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「ユーコンを流れる」2019 ユーコン川344km、8日間一人旅⑬

11)エピソード① 「不安は川下りだけでなかった」

 最後に、この旅で川下りと同じくらい大変だったのは、往復の移動であった。添乗員がいないし、英会話ができないからだ。おまけに、今回は初めてデルタ航空系のマイレージを使った。旅行代理店を通さないので、ちょっと違うシステムであった。空の便は、中国東方航空とマイレージの対象にならなかったエアーカナダであった。旅程は、福岡 → 上海 → バンクーバー → ホワイトホースの往復であった。

 最初の乗り換えの上海浦東空港には、1時間遅れで到着した。福岡空港で渡されたチケットには、バンクーバー行きのゲート番号の記入はなく、「上海で聞け」といわれたが、空港の案内板には私が乗る便が見当たらず、また尋ねようにもそれらしき案内所はどこにもない。
 手当り次第に人に聞いても、その場しのぎの対応で、広い空港内をあっちに行ったり、こっちに行ったりで、埒があかず焦るばかりであった。搭乗案内をしている人を見つけて、やっとゲート番号を教えてもらった。慌てて行ったが、そこはずっと離れた場所にあった(帰りはこの経験が役に立った)。なお、案内板にこの便が表示されたのは、それから間もなくであった。何のことはない、慌てずに待っておりさえすれば良かったのだ。

 こういう状態で、往きは無事に着けるのかと緊張した。2回目の乗り換えのバンクーバーで暗闇の中に日航機を見た時、いざとなったら、これで日本に帰ればいいと腹をくくった。海外旅行に慣れた人ならば何ら心配する必要などなかっただろうが、私にはなかなかきつい体験であった。しかし、これらの体験が今は役に立っている。

 ホワイトホース空港に到着後、外でタクシーを探していたら、ワンボックスの運転手が何か聞くので、予約しているホテルの名前を言ったら「これに乗れ」と言われ、ホテルまで連れて行ってくれた。

 この町の人口は27,000人で、2階建ての建物はほとんど見当たらなかった。観光で成り立っているようで、産業らしきものは見当たらず、賑わいに乏しい町であった。映画館は1軒で、人々の服装も地味であった。8月下旬とはいえ、気温は日本の春先くらいで、薄めのダウンがちょうど良かった。緯度が高いので、遅くまで明るい。
 ここに、川下りの前後3泊したが、前半の2泊は繁忙期の料金設定で、後半は少し安かった。部屋はツインで大きかった。

 町にはトヨタ、スバルなど日本車が多かったが、どれも泥だらけで汚い。車を洗うという習慣がないのだろう。フロントガラスにもヒビが入った車を何台か見た。電気自動車EVが多いのには驚いた。

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