人格障害者にも言論の自由はある

どれほどメディアリテラシーが乏しく思い込みの激しい人格障害者にも、表現・言論・信仰・学問の自由はある。トンデモ右翼思想に被れた政治家が根拠不明な妄言を発しそれを鵜呑みにする有権者がいたとしても、その結果を甘受するのが民主主義だ。

添田詩織・泉南市議もその同調者も、低水準教育の犠牲者。
義務教育で哲学や心理学を教えないから、先見力協調性適応力自制心倫理観論理力EQ各種リテラシー問題解決力等が低くなる。
低水準教育の犠牲者に必要なのは憎しみ(情報遮断・処罰・排除・放置)ではなく愛(情報共有・高水準教育・精神治療・救済)。


以下、弊サイトより抜粋
どんな情報もその取捨対処は受信者の自由。解釈の自由にも責任が伴う。解釈の結果(誤解不快等)の原因は発信者にはない。
未熟な解釈者ほど己の選択結果を表現者に責任転嫁。他者に不自由(規制等)を与えるから自らも不自由(怒り等)を得る。
自由度多様性の高さは精神成熟の証。最大限保障し問題の早期発見等に活用が吉。民度の低い集団ほど不都合な存在を嫌悪排除。
中傷等は情緒不安・不遇未熟なコミュ障の自己投影。表現狩り等で自由奪えば却って暴発。必要なのは排除処罰ではなく治療教育。

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