殺人がNGな理由は「存在に原因はないから」

人を殺してはいけない理由について、記事中の養老孟司氏の主張が的外れで要領を得ていなかったので反論した。
自身の矛盾に無頓着な彼もまた低水準教育の犠牲者だ。義務教育で哲学・心理学を教えないから、想像力・自制心・倫理観・論理的思考力・メディアリテラシー・問題解決力が低くなる。

>中国が有人宇宙船の発射に成功した、といったことがよく「快挙」として取り上げられる。しかし、飛ぶだけなら蠅でも飛ぶではないか。

蠅は宇宙は飛ばない。論点摩り替え。

>計算通りにしか飛ばないロケットとどちらが凄いのか。

ロケットも必ずしも計算通りに飛ぶわけではない。事故ることもある。蚊もまた蚊自身の計画通りにしか飛ばない。よって「蚊の方が凄い」とも言えない。

>システムを壊すのはきわめて簡単。でも、そのシステムを『お前作ってみろ』と言われた瞬間に、まったく手も足も出ない

人間というシステムは人間の生殖によって作ることは可能。創造は破壊より時間は掛かるが不可能ではない。

>そうやって蠅叩きで潰した蠅を元に戻せますか

潰した個体は無理でも、似たような個体は他にいる。「その個体固有の完全な原状復元」が条件なら器物にも同じことが言えるので、生命だけを論うのは筋が通らない。また「その個体の完全復元にこそ価値がある・完全に元通りでなければならない」根拠が示されていない。

>殺したら二度と作れねえよ

その個体特有の厳密・精細な個性に拘らなければ、似たような個体はその種の生殖により作れる。そのハエやヒト個体が獲得した記憶等に特に価値があることを証明しない限り、物も同じだ。燃えて灰になった椅子は、二度と”同じ椅子”になり得ない。

>『どうせ死ぬんだから慌てるんじゃねえ』というのが私の結論です。こう言うと『どうせ死ぬんだから今死んでもいいじゃないか』と言う奴がいるかもしれませんが、それは論理として成立していない。なぜなら、それは『どうせ腹が減るんだから食うのをやめよう』『どうせ汚れるから掃除しない』というのと同じことだからです。

早いか遅いかの違いがあるだけで、論理としてはニヒリズムとして成立している。実際に、摂食や清掃を止めて死ぬ人もいる。殺人肯定主義への反論になっていない。

>死は回復不能です。一度殺した蠅を生き返らせることは出来ません。

元より生き返らないことを死と言うのだから、「死んだら生き返らない」はトートロジー。

>人生のあらゆる行為は取り返しがつかない。

あらゆる生命体は生殖行為という「取り返しがつかない行為」によって生まれるが、生殖はタブーではない。同じ「取り返しがつかない」のに、殺人のみタブー視するのは道理に合わない。


「自他殺してはいけない理由」は「それが一時的な勘違い・思い込み・誤解の結果だから」だ。ほぼ全ての殺人は「存在することが問題・不幸の原因」「存在を抹消すれば問題・不幸は解決できる(この世から排除しなければ解決できない)」「自分の殺意の原因は相手にある」等の錯誤・矛盾・視野狭窄・論理飛躍の結果として生じる。

存在そのものに問題の原因はない。
だから存在を原因と見做す「殺せば解決」は間違っている。
故に、殺人はNGなのである。厳格な条件下の安楽死や尊厳死など、特殊なケースは別として。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?