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No Try, No Chance! 人生にイノベーションを

ソニーの卒業生100人に順番にソニーで学んだことや卒業後の想いなどの話を聞くというイベント「ソニー有志アルムナイ100人会議」というイベントの第15回目(2023/11/14)に呼ばれて、10分間話をしたトーク原稿です。自分のこれまでのキャリアを振り返る良い機会でした。


略歴:浮き沈みのキャリア人生

私のこれまでのキャリア人生を振り返ると、浮き沈みの激しいものでした。この絵の上の方にある曲線は私の主観的な気持ちで、一番下がどん底状態、一番上のラインはイケイケ状態でちょっとのぼせ過ぎ。

87年にソニーに新卒で入社し、アメリカ留学も行かせてもらいました。CR開発というプロジェクトの解散にブチ切れて突然退職を決意したのが40歳になる頃。
「悪の帝国」マイクロソフトに転職した後、マイクロソフト人脈で誘われて社員15人くらいしかいなかった㈱ユビキタスに転職。あれよあれよと上場したのが今にしてみれば絶頂期。社長就任してからは経営悪化に悩み、メンタルどん底状態で社長退任します。ZMPに拾ってもらい自動運転の技術開発責任者に。現在のLIXILではIoTを活用したビジネスイノベーションを担当しています。

ソニーで学んだこと

新卒で配属されたのは、厚木にあった情報処理研究所でした。唯一デジタルをやっていた研究所で、今にして思えばとんでもなく優秀な人たちだらけで、FelicaとかMPEGとか次々とイノベーションが生まれました。プレイステーションを作った久夛良木さんはすぐ後ろに座ってた課長さんでした。私は何もできない若手でしたが、最初にこんなすごい研究所に配属されたのがとてもラッキーでした。

留学から帰国後、放送業務用の画像圧縮アルゴリズム開発を担当します。2003年にPS3向けのCELLプロセッサを使ったテレビなどを開発しようというプロジェクトが立ち上がり、青山のSCE (Sony Computer Entertainment)の1フロアに80人ほどソニー本社からの社員が集結し、私の部下も20人以上いました。

しかしこのプロジェクトは1年後に天の声で突如解散となってしまいます。「ソニー本社のやつら使い物にならない」とか「PS3開発の足引っ張ってる」などと言われとか。ブチ切れて「ソニーにいても社長になれないから辞めます」という捨て台詞吐いて辞めました。天の声に左右されるのでなく、自分で決められる立場の経営者になりたいという想いでした。

私がソニーで学んだことはたくさんありますが、世間では非常識だけど役に立ってるソニー育ちの行動パターンを挙げてみます。

ひとのやらないことをやる

ソニースピリットの根源です。イノベーションを起こして世界を変えることも当たり前。

可能と困難は可能のうち

できない理由を解決すればいいんだな、ってことを部下に言いすぎるとパワハラですね。

自分の意見を持ち主張する

上下関係をあまり意識せずに自分の意見を主張するということが当たり前でした。ソニーから出てみると上司に従うだけの人が多いことに驚きます。さらに上司が理解してくれなければその上に言いに行くのもよくありましたが、他社では上司に意見するだけで驚かれることが多いです。

マイクロソフトで学んだこと

マイクロソフトに移った私のミッションは、日本の家電メーカーと組んでPC中心のデジタルメディア戦略を推進すること。当時AppleがiPodブームを起こしていた頃でマイクロソフトはそれを止めようとしていました。例えばドコモのケータイでサブスク型の音楽サービス Napsterを聞けるようにしたり、ソニーではウォークマンにWindows Media DRMの採用をしてもらいました。

マイクロソフトで学んだことを2つだけ紹介します。

データに基づいた経営

マイクロソフトはデータドリブン経営で知られていますが、各自レベルのKPIも明確です。当時の上司は若いアメリカ人だったのですが、私が良かれと思って誰も拾わない仕事をしていたら怒られました。自分のKPIに直接関係ないことに時間を使うなと。

プラットフォーマーのジレンマ

プラットフォーマーに徹することは難しく、Apple社のように全てを自社で仕切りたくなってしまい結果的にパートナーに対して邪悪になるというジレンマです。私の場合はポータブルオーディオで東芝にZuneというMSブランド製品を作らせたこと。私は日本のパートナーに裏切り者呼ばわりをされる結果になりました。

