未熟な労働観念が体を蝕む

 若い頃は御多分に漏れず労働観念が未熟で、健康も顧みず体力に任せてガムシャラに働いていた。「早く一人前になってバリバリ働けば社会に貢献できる」というのは勿論建前で、本音は「周囲の期待に応えようと焦って」或いは「自分が如何に仕事デキる人間かをアピールしようと」躍起になっていた。

 当時の直属の上司は神経質でワンマンで朝令暮改も多く、「てゆーかね」が口癖で他人の意見をまず否定することから入るような人だった。しょっちゅう癇癪を起こし、紙詰まりを起こしたコピー機に対して怒鳴ることもあった。ある時、その上司に理不尽な仕事上の注文(ケチ)を付けられた。納得できず食い下がったのだが結局言い包められ、ムカムカしながら席へ戻ったその時、左目の視野に異変が。小さな凸レンズを入れたかのように、中央部分が歪んで見えるのだ。しかもそこだけ薄いセピア色に変色している。

 ネットで調べてみると、どうやら「網膜炎」の一種らしいことが判明。眼科に行くと、精密検査の為の黄色い蛍光色の注射を打たれた。「後でおしっこが黄色くなる」というその造影薬が全身に行き渡るまで待った後、目の中を覗き込まれたのだが、これがなかなか終わらない。それほど珍しい病気なのか、医師がやたら忙しない様子でレンズ越しに舌なめずりしながら「フーム」「これは」「ははぁ」等とブツブツ言っては椅子に何度も座り直している。
 室内灯を落とした薄暗い中で、検眼鏡を挟んでしばし見詰め合うおっさん2人。一人は鼻息荒く興奮し、一人は「まだ終わらんのかいな」と冷めていた。
 どのくらい時間が経っただろうか。やっと結論が出たらしく医者が予想通りの病名を教えてくれた時には、内心「でしょうね🙄」という感想しか出て来なかった。しかも特効薬などはなく、ストレスを避け静養するのが一番だと言われ経過観察することに。専門家のお墨付きを得たという点では良かったが、おしっこを黄色くしてまで調べるほどのことだったのだろうかという疑念が暫く拭えなかった。

 いきさつを職場のトップにホウレンソウすると、癇癪持ちの上司が目に見えて大人しくなった。結果的には彼自身の心の健康増進にも寄与した・・・かも知れない。
 疲労が重なったり寝不足が祟ったりすると症状が悪化するので、その後の人事異動の際は、夜勤が多い部署には極力配属されないよう配慮して貰えた。上司の中には労災を進めてくれた人もいたが、結局あまり重症化せずに済んだので申請には至らなかった。意識的に睡眠を十分取るようにしたので、以前より健康になったような気がする。

 あれから20年。40半ばでセミリタイア。十分な貯蓄もあり元々金遣いが穏やかなので、もう死ぬまで働くことはないだろう。
 日常生活には困らないが、今でも白い壁などを見ながら瞬きをすると、クロワッサンに似た形状の薄暗い影が浮かんでは消える。この後遺症はまさに  #私らしいはたらき方  の結実だ。愚直に仕事に邁進する事だけが自分の取柄と思い込み、上司の理不尽な指示について周囲に相談する等の処世術にも疎かった。
 労働観念が稚拙なまま働くとこのように体を壊し、最悪の場合は過労死・過労自殺に至る。国は義務教育の段階でもっと「労働観念・自制心・柔軟性・適応力・問題解決力を高める教育」をすべきだと思う。例の上司ももし適切なアンガーマネジメントを教わっていれば、コピー機に当たり散らすこともなかっただろう。全人類の労働環境が改善するのを願うばかりだ。

 因みに、僕が患った網膜炎は過労やストレスが引き金になることが多いらしい。確かに当時、仕事は多忙を極めたが、発症の直前、頭に血が昇っていたので「高血圧」が最大の直因だと思う。実際、無重力で脳に血が集まりやすくなる宇宙飛行士にも多く発症するそうだ。
 我慢は美徳どころか悪徳だ。すればするほど、その反動で自分を含む誰かを傷付ける。
 ところで幣サイトの感情自己責任論※を、そのネーミングから安易に「感情は抑制すべきだとする論」と勘違いする人は少なくないが、あれはあくまで因果論であって決して我慢を奨励するものではない。理論上は誹謗中傷や罵詈雑言も表現の自由である。尤も、当時の僕はその自由を行使しなかったので、そのストレスが自分の体を蝕んだのだが。


※感情自己責任論(解釈の自由と責任)~学校では教えない合理主義哲学~ http://kanjo.g1.xrea.com/

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