独裁社ツイッターの自己矛盾

通報が一定数に達したので機械的に規制しただけかも知れないが、長引くようならモデレータに強烈な安倍信者がいる可能性も否定できない。


「ツイッター社が望まない利用の仕方」をしているせいか、僕自身もこれまで何度も凍結された。既にブラックリスト入りしているのだろう、異議申し立てをしても最早返事すらない。

営利目的である以上、「多くのユーザーにとって快適な利用環境」を志向するのは理解出来る。表現の自由を規制するのも表現の自由のうちだ。

だがそもそもあらゆる情報・メディア・媒体がそうであるように、全く同じ内容でもどう捉えるかは受け取る側の解釈次第。解釈の結果(誤解や不快感)は自己責任・自業自得だ(論拠詳細は幣サイト)。
各自がミュート等すれば済むようなものまで制限するのは、「スルースキルを含むメディアリテラシーや自由概念・責任概念の乏しい他罰的なユーザー」を甘やかせるだけだろう。
通報者への過剰な迎合は「このCMは問題だ不快だ放映を止めろ」というキャンセルカルチャーの是認と同根である。

例えば、「指導・躾に体罰はおろか怒鳴る必要もない。その必要性の発生自体が、それまでの教育の欠陥不備瑕疵の自己証明・責任転嫁」という内容のリプを、それに不快感を抱いた体罰必要論者らの言うがまま排除すれば、それは彼らの体罰とエコーチェンバーを助長するに等しい。

或いは、自殺願望が高そうな人に「希死念慮の原因は視野狭窄。必要なのは新たな知見」等と助言した結果、仮に99人がそのリプを「余計なお世話だ」と不快感を抱いたとして、彼らに果たして「残る1人が同じリプを読む機会又はそれをきっかけに立ち直る可能性」を奪う権利があるだろうか?
もしツイッター社が「たとえ真の多数派9900人がノーリアクションだったとしても、不快がるノイジーマイノリティの意向を無視していてはサービス業は成り立たない。自殺願望も不快感同様、自己責任・自業自得」と主張するのであれば、それはまさに弱者切捨・人命軽視な営利至上主義以外の何ものでもない。

いずれにせよ、「とあるリプ」に問題があるからと「全リプ規制」するのは拡大解釈が昂じた一種の差別だし、そうした粗雑な規制は「人々が他者とつながり、信頼できる情報を見つけ、自由かつ安全に自己表現できる場を提供したい」とするツイッターの理念にも反する。

少なくとも「規制の際にはどのリプがどのルールに反しているのかを明示する」というルールを、モデレータ全員に徹底すべきだろう。
一部の排他主義的な利用者の意向に阿るだけなら、密告を是とする独裁国家と変わらない。


以下、弊サイトより抜粋。
どんな情報もその取捨対処は受信者の自由。解釈の自由にも責任が伴う。解釈の結果(誤解不快等)の原因は発信者にはない。
未熟な解釈者ほど己の選択結果を表現者に責任転嫁。他者に不自由(規制等)を与えるから自らも不自由(怒り等)を得る。

自由度多様性の高さは精神成熟の証。最大限保障し問題の早期発見等に活用が吉。民度の低い集団ほど不都合な存在を嫌悪排除。
雑言等は不遇な未熟者の自己投影・同属嫌悪。表現狩り等で自由奪えば却って暴発。必要なのは排除処罰ではなく治療教育。

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