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青菜

柳影

 青菜といえば、青菜に塩、敵に塩を送る、忍者玉、三日三晩の土用干しなどが連想されますし、青菜で一杯といえば柳影にとどめを刺すわけです。
 しかし、昨今、青菜、菜っ葉ということばはとんときかなくなり、小松菜、野沢菜、からし菜、チンゲン菜、ほうれん草など、細々分かれてしまっています、こうなると何が違うのかが気になるところです。

 青菜を生で食べる雰囲気はないですね。なので、レタスやキャベツは青菜に、はいらない気がします。

 ところで、生って何? 漬物は生なのか生でないのか問題がでてきますが、調味料をなめるために食べる野菜が生野菜。調味料がしみ込んだらそれは生ではないことにしましょう。

 まず、青菜に塩、塩ふってしばらく置くとしんなりします。ところが、キュウリの塩もみは食べたことあるけど、青菜の塩もみは意外と食べた経験がありません。

 塩ふって一晩おくと一夜漬けでこれは漬物。ゆでて、マヨネーズ、しょうゆ、酢味噌をかけたのはなんていううだろう。だしにつけるとお浸し。出汁につけるとお吸い物。味噌をいれたら味噌汁。鍋、ラーメンなどだいたい汁物に入れて食べられますね。いためてもいいけど、てんぷらや網焼きにはしない感じがします。
 
 さて、食べることに気持ちが動いてしまいましたが、似たもの青菜はどうちがうのか。
 
 その前にちょっと前置き、関連することばに「漬け菜」というのがあるようです。

漬け菜

は、アブラナ科の中でも結球しない菜っ葉類の総称。
日本での漬菜の発達は,カブに近い〈あおな〉,アブラナに近いクキタチナやハタケナにあたる〈うんだい〉,キョウナやミブナにあたる〈みずな〉が古い記録に現れ(《和名抄》),江戸時代にはナガサキハクサイの原種である〈唐菜〉(《長崎見聞録》)や非結球ハクサイに属する〈白茎菜〉(《成形図説》)が見られ,明治初年にはタイサイやサントウサイが導入された。
また古くから中国などより渡来,導入されたアブラナ類やカブなどが複雑に交雑を重ね,各地方の風土に合った漬菜類が分化し,土着して日本独自の多くの品種ができ上がった。
 

小松菜、野沢菜、広島菜、高菜

小松菜
江戸時代初期に現在の東京都江戸川区小松川付近で、クキタチナ(茎立ち)を品種改良して栽培され始めたと言われている。コマツナは江戸時代なかばまでは「葛西菜」と呼ばれていた。『大和本草』には「葛西菘(かさいな)は長くして蘿蔔(だいこん)に似たり」とある。
 
野沢菜
現在は、カブに由来する変種(var. hakabura:葉蕪)と考えられている。野沢温泉村では蕪菜(かぶな)と呼んでいたが、大正時代に開設されたスキー場を訪れた都会のスキー客が蕪菜の漬け物に感激して「野沢菜漬け」と愛称を付け、それが全国的になって野沢菜、野沢菜漬けという呼び名が定着した。
 
広島菜
慶長年間に広島藩主が参勤交代の時、同行した観音村住人が京都西本願寺へ参詣し、観音寺白菜を持ち帰って栽培したのが最初とされる。明治に入り川内村の木原才次が従来の京菜との交配で改良を重ね、現在の広島菜の原型を川内村でつくりあげたとされている。
 
高菜とその品種
高菜の本格的な導入は明治時代で中国から奈良県農事試験場に種子が入り、その後は特に福岡県瀬高町、和歌山県新宮市、山形県内陸部の3ケ所で栽培されるようになった。
 
三池高菜
主に福岡県の筑後地方南部で栽培されている品種。同県大牟田市の三池山で栽培されていたことからこの名がある。柳川藩主であった立花氏が明治時代になって柳川市三橋町に創設した「旧立花家農事試験場」で改良された品種で、中国の四川青菜と在来種の紫高菜を掛け合わせたものである。
 
雲仙こぶ高菜
長崎県雲仙市吾妻町で栽培されている品種。中国から引き揚げてきた同市出身の峰眞直が種を持ち帰り栽培を始めたのが始まりで、いったんは雲仙から全国に広まったものの、三池高菜におされた事や、元々収穫量が少ないために次第に作られなくなっていった。しかし、2002年に「雲仙こぶ高菜再生プロジェクトチーム」が結成され、現在は10軒ほどの農家が栽培している。
 
阿蘇高菜
熊本県の阿蘇地方で栽培されている高菜である。平地の高菜に比べると小さめで、しんなりしにくいため漬物作りに向いている。機械を使わずに一本ずつ手で収穫する事から、阿蘇では収穫作業を「高菜折り」と呼ぶ。減反政策の影響で余った農地で高菜を作り、高菜漬けを積極的に売り込んだことがきっかけで近年では「阿蘇の味」として定着した。
 

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