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「十一人示」第十三帖
とうとひと世の唄々い
光満つそを言祝がる
人の挟間に橋渡し
行き交うひとぞ尊ひと
覚むるあさけの五月晴れ
人離に非ずと知る一の
閃く眼のこころさかしけれ
今行くすえの君が未知、絶えず弥栄ましませと
畏み畏みも申す
ふたごの祝い年、辛巳日:渦ニ在ル・三鳥
「十一人示」第十二帖
一(ひと)から一一(ひとひと)数多と成り成り
一人と同じ、ひと居らぬ
御世(三四)見よ、天晴れ、不二の一一
皆御名(みなみな)違う、人人の
間(はさま)に起こる諍いも
道を違える寂しさも
お互い様で十と一(とうとひと)
喜ぶひとの足元に
七(キ)の御世出づる
みち満ちる
人、理(ひとり)で解けん、この仕組み
解けてくらわば、五月晴れ
富士(不二)は晴れたり日本晴れ
癸卯のはしの始めの日 、
「噂のイラストAI Midjouney」
前から気になってたMidjouneyという、AIに言葉で支持を出して絵を描いてもらうアプリを試してみた。
ちなみに指示はこんな感じ。
tokyo in 1940's tram on the load ,many buildings,3 bommers in bluesky,realistic,conceptart
(1940年代の東京、路面電車が走っていて、青空に3機の爆撃機が飛んでいる光景。
「三十六書伝」(みどろカキつたえ)
痛い痛いと申せば「それはそれは大層気の毒ざ」と散痛薬つけてくれる人居っても、足の裏にトゲ刺さって膿んでいること知らんのでは、一時したらまたすぐ痛むぞ。
痛めばまた薬つけて貰えばいいように思っていても、薬つける人一人も居らん時、痛とうて痛とうて我慢ならんと泣くこと、ただの道理ざ。
それで足元見よと、くどう申しておるのぞ。
足元にトゲ刺さって、悪し元になっておるのぞ。
トゲ自分で抜かねばならんぞ。
「人は幸せになる為に生きるに非ず」-後編
つづき
快楽ばかりに心を奪われてばかりで、その奥底にある「大丈夫」という感覚をしっかり心に刻み損なってしまったなら、不幸という冬の季節が訪れた時に”寄る辺のない世界に生きている”と言うような心持で過ごさなければならなくなる。
そうすると人は”寄る辺なさ”を掻き消すべく、おかしな”誤魔化し方”を無自覚に捻り出しては、結局のところ本来あるべき自分を見失いがちになってしまう。
例えば最近よくみかけ
「人は幸せになる為に生きるに非ず」前編
私は「これは絶対にこうだ!こう在らねば成らぬ!これこそが絶対に正しい!」なんて論調があんまり好きにはなれない。
でも、この事だけは敢えて言い切ってしまっても良いような気がする。
「人は幸せになる為に生きるに非ず」
もちろん、そう言い切る私自身も幸せでいたいと普通に願うし、不幸なのは大嫌いだ。
元来、筋金入りの根性なしの私だから、不幸な出来事に見舞われればすぐにへこたれるし、幸せな時は「こんな
「生きる☆サブカル青年」⑦
今朝起きてからずっとプラスチックが溶けたようなケミカル臭が鼻にこびりついていて取れない。
そういえば今年の3月頃、なぜか夜中に高田馬場に住んでいる妻がレトルト食品やらカロリーメイトやらを大量に抱えて、笹塚の僕の部屋まで持って来てくれたことがあった。「なぜ夜中に急に?」と流石に思わずには居られなかったが妻の脳みその中の世界は「イレイザーヘッド」というカルト映画みたいなものだと認識しているので、そこ
「名越康文さんの話」
昔私がまだTVを見ていた頃ちょくちょく見かけた記憶のある、いつも穏やかな思慮深く柔らかい物言いをする精神科医かカウンセラーらしき人。
その精神科医(元)の名越康文さんがゲームの実況をしている番組を、ちょっと前にユーチューブで見た。
ゲームの実況というかゲーム内の人物の精神分析をしている動画だったのだけど、熱心に解説する名越さんは昔TVで見た印象と全然違ってもの凄くぶっ飛び気味の異様なハイテンシ
「神秘に纏わる幻想と現実」悟りの巻
通常の人間が体験し得ないと思われている神秘的な事柄に関して、それを実際に体験する側の立場から見て「いやいや、そんなにご大層なもんじゃないんだよ~」なんて思うことが結構ある。
分らない、体験した事がない、誰も知りえない、人間がそう思っている事にロマンを感じて理想化する気持ちは分かるし、明かされない事象にこそ想像の源と知っているので、それを馬鹿にする気持ちは全くない。
ただまあ実際のそれを知る身として
「十一人示」第十一帖
一(・)より九の津(ここのつ)たどりたら
ぐるり○(わ)となる一○(ひととわ)の道(みち)
つい(対)に見えたる弥終(いやはて)の
弥先(いやさき)のひとつ(人津)に、○(輪)の閉じるなり
富士は晴れたり日本晴れ、十の戸(とのと)開けたて五月晴れ
十○(とわ)の輪(○)成り也、十の戸(遠の戸)開き
弥先(いやさき)弥終(いやはて)、一(ひと)十○(とわ)の
対(終)にまします十と一(とうとび
「ガンダムとナウシカとAKIRAと私」
私は小中学生の頃から、掲題の3タイトル(ガンダムは初代とZガンダムと逆襲のシャア、ナウシカは原作である漫画版、AKIRAは原作と映画両方)が変に好きだった。
もちろん小中学生だった私はそれら作品に込められた“人類の革新”とそれに纏わる葛藤や孤独感や、人類の現状に対して何かすべきか放って置くべきかという選択に対する各々の作者の思いや結論、などと言うそれら作品に共通するテーマに気づく筈も無かった。
た
「ホジャ・ナスレッディンの小噺にまつわる小噺」
以前、ホジャ・ナスレッディンとういう、イスラム世界の一休さんみたいな人の小噺を読んだ事がある。
随分昔にチラっと読んだだけなので、ボヤっとした記憶だが、このナスレッディンさんが一体どんな人かと言うと、毎日飲んだくれて人間の無知を皮肉たっぷりにからかう人物だったと記憶している。
それで今日、イラスト仕事のBGMがわりにYOUTUBEで、この人にまつわるお噺を聞いていたのだが、そんな事をしていたらこ