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1個80円の卵。真の豊かさとは

「千鶴ちゃん!ほんま、この卵は絶品やな!」

 マグワイヤーはこの有精卵を見るたびにいつも感激してくれる。
 私はこの喜ぶ顔が見たいがために、商店街の地産地消コーナーまで卵を買いに30分歩いて買いに行く。
 買いに行くときだっていつも2人。
 奈良町の細い路地を通り抜け、猿沢池に集う外人たちの間をまるで近所の猫のようにマイペースで歩く私たち。時々興福寺の鐘が鳴り響くときもある穏やかで平和な地にいることが、空氣のように心地よい。

 商店街の入り口にあるアンテナショップの片隅に、有精卵がある。6個で540円。1個80円する卵ということになる。スーパーにある卵よりも数倍の値段になる。
 妹は「贅沢やな。」という。
 私たちの年収は多分普通の50代サラリーマンの半分くらいかもしれない。住宅ローン・学費ローンこそはないが、収入が多いとは言えない分、エンゲル係数が高い私たちの生活費。
 そんな私たちの生活に1個80円の卵ってどうなんだ?という意味合いの「贅沢やな。」という一種の皮肉でもあるのだろう。
 でも、たった1個80円のこの卵で伴侶を笑顔にして幸せにできる。

 そもそも、贅沢ってダメなことなんだろうか?

 私は、50歳で彼と出会うまで21歳から約30年間、一人暮らしで通してきた。一度も同棲生活はない。結婚生活も。
 バブル時代、建築業に携わっていたので、とてもバブリーな生活をしていた…かに思われるかもしれないけれど、実は建築業の世界は朝早くから夜遅くまでの現場、図面・見積もり作成で、残業や休日出勤ばかりで、まとまった休日は盆と正月くらいだった。
 その上、私は遊び下手だったのと、当時は付き合っていた男性が既婚者だったこともあり、1人でどこかにふらっと出かけるくらいが関の山。遊びにお金をかけることはほぼなかった。
 
 今思うとあの頃の私を優しく撫でてあげたいくらいに、ストレスと、寂しさに埋もれていた独身女だった。

 必要のないものを買い込み、何にお金を使ったのかわからないような使い方をしていた。銀行の言うまま何枚もカードを持ち、友人がローンを組むときに保証人になった。

 そして、バブルは弾けた。

 そのとき、私はもろにバブル崩壊の煽りを受けた。最初は、毎年もらっていた臨時ボーナスがないという通達から始まった崩壊。
 臨時とは言え、毎年もらっていたために、あてにしていたボーナスがないという辻褄を合わせるために銀行から借りた。ローンの支払いのため。

 次はボーナスの金額が下がり、月給も下がり始めた。しかし、返却しなければならないお金は増える一方。
 段々恐怖が体に溜まっていった。下の方に。
 最初は頭を抱えたが、月末の給料明細を見るたびに胃が痛くなってきた。

「どうしよう。払えないかも。」

 不安が溜まって、溜まって、子宮まで落ちてきた。お金がないのに子宮筋腫の手術をしなくてはいけなくなった。保険も滞って払えていないのに…。

 どうしよう。怖い。

 入院は1週間ほどで済むと言われたが、退院してもすぐには働けない。
入院代はどうしよう。収入がまた減る。

 怖い。

 しかし、如何にもこうにもならないため、入院が決まったときに、母に来てもらうことになった。
 そして、それを機会にずっと隠していた自分の経済状態を母に伝えた。
 当時の母は正社員で朝から晩まで男並みに働いて、しっかり収入も貯金もあった。
 入院代のこと、経済状態のことを伝えた時の母の冷たい目。
 哀れむわけでも、励ますわけでも、ましてや助けてくれるような光を放つ目ではなく、バカにしたような、蔑むようなそんな目で、一切の笑いのないまま、黙って入院費を一旦立て替えてくれた。
「何でそのくらいのお金を貯めとかへんかったんや?」
「あれだけ稼いでたのに一銭も貯金ないのはおかしいやろ?」

 母に言われることが怖くて銀行から借りていることなど到底言えなかった。だから、退院してからは、自分のローンよりもまず先に母に立て替えてもらったお金を返して、さらにまた銀行や家賃の延滞が増えた。返せる目処がないのに銀行への融資をまた申し出たのはその時だった。

 今思うと、なぜ一言「助けて」を言えなかったのか。

 当時の私は、お金をうまく扱えない自分を責めながら、支払いの恐怖に怯えていた日々。

 25日に会社から銀行に給料が入って来ても27日には一瞬にして消えた。

 ある日、予想はついていたリストラの波が私にも来た。

 私と数人はそのリストラを受けた。

 当時の私はもう疲れ切っていた。そして、やり直すのは今しかないとも思った。
 でも、同じだけ
「この会社にはずっといられると思っていたのに、あれだけ頑張ったのに。」
と恨む氣持ちもあった。

