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「外国人」としてジョージアに生きる

ジョージアに住んで5年超となりました。この5年で言語(ジョージア語)もある程度は理解できるようになり、地理や文化に関する知識も得てかなりジョージアに馴染んできたのではないかと思います。その一方で、「外国人」であることからの孤独は未だに強く感じることが多いです。

今、用事があって首都のトビリシに来ているのですが、田舎のブクナリから久しぶりに来ると人々の感じの違いもよく見えて、現地の人々の付き合い方について考えることが多くなり今回の記事を書くことにしました。

あくまでも個人的な見解であることと、ネガティブな面に焦点を当てた記事であるため誤解を招くことがあるかもしれません。僕はジョージアとジョージアの人々が大好きで、すごく良くしてもらっているから長い間住み続けることができています。だからこそ強調されるマイナスの感情を吐き出していることをご理解頂けると幸いです。
それではよろしくお願いします! 


田舎ではアジア人の見分けがつかない

僕が住んでいるブクナリ村など、ジョージアの多くの田舎の地域では、外国人の出入りがまだ多くありません。特にアジア人はかなり少なく、僕が日本人なのか韓国人なのか中国人なのかよく分からない人が数多くいると思います。

しかしこの中でジョージアで最も多く住んでいるのが中国人であるため、僕が中国人であると思い込まれることが多いです。道ですれ違った人から「ニーハオ」とか「チナ」など言われることもあります(小馬鹿にしている感じで言われるときも。ジョージアに住むアジア人の多くはこの経験があるのではないかと思います)。
僕はジョージア語が話せますし、自分のことを説明すればもちろん分かってもらえるしリスペクトもしてもらえます。それでもそこに至るまでは、自分は外見で判断される「外国人」なんだと強く感じます。当然のことではあるのですが。

田舎ではジョージア語や文化に理解があるとすごくリスペクトしてもらえる。

前述したような外見からの思い込みや人種への偏見は田舎の人達には多いと思います。とはいえ、お互いのコミュニケーション(ジョージア語での会話)が取れたりジョージアに関する理解があることを分かってもらえると、ものすごくリスペクトしてもらえるし、仲もとても深まります。

「お客さんは神からの使い」というジョージア語の言葉があります。訪問してくれた客を手厚くもてなすジョージア人のホスピタリティが表されています。

田舎の村で現地の人にあいさつしたことがきっかけで仲良くなり、家に招待してもらって食べ物とワインでもてなしてもらったことが何度もあります。

アチャラ地方の山村を散歩していたときのこと。村民の家に招待してもらい歓待してもらいました。

現地の文化や言葉を理解しないと仲良くなるのは難しいものの、それを理解していれば一気に打ち解けられると思います。

都会の若者は英語を話したがる。ジョージア語話者の外国人が殆どいない。

さて、トビリシをはじめとする都会では人の雰囲気が打って変わります。まず、ソビエト時代を経験していない若者人口がとても多いです。僕と同世代の。 彼らの多くはリベラル・「ジョージアのEU加盟」・「反ロシア」を掲げており、ヨーロッパを中心とした「外」に目を向けているため、田舎よりも当然「外国人慣れ」はしています。

英語を話せる人ももちろん多いため、外国人にとって意思疎通は容易です。

しかし、外国人のジョージア語学習者が恐らく非常に少ないため、僕がジョージア語を知っていることで逆に肩身の狭い思いをすることがあります。

ジョージア語を知っているプライドが仇となり孤独を感じる

僕はジョージア人とコミュニケーションを積極的に取ることでジョージア語を覚えてきましたし、もちろんジョージア語で話したいと思っています。

しかし前述の理由から、僕がジョージア語で話しかけているのに英語で返事されることがよくあって、とても嫌な気分になってしまいます。

気にしなければ良い話なのですが、「僕は数少ないジョージア語学習者で、ジョージアの文化に敬意を持っている」という変なプライドがあるためすごく気にしてしまいます。

ジョージア人同士ではもちろんジョージア語で会話していますから、言語を知っていても超えられない壁があり、ここでも自分は「外国人」なんだと孤独感と共に実感しています。

敬意を持ちながらも「外国人」として生きる

僕はこれまで何とかジョージア人に溶け込みたいと思いながら生きてきたところがあったと思います。しかしその思いが強すぎて前述したような葛藤を感じていました。
自分は「外国人」だと割り切った方が楽に生きられる気もします。もちろん「外国人」としてのジョージアに対する敬意は持った上で。

そうした方が「外国人」「日本人」としての、また違った良さを自分も出せる気がします。

とはいえジョージア人で仲良くなった人には、
「お前はジョージア人だ!」「ジョージア人よりジョージア語知ってるよ!」など言ってもらえることも多いです。

ジョージア人に溶け込んでいくのか、「外国人」として割り切って生きるのか、バランスの良い生き方を探っていこうと思います。それが精神衛生上良いと思うので。

読んで頂きありがとうございました!


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