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HSPかもしれない話

HSP……非常に感受性が強く、周囲からの刺激を受けやすい人

私は、HSPには当てはまるかもしれない、と思う。

「かもしれない」というのは、自分=繊細が納得できないからだ。

いくらHSP診断で高ポイントを叩き出そうと、ズボラなところや、繊細とは程遠い部分もある。

こんな私がHSPを名乗っていいのだろうか。

しかし、自分の辛い生活に、HSPという特性を重ねた時、肩の荷が下りるような思いもあった。

誰かが言葉にしてくれた。

私以外にも同じように悩む人がいる。

私の悩みは、いろんな意味で大したことではないのかもしれない。



ある日、突然姉が、「あんた、HSPなんじゃない」と言ってきた。

うん、そうかも。

「知ってたの?」

まあ、うん。

「HSPって初めて知った。これ、私にもめっちゃ当てはまるよ!!」

それから、姉は魚が水を得たようだった。

「私、HSPだから」

「HSPには……」

「HSPってさ……」


私は愕然とした。

私は、姉に訊かれるまで、HSPかもしれないということを誰にも言ったことはなかった。

かつてフォロワーのいないTwitterで1回だけ呟いたが、すぐにアカウントを消してしまった。


黙っていたのは、言う必要がないと思っていたからだろうか?

もちろん、それもある。

HSPとは自己理解の一つで、自分の人生をより良くするために必要な知識でしかない。

私にとって他人に言う必要がないことだった。


だが、もっと重大な訳がある。

理解されないことが怖かったのだ。

「HSPってなに」

「そんなの誰でもそうだよ」

「みんな思ってるって」

「気のせいだよ」

と突き放されるのが怖かった。

この姉は、そんな恐怖を感じないのだろうか?



私は、HSPの上にあぐらをかいて、横行跋扈するまいと言い聞かせている。

「HSPだから配慮して欲しい」

時には、勇気を出して言うことも必要なことかもしれない。

だが、それは我儘になりはしないだろうか。

全てのHSPに「耐えろ」とは言わない。

私にそんなことを言う権利はない。

しかし、私は周囲に配慮を求めることはないだろう。

私は、人に迷惑をかけたくない。

私は、全ての人に平穏に過ごして欲しい。

私は、私を律することで何か丸く治るのなら、それは自分がなすべきことだと思う。

HSPの特性から難しいことだとしても、だ。

私はHSPを盾に、自分の至らぬ点から目を逸らす人間になりたくないのだ。

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