今度は「フキハラ」だそうで🙄

貧乏ゆすりやため息は、健康増進に役立つ。
だが「我の前でため息を吐くな、不快だから」と主張する人は未だ多い。「解釈の自由」概念について学校で教え(わら)ないからだ。

>では「セーフなため息」と「NGなため息」、境界線はどこか。

それを決めるのは、各人の判断基準即ち主観。よって、「全てのため息は表現の自由でありセーフ」と考えられないとしたら、その原因は「そう考えられない人自身の固定観念・思い込み」にある。
解釈の自由にも責任は伴うので、解釈の結果を他者のせいにするのは筋違い(論拠詳細は幣サイト)。

>心理学者で京都橘大学教授の上北朋子さんも、「ため息によって相手が精神的苦痛を感じる」ことには一理あると話す。

一理はあるだろう。が、その精神的苦痛の「原因」は相手のため息にはない。

>不機嫌や不快感からくるため息の場合、受け取った人が同じようにネガティブな気持ちになることはじゅうぶん起こりうる

起こり得るだろう。が、そのネガティブな気持ちの「原因」は相手のため息にはない。


因果の本質を教わっていない彼らもまた低水準教育の犠牲者。
義務教育で哲学や心理学を教えないから、先見力協調性適応力自制心倫理観論理力EQ各種リテラシー問題解決力等が低くなる。


以下、弊サイトより抜粋。

どんな情報もその取捨対処は受信者の自由。解釈の自由にも責任が伴う。解釈の結果(誤解不快等)の原因は発信者にはない。
未熟な解釈者ほど己の選択結果を表現者に責任転嫁。他者に不自由(規制等)を与えるから自らも不自由(怒り等)を得る。

自由度多様性の高さは精神成熟の証。最大限保障し問題の早期発見等に活用が吉。民度の低い集団ほど不都合な存在を嫌悪排除。
雑言等は不遇な未熟者の自己投影・同属嫌悪。表現狩り等で自由奪えば却って暴発。必要なのは排除処罰ではなく治療教育。

同じ原因は常に同じ結果を生む。時に結果が異なるなら、それは原因ではなく主観的な理由や動機条件言訳口実根拠切欠発端相関。
原因ではない表層的事象の解消は偽善・自己欺瞞。根本的解決にならない。故に、仮に貧困を無くしても富豪が罪を犯す。

AがBを挑発しBに殴られた時、「挑発した原因」「殴った原因」は其々Bに0%と100%。動機口実切欠は原因ではない。
Aの誤報でBが誤信した時、「誤信の原因」はBに何%?答えはそのまま回答者の精神成熟度を表す。情報源は誤解の原因に非ず。

AがBを咎めBが自殺した時、「咎めた原因」「自殺の原因」は其々Aに100%と0%。曖昧な善悪論ではなく因果論で語るべし。
Aが命令しBがそれに従った時、「命令した原因」と「従った原因」は其々AとBに100%。行為の原因は常に行為者にある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?