必要なのは訓練よりもコミュニケーション

>清掃会社が人員の適切な訓練を怠ったことにある。清掃員は電気系統の問題の是正を試みないよう、訓練しておくべきだった

という大学側の弁。一理あるが、”訓練”はやや仰々しい。それよりも「アラーム煩い事があるかもだけど必要なんで我慢してね」等と一言伝えておけば済んだ話ではないだろうか。
或いは、関係者以外が当該ブレーカーを触れないように配電盤に施錠や注意書きを施しておくとか。予算が許せば、万一に備えて予備電源を用意しておくとか系統を分けておくとか。

支払い能力がないと踏んでのことか大学側は「清掃員に過失はない」と主張しているが、無断・独断でブレーカーを弄ったのだから過失はある。
他方で、これは大音響が鳴り響く環境下で仕事を強いた労働問題でもある。大学が事前にアラームが鳴り得る事を清掃会社に周知していれば、会社側の対応も違ったかも知れない。
裁判では恐らく、大学側も十分な通知を怠ったと見做され過失相殺されるだろう。

以下、弊サイトより抜粋
あらゆる社会問題に共通する根本原因は無知思い込み勘違い誤解視野狭窄。解決に必要なのは適切十分な高水準教育(≠高学歴)。
義務教育で哲学や心理学を教えないから、先見力協調性適応力自制心倫理観論理力EQ各種リテラシー問題解決力等が低くなる。
感情的批判・感情論は全てブーメランになる。無責任な解釈者ほど己の選択結果を表現者に転嫁。人は鏡。

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