やっぱりダメだった

noteを30日書き続けて、何かの自信になればいいなと思っていたけど、気が緩んでしまったのか、更新を途絶えさせてしまった。

もともと記事をずっと投稿できたかといえばそうでもなくて、書けない時はつぶやきを投稿してもカウントはずっと続いていたので、よしとしていた。

何かを続けようと思い立って取り掛かって、ほとんどの物事を3日経たずにやめて、やっと続いたフィットボクシングとnoteは1ヶ月ぴったりで続けられなくなった。

フィットボクシングはアパートの階下に人が越してきて、ステップが踏めなくなったので断念した。

noteは気が緩んだというのもあるし、『1ヶ月続いたんだから今後はもっと人の目に止まるように記事の質を上げていこう!』という崇高な意識を芽生えさせてしまったのもいけなかったと思う。

書き続けた1ヶ月、なにかしらどこかしらで記事を見てくださった方からのリアクションはあれども、フォロワー数は伸びず、リアクションもどんどん減り、反応がひとつも何もない記事も増えた。

読み手を意識せず好き勝手に書いたことと、タグ付けを怠ったことが理由だと思う。それはわかる。

もともと誰かに何かを伝えたくて書き始めたというより、自分の内面を曝け出す練習みたいなものだったので、フォロワーは増えないしリアクションもほぼほぼないと覚悟していた。

だから1ヶ月続けることが出来たんだと思う。

なのに1ヶ月、たかが1ヶ月書けた程度で、自分には価値があると勘違いしてしまった。
自分にも出来ることがある。そう思ってしまった。
勘違いしたことで、『価値があると勘違いしたこと』を強く責める自分が現れた。

たぶん、もっと長い期間なにかを続けている人からしたら1ヶ月なんて、あってないようなものだろうし、なにか大きな出来事でもなければただの習慣の一部なんだと思う。


『なにかを続けることで自信がつくかもしれない』と思って始めたことを1ヶ月で途切れさせてしまったことで、『やっぱり自分は何も出来ない、中途半端なクズ』と自責の念を殊更強調させる結果になってしまった。

先日まで家の掃除だ、整理だ、なんだかんだと動けていたのに、ここ3日ほど前からおそろしく何も出来なくなってしまっている。
寒さ、気圧、PMS、就活、いろいろ重なって崩れたのかもしれないけど、前者2つは全国どこでもそうだし、後者2つ(特に就活)は自業自得でしかない。

もしかしたら先日までのいろいろ動けていた自分は幻覚だったのかもしれない。今のこの何も出来ない姿が本来の姿で、先日までは何かがおかしかったのかもしれない。
動けない自分が本来の姿というのは、それは今までもそうだったから、別になんとも思わない。けれど、『もしかしたら自分も他の人のように好きなことを楽しめる普通の人間になれたのかもしれない』と希望を抱かせておいて叩き落としたのであれば、それは外道のやり口だと思う。

幻覚だったら最初から見たくなかった。
自分にも、と淡い希望を持たせてほしくなかった。

路傍の石を気まぐれで動かさないでほしかった。石は自分では戻れないし、戻してくれと叫ぶこともできないので。

動かしたのも、希望を抱かせたのも、絶望に叩き落としたのも、全部石のやったことなんだけどね。

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