「誤解される方も悪い」という誤解

叩かれる方も悪い
いじめられる方も悪い
騙される方も悪い
痴漢に遭う方も悪い
侵略される方も悪い
殺される方も悪い

こうした加害者の言い訳や口実や理由その他、責任転嫁を擁護して被害者を叩く加害者思考の背景には、「過去の自分の行為をどこかで正当化したい心理」がある。

だが、如何なる非や落ち度や弱点や欠陥が被害者にあったとしても、「被害者の至らなさ」は加害行為とは別問題であり加害の免罪符にはならない。
100%の自由意思に基づく行為の原因は、100%行為者にある。勿論、諸事情により自由意思を削がれた状態で已むを得ず選択した行為なら、原因・責任も相殺される(論拠詳細は幣サイト)。

解釈の自由にも責任は伴う。誤解の原因は「誤解する側」に会って「誤解される側」はない。
こう言うと「詐欺で騙されるのも誤解した側に原因があるので誤解した側が悪い」と誤解する者が出てくるが(この時点で自家撞着するが)、「誤解した原因」と「誤解させた原因」は別問題。時系列から言っても、「誤解させ(騙さ)」(能動)なければ「誤解させられ(騙され)」(受動)ない。

因果論を善悪論にすり替え己の正義感に陶酔するネット自警団もまた、低水準教育の犠牲者。
義務教育で哲学や心理学を教えないから、先見力協調性適応力自制心倫理観論理力EQ各種リテラシー問題解決力等が低くなる。


以下、弊サイトより抜粋。

同じ原因は常に同じ結果を生む。時に結果が異なるなら、それは原因ではなく主観的な理由や動機条件言訳口実根拠切欠発端相関。
原因ではない表層的事象の解消は偽善・自己欺瞞。根本的解決にならない。故に、仮に貧困を無くしても富豪が罪を犯す。

経緯はどうあれ加害なくば被害なし。加害の原因は常に加害者の精神的未熟。被害者の非や落度過失欠陥問題は原因に非ず。
例えば「何度転校しても虐められるのは被害者にも原因が」は偽。原因は各校の加害者の精神的未熟。被害者に苛めの原因はない。

どんな情報もその取捨対処は受信者の自由。解釈の自由にも責任が伴う。解釈の結果(誤解不快等)の原因は発信者にはない。
未熟な解釈者ほど己の選択結果を表現者に責任転嫁。他者に不自由(規制等)を与えるから自らも不自由(怒り等)を得る。

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