超個人的に2021年を振り返って。

今年一年は本当に散々な一年だったと言っていいだろう。

昨年末から主に女性関係の(不慣れな)問題に向き合いつつ、曲がりなりにも交際に至るも、光の速さで関係性が不安定なままに年初にお別れすることになった。
高揚と罪悪感と安心感と背徳感と。

さらにお別れのタイミングで本業で役職がついて新しい環境での強いストレスを感じながら、孤独とは言わないまでも精神的に追い詰められる状況が続いた。
孤独と自責感と優越感と虚無感と。

正直今年の大半は本業に関する課題と課題と課題で頭がいっぱいで仕事が手につかない(要するにオーバーフロー気味)状態だったが、年末に差し掛かり気持ちの面だけで言えば少し落ち着いてきた。休みを多めにもらえたのも大きかった。そうやってこのストレスフルな一年を振り返るきっかけができたのはマジで助かった。
安堵感と逃避衝動と前向きな気持ちと。

ぶっちゃけるとお金は前よりも稼げるようになったけれど、生きる意味を見失っていたような、気持ちの持ちようとしては誤っていることを自覚しながらも、軌道修正をできずに痛みを感じながら毎日を過ごしていた、そんな気分だった。すべてが虚しかった。客観的に見ればそこまで不幸せに思えないだろう、と自分でも判断できるが、その実、内面は虚無感でいっぱいだった。

この一年間を振り返って何を学べただろう?思いのほかこの一年間は短かったし、そして糞だった。この先の人生がこのような一年の繰り返しなら今すぐ死んでやる。そう断言できる一年だった。転んでもただで起きてやらぬ。今までもそうだったし、これからもそうだ。今日はポイントを絞って、この一年での気づきをまとめてみようかと思う。

1.金で幸せは買えない。買えるのは少しの安心感と少しの自由。
この一年は自分史上一番収入を得た年になった。しかし、一番不幸せな一年とまではいかないまでも、直近10年で言えば3番目くらいには糞な一年だったといえる。お金で幸せは買えない。たぶん、これ以上収入が増えたとしても幸福感がそれほど自分の幸福に寄与しないことは容易に想像できる。
収入が上がって悪いわけではない。むしろいいこともいっぱいある。お金がないことで起こる様々な心配が軽減できるし、自分の行動の選択肢の幅が少し広がる。老後の心配、支払いが滞る心配、突発的な出費による生活の変化の心配、などなど、軽減できる心配は多い。また世にあふれた便利なサービスを気兼ねなく利用できる利点もある。今まで手の出なかった服が買える、気になる家電を変える。それはまことにいいことだ。
収入がある程度あることは、正味な話、必要条件ではある。ただ本当に幸福に寄与するのは、自分が時間を忘れて楽しめる時間を担保するそれだ。趣味や大切な人との時間だ。要するに趣味や人だ。真摯に向き合える課題と、一緒に居れることを真に喜べる人だ。金、趣味、人、それらを支える前提としての健康。これらが幸福の条件じゃないだろうか。(それらに加えて安全な環境、というのも大切だが、現代日本に住む限り、本当に考えるべき危険というのは少ない気がする。考えるとすれば、地震や土砂崩れ、治安などの居住地域での安全確保は考慮に値するだろう。)

2.モノを作れ。ゲームを作れ、文章を書け、絵を描け。
では趣味は何か。真摯に向き合える課題は何か。僕の場合はゲーム作りが好きだ。文章を書くのも好きだ(ボードゲーム作りなんて乱暴に言えばルールを書く作業だともいえる。異論は認める)。絵を描くのも好きだ(ボードゲーム作りなんて乱暴に言えばイラストを描く作業だともいえる。異論は認める)。とにかくモノを作って頭の中から吐き出す作業が好きで、頭をフル回転させて課題に取り組めるし、作ったものを人に見せた時の反応を予想したり、実際の反響に一喜一憂する楽しみもある。上手い下手はこの際気にしないで行こう。自分の作ったものが最高であることは最初から決まっている。今の自分が全力で作り出したモノこそが、今の自分を表現する最高のモノであることは規定の事実なのだから。もし自分の作品の不完全さがどうしても気になるのならば、その不完全さも今の自分の至らなさを表現しているのだから、次の課題にしてもいいし、開き直って自分のかわいらしさとして捉えてもいい。まぁ、いいから次、作ろうぜ。

