知る権利vs忘れられる権利

あらゆる情報は最終的に全人類が共有すべきだが、上手く使いこなせなかったり悪用する者がいる限りは、制限して然るべき。
引用文は全て、気の早い理想論を唱える高野弁護士。主張に無理がある。

>前科や逮捕歴はプライバシーじゃない。

その事件の加害者と被害者が共にプライバシーだ(必要以上に情報共有されたくない)と思うなら、その意思は尊重すべき。

>前科や逮捕歴はパブリックレコード、公的記録の典型例だと思うんですね。それは誰でもアクセスできなければいけないと思っています。

公的記録=誰もが無条件に未来永劫アクセス可能、ではない。公文書も一定期間過ぎれば殆どが破棄される。

>『忘れられる権利』、つまり、他人の記憶を制約する権利などというものを認めてはいけないと私は考えます。それは個人の都合で歴史を改変するということ

忘れられる権利とは「静かに暮らす権利」のこと。つまり、制約するのは他人の記憶ではなく他人の粗探しと穿り返し。歴史は公的記録で保存されているので改変不可能。

>逮捕されて有罪判決を受けた人が今はきちんとした生活をしていますという情報の提供、対抗言論、モアスピーチを重ねることによって、社会を変えていくという方向が正しい

「更生した情報」は別な方法で提供可能。逮捕歴を公開し続けることと「更生した情報」は別物。提供先も被害者や加害者の家族など関係者のみで十分。
言論に巧みな前科者ばかりではない。対抗を強いれば静かに暮らせない。

>それって結局、愚民思想でしょう。つまり、自分(裁判官や検察官や弁護士や警察官など)は逮捕歴の情報を得ても平気です。だけど、一般国民はこういう情報を見せたら、ろくでもない、下衆な反応をする。

逆に言えば選民意識だが、実際、一部の公務員や資格者だけが触れるようにした方が社会秩序は保たれる。「誰もがアクセス」だと悪意あるアクセスを防げない。

>国民に対する情報統制をすること(情報を知らせないこと)によってこの国の道徳は守られてるんだっていう、そういう発想

その発想は公序良俗に資するので正しい。当局が完全統制して公開すべきを秘匿するなら問題だが、今それは論点ではない。

>私の懲戒請求した人の実名をブログに書いたら、運営会社から削除された。しかし、それがおかしい

確かにおかしいが、逮捕歴を全国民に情報公開するか否かとは別問題。論点摩り替え。

>実名報道は、歴史的事実の一部であり国民の知る権利の対象

全ての歴史が実名で構築されている訳ではない。知る必要のない情報もある。

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