気にかかるのはからだではなくて。ライチ編

人生後半戦にも慣れてきたライチ、すごく頑強でもないかわりに特に持病もなし。
運動や食事に気を遣うなんて、なーんもせんと健康診断をAかBでクリアしてきました。

同年代のまわりを見渡せば、肩が腰がの整形外科系から、血圧、コレステロールといった内科系、私も人のことは言えない婦人科系、心療内科系などなど、それぞれに不安を抱えるお年頃です。

気持ちはわかる。
けれど、私にはもっと切実な健康不安があります。
それはボディよりもマインド。つまり認知症。70代後半と、やや早めに発症した母の人格が変わっていくのを見ているからです。

詳しくは以前のコラムで書いてます。↓


母はひとことでいって多趣味な専業主婦でした。
なかでも英会話は文法から体系的に学んでいて、海外にもあちこち出かけていました。
そんな人にとって、自分の記憶力や知性が失われていくと感じるのは、どれだけ恐ろしかったか。

母の部屋からは何冊ものメモ帳、ノートが出てきました。見たTV番組、とった食事といった雑多な備忘録。
おそらくメモをつけていてもどこにしまったか忘れるのでしょう。
最初の数ページだけ書いて、あとは空白。
やがてメモ帳の存在すら忘れるのか、こんどはチラシやレシートの裏に。何百枚も。

自分にも似たところがあるので書いていて複雑な気分ですが、あまり他人に気を許さず、弱い面を見せず、どちらかというと皮肉屋で冷たいところのある人でした。

なのに、投薬を経て攻撃的な症状が鎮静すると、いつもニコニコ穏やか、童女のようなあどけないおばあちゃんになってしまったのです。
母の性格がまるっきり変わってしまったことに、私は最後までなじめませんでした。

思えば皮肉というのは一種の間接的表現で、自分の正直な思いを押し殺して別の角度からものごとを表現することです。
ところが認知力が失われると、自分を客観視することができなくなり、発言は常に直接的になり、二重の意味をもたなくなります。

母の持ち味だった皮肉は、認知の能力と共に消えてしまいました。
いやだった面がなつかしくて泣くとは思わなかったなあ。
そして私は、いずれ自分の人格が失われることを、受け入れられるだろうか?


いまの医学では治療が難しく、進行を遅らせるくらいしかできない認知症。じゃあどうするよって話です。

まずは自分の心の変化に客観的に、自覚的でありたいと思います。
新しいものに関心をもたなくなると、たいていヤバいサインなんですよね。
なにやら話題のClubhouseも、敬遠しないで手を出してみますかね…。

そして人とコミュニケーションをとり、気軽に人に頼れる自分であること。
不得意になったところは助けを求め、できるところは自分でこなして、症状と折り合いをつけながら生きていく。
もちろんそうなる前には、困った人を助ける自分でありたい。

これは、未来の私への手紙かもしれません。

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