一平ちゃん

私は由緒正しき酒弱家系の出身で、しかもお酒がそんなに好きじゃないため家ではお酒を飲まないようにしているのだが、それでもたまにお酒を飲みたくなる夜がある。
そんな夜が幾日か続いた4月某日。
ふと我に返った。
自分、お酒飲まないほうがいいんじゃない?
だってお酒弱い家系だよ?たぶん病気になるよ?
それにお酒好きじゃないんだよ?
ああ、もう絶対に飲まないほうがいい。
そんなわけでお酒飲まないチャレンジが始まったわけだけれど、そう簡単に断酒できるわけじゃない。
そもそもなんでお酒が飲みたくなるんだろう?
小一時間ほどうんうんと唸って、はたと気がついた。
そうだ、味のあるものが飲みたいのだ。
一人暮らしの我が家には飲み物は常備されておらず、このため何かを飲みたくなったときには、お湯を沸かしてホットのほうじ茶を飲む、という暮らしをしている。
だから味のあるお飲み物、つまりお酒が飲みたかったんだ。
理由が分かれば対策は簡単。
そう、お酒以外で味のあるものを飲めばいいのである。
さて、何を飲めばいいか木魚のリズムで頭を悩ませ、ちーんの音と同時に思いついた飲み物は、オレンジジュース。
オレンジジュースなら体によさそうだし、味もしっかりある。
なんて天才的な発想。ノーベル賞に値するだろう。

そんなわけでオレンジジュースを飲む生活が始まり、仕事帰りにスーパーで
オレンジジュースを買うことが日課になった。
ある平日の夜、ああ疲れたなんてつぶやきながら21時くらいにスーパーに向かうと、入り口で女性と出くわした。この女性とは全く面識はないのだけれど、少し気になった。
ベージュのジャケットを肩から羽織り、グレーのバッグを肩から下げ、高いヒールを履いた、20代後半くらいの背の高いきれいな顔立ちの女性だった。
こういうキラキラした女性はこの街では見たことがなかったため、目を引いたのだ。
いけないいけない、見とれている場合じゃないと、お店に入ってオレンジジュースを探す。
オレンジジュースやうどん、シリアルなどをカゴに入れ、レジを目指す。
お支払いを終えてうどんをふくろに詰めていると、先程の女性が隣に立った。
女性は一平ちゃんと2Lのコーラだけを買い、バッグにそれらを無理矢理詰め込んで颯爽とスーパーから去って行った。
わたしは「かっけえ……」と思った。
食べたいものを買う。生きるために食べる。欲望に忠実。
こんなキラキラした女性が、そこまで実直なものを食べるなんて。
一方、私は右手にオレンジジュース。健康を気にしてオレンジジュース。
恥ずかしかった。自分に正直じゃなかった。私だってコーラが飲みたかったし、一平ちゃんが食べたかった。酒も飲みたかった。

私は急いで家に帰るとオレンジジュースを冷蔵庫にしまい、「何かいいことがあった日のために……」と冷蔵庫の奥底にしまっていたビールを取り出し、プッシュっと一閃、ごくごく、ぷはーと黄金のあいつを胃に流し込む。
これからは欲望に忠実に生きるぞ、あの女性のように生きるぞと心に誓ったまだ肌寒い4月のある夜のことであった。


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