鮮緑屋▱

なんだか知らんが知るハメになった事とか、誰かの在りかたを見て感じた事など・・・中でも普…

鮮緑屋▱

なんだか知らんが知るハメになった事とか、誰かの在りかたを見て感じた事など・・・中でも普段人に話すと白眼視されるようなことばっかり書いています。いろいろな事をいろんな風に書いてますが、全て単なる変わった創作物くらいに思って読んでいただけたら嬉いです。

マガジン

  • 生きる☆サブカル青年

    独特過ぎる感性を持ったバンドマンの青年がただ生きてるだけのお話。 毎回ノープランでがーっと書いて読み返さなかったりするので、そのうち清書したい。

  • 「天晴れ!誤魔化し大明神」

    なんとなく思い浮かんだお話。

最近の記事

「十一人示」第十三帖

とうとひと世の唄々い 光満つそを言祝がる 人の挟間に橋渡し 行き交うひとぞ尊ひと 覚むるあさけの五月晴れ 人離に非ずと知る一の 閃く眼のこころさかしけれ 今行くすえの君が未知、絶えず弥栄ましませと 畏み畏みも申す ふたごの祝い年、辛巳日:渦ニ在ル・三鳥

    • 「十一人示」第十二帖

      一(ひと)から一一(ひとひと)数多と成り成り 一人と同じ、ひと居らぬ 御世(三四)見よ、天晴れ、不二の一一 皆御名(みなみな)違う、人人の 間(はさま)に起こる諍いも 道を違える寂しさも お互い様で十と一(とうとひと) 喜ぶひとの足元に 七(キ)の御世出づる みち満ちる 人、理(ひとり)で解けん、この仕組み 解けてくらわば、五月晴れ 富士(不二)は晴れたり日本晴れ 癸卯のはしの始めの日  、にある七付く

      • 「噂のイラストAI Midjouney」

        前から気になってたMidjouneyという、AIに言葉で支持を出して絵を描いてもらうアプリを試してみた。 ちなみに指示はこんな感じ。 tokyo in 1940's tram on the load ,many buildings,3 bommers in bluesky,realistic,conceptart (1940年代の東京、路面電車が走っていて、青空に3機の爆撃機が飛んでいる光景。リアルよりのコンセプトアートっぽい絵) 「こんな拙いカタコト英語で、よくぞここ

        • 「三十六書伝」(みどろカキつたえ)

          痛い痛いと申せば「それはそれは大層気の毒ざ」と散痛薬つけてくれる人居っても、足の裏にトゲ刺さって膿んでいること知らんのでは、一時したらまたすぐ痛むぞ。 痛めばまた薬つけて貰えばいいように思っていても、薬つける人一人も居らん時、痛とうて痛とうて我慢ならんと泣くこと、ただの道理ざ。 それで足元見よと、くどう申しておるのぞ。 足元にトゲ刺さって、悪し元になっておるのぞ。 トゲ自分で抜かねばならんぞ。 悪し元のトゲ、自分以外の手届かんぞ。 細まいトゲ見つけて抜くのは難儀なことざ

        「十一人示」第十三帖

        マガジン

        • 生きる☆サブカル青年
          7本
        • 「天晴れ!誤魔化し大明神」
          1本

        記事

          「人は幸せになる為に生きるに非ず」-後編

          つづき 快楽ばかりに心を奪われてばかりで、その奥底にある「大丈夫」という感覚をしっかり心に刻み損なってしまったなら、不幸という冬の季節が訪れた時に”寄る辺のない世界に生きている”と言うような心持で過ごさなければならなくなる。 そうすると人は”寄る辺なさ”を掻き消すべく、おかしな”誤魔化し方”を無自覚に捻り出しては、結局のところ本来あるべき自分を見失いがちになってしまう。 例えば最近よくみかける変なスピリチュアル系にハマる人なんかは、とても分かりやすい例だ。 彼らが言うに

