日記(2021年9月25日)

熱気がぶり返してくる。今日は夏日だ。空は厚い雲に覆われており、直接太陽の姿を見ることはかなわないが、建物の影を道路に色濃く落としている。入道雲のように縦でなく、横に雲が広がっている様は秋そのもののように感じられるが、なるほどやはり季節の変わり目。上下の下着の色が違うような、よく似た靴下を片方ずつ履いているかのような、えもいわれぬ違和感を感じてしまう。アイスクリームの味を、バニラにすべきか、焼き芋にすべきか迷う…

今ある仕事をキリよく終わらせることができ、また予定もない今日は、ぼくのなつやすみでいう「なんにもない、素晴らしい一日」とすべきなのだが、コロナ禍とはいえシルバーウイーク。なにもしないのもなんだかむずむずする。と言うことで、住んでいる市内の保護猫カフェに行くことにした。完全予約制&一部屋に一組ずつといった感染対策がされており、またこちらもワクチン完全接種済み&定期的な職域PCR検査で陰性のペアであるため、安心して赴くことができた。急な思いたちではあったが、すんなりと当日予約できたのはひとえに幸運である。

予約時間5分前、店に入る前に電話をかけ、店内の込み具合を確認する。空いているとのことで、店内にお邪魔する…と、にゃあ、にゃあと猫の鳴き声。店員さんの案内に従い、手指の洗浄・ルールの説明を受けたのち、いよいよ猫たちのいるフロアに足を踏み入れる。――数分後、猫に囲まれる一般成人男性&膝の上で猫が寝てしまい動けなくなる一般成人女性が出来上がった。膝の上に猫が乗ってきたときは、心の底から本気で「今なら死んでも良い」と思えた。この多幸感に比べれば、膝に乗る過程でみぞおちに前足を入れられたことや、猫様を起こさないことに努めたことでめちゃめちゃに足がしびれることなんて、些末な問題に感じられる…

ある種ミームとして、一部のセレブはネコ科生物を侍らせているというイメージを私は持っている。なんとなく、ラグドールあたりを膝の上に乗せて、優雅に撫でている様子などが容易に想像できる。読者諸兄もそうではないだろうか……猫が膝の上に居るという状況は、人にある種の全能感を齎すのだ。猫が膝の上にいる間は、どんな言葉を掛けられても「でも俺の膝の上には猫が居るから」と謎マウントを取れてしまう。すべてのストレスは、猫の前には無力なのだ。

結局、1時間半ほど夫婦そろって猫を堪能した。一人1000円で全てのストレスが浄化できたわけだから、上々だ。


話は変わるが、私は猫アレルギー持ちである。今の状況は、推して知るべし。

それでも「また行きたい」と思えてしまうのは、猫の魔力かはたまた自身の愚かさが原因なのか、あるいは両方か。どちらにせよ、一つだけ言えることがある。

「人間は猫の奴隷である」

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