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【20周年に寄せて】3<上>:英語がわからない(書肆侃侃房・田島安江)

2022年4月で、書肆侃侃房は創業20周年を迎えました。「つれづれkankanbou」では、【20周年に寄せて】と題して、社内スタッフのブログを連載していきます。

第三回の今回は、書肆侃侃房代表・田島の綴る書肆侃侃房が生まれる前夜、第二回の続きのお話です。お楽しみください!

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英語がわからない

 カナダの学校始まりは9月で、いきなりその日から始まる。入学式も始業式もない。街の教育委員会みたいなところに相談に行ったら、どこでも好きな学校を選んでいいが、近いところがいいだろうと勧められたのがカトリックの学校。4歳から通えるといわれ、娘を連れて学校に行った。明日から来なさいという。カトリックの学校で4 歳から13歳まで、登校時間も下校時間も同じ。息子をベビーカーに乗せ、学校まで歩いて送り迎えをした。ゆっくり歩くと30分ぐらいかかる。朝、学校に着くと、子どもたちはまず、絵を描きはじめたり、備え付けの大きなドールハウスに入って、ままごとが始まる。画用紙やクレヨンを手に、思い思いの場所に座り、好きなだけ、絵を描いていい。始業になっても決まった机はない。どの机に座ってもいいのだ。先生も教壇などなく、真ん中あたりに立って全体を見渡しながら授業をする。なんて、自由なんだろう。

 1週間ほどたったある日、朝、学校に行こうとすると玄関に4、5人の子どもたちが、立っている。「YUKIを学校に連れて行っていいか」という。すごく助かる。ありがとう。それからはずっと近くの子供たちが送り迎えをしてくれた。学校は完全にバイリンガルで、午前は英語、午後はフランス語だ。学校では昼休みは一斉に外に出る。大きい子は小さい子がランチを食べるのをサポートしてくれる。どこにも先生の姿はない。家が近い子は家に帰って食べてきてもいい。ほとんどの子は弁当持参だ。弁当といっても、サンドイッチはいいほうで、パンとチーズ、リンゴ、ニンジンなどをスライスしただけという子も多い。それでもわたしには有り余るほどの時間があったので、毎日せっせと弁当を作った。おにぎりや巻きずし、卵焼き、から揚げ、ウインナーなどをきれいに詰めて持たせたが。後からわかったのは、娘は自分のお弁当を食べず、サンドイッチと交換していたという。おにぎりや寿司は大人気で順番待ちだったそうだ。

 あるとき、頼まれて、すぐ近くに住む女の子のベビーシッターを始めた。7歳の娘メアリー。カナダでは、9 歳以下の子どもを一人で家に置くことはできないと法律で決まっているので、ベビーシッターが必要なのだ。娘と一緒に帰ってきて、母親が迎えに来るまで、我が家で過ごす。娘と一緒にご飯を食べて帰ることもあった。わたしにとっても子どもと英語で話すのはありがたい。下手な英語でも通じるからだ。わたしがお父さんやお母さんのことを訊くと、彼女は何の躊躇もなく、"He is not my Daddy. I go and stay my Daddy’s house every weekend"という。つまりは再婚した人は母親のパートナーであって、自分の父親ではない。自分は毎週末、父親に会いに行くから平気、というわけだ。

 ちなみにわたしの料理のうち、彼らがほめてくれたベスト3は「から揚げ」「巻きずし」「五目ご飯」だった。中でもから揚げは、ケンタッキーに慣れた人たちにとって衝撃的なおいしさだったらしい。わたしのから揚げは何種類もあって、定番は下味をつけたチキンを片栗粉と小麦粉をミックスした衣で二度揚げしたもの。味が染みていて、からりと揚がることが大事だ。

 わたしは、カナダに行ったばかりのころはまったく英語が話せなかった。カナダ行きは突然決まったことで、英会話を勉強する暇などなかったから。最初は相手が何をいってるのか、まったくわからなかった。今でも忘れられない一コマがある。公園で遊んでいるときに話しかけられたのだが、彼女が何を言っているのか、わからない。わたしには「ウォッチャナイン?」と聞こえた。わたしがぽかんとしていると、彼女はすぐに気づいて、”My name is Mary. What is your name?”そうゆっくり言ってくれた。そうか、名前を聞かれただけだったのか。

 と、こんなだから、しばらくはとても苦労した。少しずつわかるようになっても、とっさに言葉が出てこない。日本語で考えて英語に直していては間に合わないのだ。日本語を話すのは夫とだけで、子どもはまたたくまに英語を話すようになった。残るはわたしだけ。テレビのニュースやドラマは早口で聞き取れない。唯一わかりやすかったのは、お昼のテレビ番組で、セラピストによる身の上相談だった。毎日、相談者が訪ねてきて、話を交わすだけの番組だった。内容はとてもシンプルで、嫁姑問題や隣人トラブルなど、いずこも同じだ。

それは新聞にもあった。「Dear Abby」というやはり身の上相談で、わかりやすい英語だった。もう一つ。わたしが会話の勉強に使ったのは1ドルで3冊買える古本だった。まだ日本で翻訳出版されていなかった「ハーレクイン・ロマンス」が会話の練習にぴったりで、これが一番有益だったかもしれない。どれも単純な恋愛小説で、ほとんどが会話で成り立っている。ああ、こんな時はこういえばいいのか、と思いながら読んだ。わからない単語が出てきてもストーリーはわかる。医者と看護師、弁護士と助手、社長と秘書などとのたわいないけど、必ずハッピーエンドになる恋愛小説だった。

(下:オタワは人種の坩堝 につづく)

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