          「人は幸せになる為に生きるに非ず」-後編

          「人は幸せになる為に生きるに非ず」前編

          私は「これは絶対にこうだ!こう在らねば成らぬ!これこそが絶対に正しい!」なんて論調があんまり好きにはなれない。 でも、この事だけは敢えて言い切ってしまっても良いような気がする。 「人は幸せになる為に生きるに非ず」 もちろん、そう言い切る私自身も幸せでいたいと普通に願うし、不幸なのは大嫌いだ。 元来、筋金入りの根性なしの私だから、不幸な出来事に見舞われればすぐにへこたれるし、幸せな時は「こんな時がずっと続けばいいのに」と普通に思う。 ただそれでも幸せばかり求めて生きる事

          「人は幸せになる為に生きるに非ず」前編

          「生きる☆サブカル青年」⑦

          今朝起きてからずっとプラスチックが溶けたようなケミカル臭が鼻にこびりついていて取れない。 そういえば今年の3月頃、なぜか夜中に高田馬場に住んでいる妻がレトルト食品やらカロリーメイトやらを大量に抱えて、笹塚の僕の部屋まで持って来てくれたことがあった。「なぜ夜中に急に?」と流石に思わずには居られなかったが妻の脳みその中の世界は「イレイザーヘッド」というカルト映画みたいなものだと認識しているので、そこに意味や意図を求めるのはナンセンスというものである。 なので僕はそれが何も可笑し

          「生きる☆サブカル青年」⑦

          「名越康文さんの話」

          昔私がまだTVを見ていた頃ちょくちょく見かけた記憶のある、いつも穏やかな思慮深く柔らかい物言いをする精神科医かカウンセラーらしき人。 その精神科医(元)の名越康文さんがゲームの実況をしている番組を、ちょっと前にユーチューブで見た。 ゲームの実況というかゲーム内の人物の精神分析をしている動画だったのだけど、熱心に解説する名越さんは昔TVで見た印象と全然違ってもの凄くぶっ飛び気味の異様なハイテンション。 それでその、ぶわーっと止めどなく開けっぴろげにマシンガントークをしてい

          「名越康文さんの話」

          「神秘に纏わる幻想と現実」悟りの巻

          通常の人間が体験し得ないと思われている神秘的な事柄に関して、それを実際に体験する側の立場から見て「いやいや、そんなにご大層なもんじゃないんだよ~」なんて思うことが結構ある。 分らない、体験した事がない、誰も知りえない、人間がそう思っている事にロマンを感じて理想化する気持ちは分かるし、明かされない事象にこそ想像の源と知っているので、それを馬鹿にする気持ちは全くない。 ただまあ実際のそれを知る身としては「そんなにファンタジックじゃないし地味だしよく考えたら普通の事なんだけど、それ

          「神秘に纏わる幻想と現実」悟りの巻

          「十一人示」第十一帖

          一(・)より九の津(ここのつ)たどりたら ぐるり○(わ)となる一○(ひととわ)の道(みち) つい(対)に見えたる弥終(いやはて)の 弥先(いやさき)のひとつ(人津)に、○(輪)の閉じるなり 富士は晴れたり日本晴れ、十の戸(とのと)開けたて五月晴れ 十○(とわ)の輪(○)成り也、十の戸(遠の戸)開き 弥先(いやさき)弥終(いやはて)、一(ひと)十○(とわ)の 対(終)にまします十と一(とうとびと) 十一人の大仕掛け、常永遠(とことわ)の御世を弥栄(いやさかえ)させ給うこ

          「十一人示」第十一帖

          「十一人示」第十帖

          ふで取ってみなに知らす係り、いつでも係る御用意してあるが、この係りさしてある方も人の子ざ。お役目取り違える事間々あるぞ。 十の戸(とのと)開けて知りたコト、皆には難しいなどと申して誰にも知らさず墓まで持っていく積もりの者ぽつぽつ出ておるようざが、そんな事でこの係りサボらす訳にいかんぞ。 十一(とおとひと)のコト、みなに知らせとうて預けた言ざから、我一人の胎に納めてならんコトくらい分かろうがな。 戸開けてられん一一(ひとびと)を馬鹿にしてならんのぞ。この一(ひと)言分けられん

