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オタクは好きがわからない

好きとはなんだ? 

好きなものがたくさんある人生を送ってきた。
オタク気質なので、一度好きになったものは徹底的に知りたいし、摂取したい。
例えばアニメとか、本とか、食べ物とか、場所とか、なんでも、なるべく時間を割きたい、行動を起こしたい、これがあれば超元気!愛!!と確信できるものが「好き」ということだと、長らく思っていた。だから、そこまでの熱量を注げないものを「好き」というのはおこがましいと思っていた。他人の「好き」をジャッジしたことは特になかったけど、自分の感覚はそうだった。

たまに不思議がられた。
「10時間も夜行バスに乗るの?なんでそんなに生き急いでるの?」
好きな絵が見たかったからだ。のんびり人生を送っている。
「飛行機の距離、よく行ったね!」
推しがそこにいたから。そこに山があるからである。
「データまとめるほどカレー食ってんの⁉スパイス買ってんの?」
カレーという好物がこの世にあるからな~。あと自分好みのカレー食べたいし。
身を削っている感覚は特にない。これがあれば超元気!愛!!ができる機会がそこにあったから、実行しただけだった。
懐が寂しくなることもあったが、みんながMacを買ったり服を買ったりしているのと同じだと思った。

でもある時気づいた。
そこに山があっても登らず、ただ眺めてなんか好きだな~と思うだけも、別にあるよな。

ここ数年、世の人気作品をなんとなく知っておこうという気持ちになり、いくつかの作品をしっかり観てみた。「名探偵コナン」「ジョジョの奇妙な冒険」「仮面ライダー電王」は最近、人と会ったときに話せる程度になった。印象に残ったシーンについて話したりしていると、なんだか私がその作品を好きな人、みたいな感じになることがある。
べつに好きだと思ったことはない。いやいや好きとかじゃないんですよ~。あのエピソード何回でも観たい!とならないし、グッズとか欲しいと思わないし、知らない知識があっても困らないし。

でも、待てよ。

これらの割と長い作品たちを飽きずにコツコツ見続けられたってことは、それだけでもしかして、「好き」っていうことなのか…!?
実際、別の作品で、ちょっと飽きてしまって続きを観られていないものもある。それと比較すると、コナンやジョジョや電王は世にいう「好き」に入るのかもしれない。そう考えると急に、蘭ちゃんや花京院やモモタロスに、幼馴染への恋心に気づいた時のようなそわそわを感じてきた。いや、花京院はちょっと違うな、ポルナレフだな。

 今まで私が「好き」だと思っていた価値観は、自分で思うよりかなり過激なものだったのかもしれない。奇声を上げたり床を転げ回るほど熱くなるものはきっと「狂おしく好き」のカテゴリだったのであって、情熱!ラブ!とならなくても、接してて居心地悪くないな~くらいのものは「好き」と言ってよかったのだ。

私の中の「好き」は、アラサーにして少しだけアップデートされた。
好きなものが多くあった方が生活がより楽しくなると思うので、今後はハードルを下げ下げにしていこうと思う。

 

どうでもいいが、名探偵コナンをしっかり見る前は、登場キャラクターの灰原哀ちゃんは「いいキャラだな~」くらいに思っていた。が、シリーズをしっかり見てからは狂おしく好きになってしまった。哀ちゃん、ラブ。

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