ジェンダーは問題の本質ではない

 上記記事で「表現の現場調査団」が主張している「男性中心の不均等がハラスメントを増長する原因の一つ」には論理飛躍がある。ハラスメントの原因は、「自分と同じ性が周囲に多いからハラスメントをしても許容される」等という勘違いも含めて、ひとえに加害者の規範意識・遵法精神・共感力・人権概念・自制心の低さである。「同性が多いこと(等の周辺環境)」は一部の加害者の主観的な理由・口実・言訳・動機・条件・正当化に過ぎない。
 実際、男性或いは女性しかいない職場でもパワハラをしない者が殆どだ。個人の問題であるにも関わらず、「問題の矮小化だ」等とそれが属する集団の問題に拡大解釈するのは偏見でもある。偏見は差別を生じやすくし、原因・責任の所在を曖昧にする。
 原因と結果は常に対になる。同じ原因があれば同じ結果を生む。「時として結果が変わる」のであれば、それは原因ではない。加害者の言訳である。その言訳を真に受け原因と見做すのは、原因帰属錯覚だ。尚、「加害者が自制心の乏しい人格に育った原因」は「加害者自身がそれまでに受けた教育水準が低かったこと」である。

 同調査団の別の主張「このような歪な男女比を抱える日本の美術大では、女子学生に不利になる問題が多く、また深刻なハラスメントへと発展するケースも」にも、論点摩り替えがある。どんな不利かについては具体例の記載がないので何とも言えないが、ハラスメントに発展する原因は、上述した通り「加害者自身の低い人権意識」だ。それを放置したままでは、幾ら女性を多くしたところで問題の「加害者の自制心や共感力」は向上しないし、寧ろ彼にしてみればターゲットにしやすい対象が増えただけ、という結果にもなり兼ねない。
 勿論、「女性が多い方が女性が声を上げやすくなるので問題が顕在化した際に迅速な対処ができる」という言い分もあるだろう。だがその観点は「同性ばかりの職場でも声を上げられないパワハラ被害者」「同性ばかりの職場でも声を荒げるパワハラ加害者」のケースを無視している。
 真に見定めるべき論点をジェンダー問題に摩り替えても、犯罪は場所を替えて行われるだけで根本的な問題解決にならない。「多様性を高めればOK」で思考停止するのは偽善だ。


 そもそも如何なる役職も、性別・年齢・出自・人種・障害の有無等(本人の意思では変え難い事柄)に関わらず、本人の希望・意欲・スキル・人柄等(本人次第で変わる事柄)に応じて採用するのが公平・公正というもの。性別のみを理由にした差別は論外だが、一律の年齢制限やアファーマティブ・アクションや特定の属性のみに下駄を履かせるクォータ制は、逆差別・偽善・欺瞞。追求すべきは結果の平等ではなく機会の平等だ。

 平等主義者の主張には、しばしば差別主義が潜んでいる。
 例えば「外で仕事する女性を増やしたがる人」の心底には「外で仕事する方が幸福・偉い・尊い」という差別心がある。職業に貴賎はない。或いは「収入の格差を気にする人」は潜在的に「より多く稼ぐ人の方が幸福・偉い・尊い」という差別心を持っている。浅ましい拝金主義の裏返しだ。また「会社役員や政治家を両性同じ数にしたがる人」にあるのは「男性には女性を幸福にする発想力・経営力・政策実現力が乏しい。社長や政治家は他の職種より偉い・尊い」という男性差別や職業差別。
 実際には、自殺率等で示されている通り概して世の男性は女性より不幸なのだが。

 ともあれ男女の数や人種比、障害者の割合、出身地・出身校が気になるのは区別している証拠。同じ人間なのだからそもそも区別しなくて良い

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