 その後は、ホステスをしていて羽振りが良かった妹に時々お金を借りるようこともあったのだけれど、そんな自分がとても嫌だった。姉として恥ずかしかったからだ。しかし、唯一、妹だけには少しだけ弱音を言えたしお願いをすることもできた。

 仕事を辞めてたあと、バブル崩壊後に溢れ出て来た高学歴・高キャリアの男性たち失業者たちでゴロゴロ溢れる2000年。2級建築士の資格しかなく、ましてや建築業界で35歳独身女の正社員の道はどこにもなかった。
 バイト、パートを繰り返し時給700円800円の仕事ばかりを転々としていて、溜まっているローンが払えるわけもなく、水道・電気・ガスが止まって、暗い家で1人情けなく座っていた時、廊下で声がしたら、銀行の人ではないのか?家賃の取り立てじゃないのか?とビクビクしていた。
 主婦売春・テレクラという言葉が流行った時期でもあったので、私も体を売ることができるのだろうか?それってどんな世界なんだろうか?と思ったこともあった。

 花屋のパートをしているときに、そこの店長が債務整理のことを教えてくれた。私は債務整理をした。カードも使えなくなった。銀行のローンも使えなくなった。焦げ付いた自転車操業を区切りつけるには、その方法しかないと思ったのだ。

 そんなときに立ち読みで見ていたhanako-westという雑誌。その中で掲載されていた京都のチャネラー(霊能師)のページには「あなたの前世を教えます」というタイトルが書いてあった。
 前世なんか知りたいわけじゃないけれど、私が何のために生まれて来たのか知りたい!
 私は、そのときバイトでなけなしの1万円を握りしめ、交通費だけで千円かかる京都まで8千円の相談を受けにいった。

 とても清潔な部屋にいたその女性は私にこういった。

「あなたはこちらの世界(精神世界)の人ですよ。白い服を着て雑誌の見開きに取り上げられているあなたが見えます。」といったのです。

 その瞬間に湧いて着た怒り。

 つまらないものに大切なお金を使ってしまった。何をいってるんだこの人は?私は霊など見えないし聞こえない人間なのに、それもわからず適当なことを言って!

「そんなもの(精神世界)で飯が食えるんですか!」と吐き捨てるように言った私は、怒りに満ちて京都駅まで戻って行った。

 せっかくのお金をあんなことに使って。勿体無かった。情けない。

 京都駅で悔しさと怒りに満ちて電車を待っていた私に妹からピッチの着信が来た。

「お姉ちゃん!チャネラーになんて言われたん!?」妹の能天気な声が聞こえて来た。

 私は怒りをぶつけようと口を開けた途端に自分でもひっくり返るくらいの驚く言葉を発したのです。

 「私のことわかってくれる人がおったわ。」そう言いながら涙がツーっと頬に伝った。

 この言葉は私が言った!?

 誰?これ、誰?

 もしかすると…あのチャネラーが言っていた【魂】とは、この【誰か】なのかもしれない。

 私はその出来事をきっかけに、精神世界に飛び込むことを決めた。

 

 あれから17年。

 建築時代の年収の3分の2程しかない私だけれど、心の底から満ち足りている。

 色々とお金に対する観念を見さされる出来事は17年の間にも数え切れないほどあった。そんな私を救ってくれたのは【哲学】だった。精神哲学。

 見えるかどうかなんかどうでもいい。ただ、私という存在を生み出した【何か】はある。それを大いなるものと呼ぶ人もいれば、ソースという人もいる。根源、宇宙、神…いろんな呼び方はあれど、私は、私を存在させるものを信じることにした。
 その時から私は、縛っていた自分から徐々に自由になって言ったのだ。


 1個80円の卵。

 人にとっては贅沢だという。

 だけど、私はやっとその贅沢を自分に許せるようになったのだ。

 愛する人と肩を寄り添わせ1時間かけて、卵を買いに出かけ、笑い合い、奈良の景色を堪能しながら歩いている時間。

 愛する人と落ち着いた家で、ストーブを焚きながら温かいご飯に、この黄色い卵をかける豊かな朝食。

「美味しい!美味しい!」と満面の笑みで愛する人の顔を見ることができる瞬間。
  
 あの当時、甘えることも、弱音吐くこともできずに、頑張って、頑張って生きて来た独り者の私が想像もつかなかった本当の豊かさ。
 泣いて、もがいて、弱音吐いて、助け求めて、自分を許して、愚かさをさらけ出したから今の私に戻れた。

 そう。今の私はとても豊かだ。

 たった80円でこんなに贅沢できるほど、私は豊かになっていた。

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