ベンチャーで学んだこと

㈱ユビキタスは極小サイズの組込みネットワークスタックを武器にしており、ちょうどニンテンドーDSのWiFiコネクションという機能を提供し始めたころでした。ポケモンなどのソフトが売れるとロイヤルティで儲かるビジネスモデルだったので、一気に上場まで駆け上がります。ソニー製品に採用された例ではブルーレイレコーダーのルームリンク機能があります。

IPO後に社長に就任しましたがやがて経営不振の責任をとって退任となり、ZMPではロボットタクシーの自動運転開発を担当しました。

私がベンチャーで夢と現実の狭間で苦しんだ話を紹介します。

「1⇒10」と「10⇒100」は別物

ベンチャーにもいくつかフェーズがあり、年商10億円の壁とか社員20人の壁があると言われます。そこまでは創業者の力量とお客さんに恵まれれば到達できますが、そこから100億円を超える会社にするにはスケールするビジネスモデルと組織が必要です。それなしに売上だけを取りに行くと請負仕事に走って疲弊します。また早期にIPOをゴールにしてしまうとスケールしきれないままマネーゲームに巻き込まれ、上場会社としてのオーバーヘッドが増えてしまいます。

ベンチャー社長の器

私は創業者でなく社長としてうまく行かなかったわけですが、ベンチャー社長としてもっとも重要なのは、大きな夢を語り、それによって人を巻き込む熱量です。大企業の事業部長のつもりで来年二けた成長するぞ~みたいなマインドではとても務まりません。

LIXILでやっていること

LIXILはTOSTEMやINAXなど5社合併した住宅設備の会社です。私はIoTやデジタルを使ってビジネスイノベーションを起こすことがミッションです。

住宅向けではスマートホーム製品に関わっていますが、LIXILの複数製品を組み合わせて提案するために活用しています。
非住宅向けのトイレではIoTを活用した「LIXILトイレクラウド」というサービスを始めました。トイレ清掃員の人材不足課題に対処するもので、究極的にはトイレを物売りからサービスビジネスにしたいと考えています。

人生にイノベーションを

ここからタイトルの「人生にイノベーションを」という話をします。

「自己を」変革し続けること

ピーター・ドラッガーのイノベーションの本にいろんなことが書いてありますが、勝手に突き詰めると、イノベーションとは自己を変革し続ける事だと解釈しています。それは企業に限らず人生そのものに当てはまります。
人生には選択を迫られる岐路が訪れますが、大抵は何か新しいものにトライするか、しないかです。やってみたいという想いがあるのならトライする方を選択しようと若い頃に決めました。つまり、憧れるのをやめましょう、ということですね。何かに挑戦するとき、失敗する確率を考えて尻込みするものですが、成功確率だけを考えれば判断が変わります。トライしなければ成功確率ゼロです。No Try, No Chance ですね。

大言壮語のススメ

でも、やみくもにトライしてしまうと、ほんとに失敗するだけ。やると決めたら大言壮語することをお勧めします。秘めた野望なんてものはうやむやにしてしまいますから、家族や周囲に宣言(ピッチ)することです。周囲を説得するだけの想いがないのならやめた方が良いです。こうして退路を断つことで仲間が集まり、お金や時間などの条件が固まり、出口戦略を描けるのです。

そこから小さくブレイクダウンして仮説検証のループを早く回すことで、掲げた目標に近づくはずです。目標に達しなくても自分の成長という成功体験が得られるはず。この大きな挑戦ループを1周回ると自分の視座が上がります。新しい景色が見えてきたら、次の人生の選択(ピボット)をすればよいのです。何周か回ると、トライしなかったときとは全く違う人生になっているはずです。

悩んだら青空の下で身体を動かそう

とはいえ大きな挑戦するとうまく行かないことが多いので悩みます。私も社長の頃は大いに悩み、うつ状態に陥りました。そういうときは青空の下で身体を動かしましょう。気分が晴れて達成感を得られ、前向きに仕事に取り組めるようになります。私は趣味でもさきほどの挑戦ループを回しているので、今では長い距離のトライアスロンを完走するまでになりました。この話に興味を持ったらこちらの記事を参照ください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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