3.決断は速くしろ。崖から飛び降りるのは楽しい。
今年一年は本当にたくさん言われた。
「判断が遅い。」
仕事で100回は言われたし、アニメを見ても言われた(鬼滅の刃)。
僕は正直自分が納得する答えを見つけてから行動したいタイプだし、結果に対してかなり気長に待てるタイプだと思う。しかしながら現実問題としてそう悠長に判断を遅らせることのできない問題も多く存在する。あるいは迷っているだけ、躊躇しているだけで実際には考えが進んでいない問題を先送りしているだけのこともある。不完全でもいいからなにかしらの答えが求められている場面も多いのに。そういう時は「後は野となれ山となれ、えーーい」くらいの気持ちで決断するのも人生のスパイスとしては乙なものだ。
そりゃ決断すればリスクもデメリットも返ってくるに決まっている。最適解なんて制限時間内に導き出せるほど僕は賢くないよ。それより決断して突っ込む楽しさを大切にしたい。決断は楽しい。後悔することも多いけど、決断する時のあのリスクにさらされた自分の高揚感に焦点を当てれば、前に進める。

4.恥を捨てろ。結果舐められないすべての恥はノーリスク。
恥の感情で動けない時がある。人の目が気になって、自分に正直になれない時がある。あなたにどう思われるか心配で、言葉が前に進まない時がある。あるいは不意に恥ずかしい思いをして、顔が真っ赤になるときがある。人間は尊厳を貶められるような状況にあった時、羞恥心が働き、居心地の悪さを感じるようにできている。社会的な生き物である人間の社会的な立場を守る警告装置として、羞恥心という感情が適切に作用している。逆に考えてみよう。社会的な立場を貶められないならば、羞恥心なんて邪魔なだけだ。恥か、恥じゃないかは、そのコミュニティーによって変わってしまう。そんなことより自分に正直に生きる方が1,000倍大切だと思う。コミュニティーでの立場が貶められるようなことが無い限り、羞恥感情なんて普段味わえない気持ちのいい感情だよ?多少の恥ずかしい思いをすることはリスクでもなんでもない。むしろご褒美くらいに思っていい。それを受け入れられないとすぐに怒りだす面倒くさい人間に思われる。だから自分のMっ気を少しだけさらけ出して前に進む方が建設的だと思う。(最終的にSMを勧めたり、僕のSM趣味を吐露しているような構成になっているが、そういう意味ではない。誤解を招かないために明言してく。些細な恥など捨ててしまえばいい、という文脈。ちなみに僕はSもMも両方いけると思う。)

5.整理整頓と清掃をしろ。お前の部屋はお前の脳ミソの鏡。
部屋が汚いと、思考力が低下する。気になることがあると、脳のリソースが思いのほか割かれる。スマホのアプリがよく落ちるのは、他のアプリをたくさん立ち上げたままにしているからなんてことも多い。ベッドは毎朝整えろ。服はたたんで取り出しやすい場所を決めて配置しろ。ホコリは気になった瞬間に掃除しろ。ゴミ箱は半分埋まったら空にしろ。自分の好きなもので部屋をいっぱいにして、自分の嫌いなものを排除しろ。本当に向き合わなければいけない問題にフォーカスしろ。(ただ一つだけ注意したいのは思い出の品は捨てすぎると過去に逃げたい時に逃げきれなくなるので、悪い思い出じゃないものは捨てなくてもいいかも)

最後に。
今年は実りが多い年じゃなかった。失敗続きで心が折れかけた。でも学びは多かった(たぶん)。チャレンジは楽しい。そこに居座るな。偉くなるな。俺は小さな山を登ってそこに居座り続けるビビりが大嫌いだ。山があったら登れ。登ったら下りろ。下りたらまた次の山に登れ。人生にゴールなんてないだろ。挑戦し続ける今の連続を楽しめ。

苦しい毎日の中で山のてっぺん想像しながら足を進めるそのマゾ感が堪んないんだろ?


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