしゃくしゃにしてこの道の果ての僕らの姿を思う

 一首目は歯の全体ではなく特に「前歯」なのは他者の眼に触れる部分だからだろう。誰かと会話して、笑顔にならないとその部分は晒すこともない。できるだけよく見られたいという気持ち、他者と関わって生きていきたいという気持ちがよく表れている。
 二首目は破顔している「僕ら」を「ポートレイトをくしゃくしゃにして」と喩えているのが独特だ。「くしゃくしゃにして」は笑顔でもあり老後の二人の顔のことでもあるのかもしれないけれど、その予感を平面的な「ポートレイト」で喩えるのは主観的ではない視点によるものだと思う。
 この「見られていることの意識」は決して醒めた部分が主体にあるという訳ではなく、都市生活を営むなかで主役であるという自覚が「僕」にあるからではないだろうか。

好きな人が鏡のように染みてゆく僕はどんどんよくなっていく

 エキストラではなく主役。そう意識することで、生活も自分自身もより良く(善く・かっこ良く)なることを知っている。『ショート・ショート・ヘアー』は誰かの物語ではなく、自分の物語を生きているのだという自信にあふれたかっこいい歌集だと思う。

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【執筆者プロフィール】
toron*(とろん)
大阪府豊中市出身。現在は大阪市在住。Twitterで短歌に出会い、2018年4月からウェブサイト「うたの日」に投稿をはじめる。新聞歌壇、雑誌などへの投稿をしつつ、現在は塔短歌会、短歌ユニットたんたん拍子、Orion所属。第一歌集『イマジナシオン』(新鋭短歌シリーズ60)

新鋭短歌シリーズ60『イマジナシオン』


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