          「十一人示」第十帖

          「十一人示」第九帖

          そこには何かがあるのだと言う事はご存知なのでしょうね。 ご存知ないように思われても、どこかで感じていらっしゃるのでしょう。 それで一体そこには何があるのかと気になってしまうのですね。 気になるから何かを語る声に耳を傾けたのでしょう? そのお気持ち、とてもよく分かります。 ですが自らを神かかり、超常の者と名乗る方々に本当は無いのです。 彼らは特別な者でありたいだけなのです。平凡であることに耐えれなかったのです。 それでとても熱心に勉強したので、彼らの中にもいくらか本当を言う

          「十一人示」第九帖

          「十一人示」第八帖

          苦の道、外に見える未知ぞ。苦の間、内に見る未知ぞ。 未知知らん人、悪し元の道にありもせん悪し見て腰ぬかしてしまうから、恐ろしゅうて叶わんから、知らん事知るより先に、九の間に悪しもの閉じ込めて戸に鍵かけてしまうぞ。 我善しのずるこい人、本当はこの事知っておるのざが、我良しの夢に浸っては、他人の挙げ悪し取るばっかりぞ。 こんな事くらい、いくら落ちぶれて目眩、片輪になったとて知らん道理ないぞのざが、今の人誰悪し、彼悪し、と申しては戦ばかり。 十の奥の道理、十一人の道理に善しも

          「十一人示」第八帖

          「十一人示」第七帖

          秋越えて、冬来たら、十(戸)の外に居る一(ひと)どんどん寒うなってしまう事、頭使わんでも分ることなれど、今の人大学出て博士になって、そんなことも知らん人多いぞ。 そんな人達、他人(ひと)のせいだ、お上のせいだと言って溜飲をさげておるようざが、それでは他人(人)の戸も、自分の戸も閉じるばかり。 そうして苦(く)のみち(未知)ばっかり歩いて、寒うて寒うてよう耐えられん、そんな風では春来ても益々寒うなるばかり。 自分も人(一)で他人も人(一)なから、一(人)の戸開いて、九(苦)の間

          「十一人示」第七帖

          「ガンダムとナウシカとAKIRAと私」

          私は小中学生の頃から、掲題の3タイトル(ガンダムは初代とZガンダムと逆襲のシャア、ナウシカは原作である漫画版、AKIRAは原作と映画両方)が変に好きだった。 もちろん小中学生だった私はそれら作品に込められた“人類の革新”とそれに纏わる葛藤や孤独感や、人類の現状に対して何かすべきか放って置くべきかという選択に対する各々の作者の思いや結論、などと言うそれら作品に共通するテーマに気づく筈も無かった。 ただ何となく緻密に創りこまれた世界観や、登場するキャラクターの台詞など込められた何

          「ガンダムとナウシカとAKIRAと私」

          「ホジャ・ナスレッディンの小噺にまつわる小噺」

          以前、ホジャ・ナスレッディンとういう、イスラム世界の一休さんみたいな人の小噺を読んだ事がある。 随分昔にチラっと読んだだけなので、ボヤっとした記憶だが、このナスレッディンさんが一体どんな人かと言うと、毎日飲んだくれて人間の無知を皮肉たっぷりにからかう人物だったと記憶している。 それで今日、イラスト仕事のBGMがわりにYOUTUBEで、この人にまつわるお噺を聞いていたのだが、そんな事をしていたらこの動画にブチ当たってしまった・・・・。 ホジャナスレッディンの馬鹿な話 htt

          「ホジャ・ナスレッディンの小噺にまつわる小噺」