弁当箱

「この貸しはでかいぞ」
「いやあ、悪い悪い」
 少し怒った様子の翔平に詫びをいれる。
 実際、この借りはでかい。いつものように2人で駅に向かっていたのだが、途中で弁当箱を教室に置いてきたことに気付き、学校に引き返す羽目になってしまった。結果的に一時間に一本しかない電車に乗り損ねたのだからなかなかの失態である。 
「ふう、やっと玄関か」
 コートに積もった雪をはらい、上履きに履き替えて3-2の教室を目指す。
「着いた着いた」
 先を歩く翔平が教室の扉に手を掛ける、がそこで動きが止まった。
「ん?どうした?」
「圭人くんと山崎さんだ」
「まじで?あの2人付き合ってんの?」
「どうだろう……最近仲いいと思ってたけど……」
 佐々木圭人くんと山崎紗希さん。うちのクラスの中心メンバーで美男美女。おれら5軍には殿上人のような存在である。
「まあお似合いだもんなあ。仕方ないよなあ」
「翔平、お前狙ってたの?」
「んなわけないじゃん。おれには無理無理」
 5軍が1軍のマドンナと付き合うなんてマンガだけの話であって、現実にはそんなこと起こりえない。
「いや将吾、弁当箱どうするよ」
「入りにくいなあ。2人が帰るまで待つかあ」
 おれら5軍は1軍に気を遣わずに生活することは不可能なのである。
 そのとき、心の奥底からわき上がる不思議な感情があった。
「なあ翔平、悪いことしないか」
「は?いきなりどうした」
 自分でもどういう感情かわからない。しかし噴水のようにわき上がってくる感情を、おれは抑えることができない。
「わかんないけどさ、そういう気分なんだよ。だいたいさ、なんでおれらがあいつらを待たなきゃなんねえんだよ。今日くらい悪いことしても許されるだろ」
 卒業まであと3ヶ月。これまで平凡でおとなしい生徒を演じてきたが、おれらはこんなものではないはずだ。一度くらい悪いことをしてもいいだろう。
「しゃーねえな。今日だけ付き合ってやるよ。けど何するん?」
「どーしよ。あんま悪いことするのもやばいもんな。ちょうどいいもんないかな」
 久々にわくわくしてきた。ちょうどいい悪事を考える。
「2人の靴を隠すのはどう?」
「それはだめだろ。ふつうにイジメじゃん」
 翔平が案外過激である。
「2人の下駄箱に雪を入れるのは?どうせ溶けるしばれないでしょ」
「翔平ナイスアイデア」
 急いで玄関に向かい、外にある雪を少しだけ下駄箱に詰める。
「やば、だれかきた」
 急ぎ下駄箱のふたをしめ、外に飛び出す。
「危なかったー。見られてないよな?」
「たぶん大丈夫でしょ。ああ、疲れた」
 ふたりでとぼとぼと駅を目指す。
「見て将吾、満月だ」
 言われて空を見上げる。今夜は満月のようだ。
 月はだれにも平等に満月なのに、それを見るおれらはどうしてこんなに不平等なのだろう。1軍と5軍、なぜこんなにも違うんだろう。
「なんか楽しかった。明日2人の反応が楽しみだな」
 翔平はすっきりとした表情で満月を見ている。
「そうだな。気付いてくれるといいな」
 なんかどうでもよくなった。1軍に仕返しをしてやったんだ。それだけで十分だ。
「あー寒。早く駅行こう」
 早足で駅を目指す。
「あ、弁当箱」
 翔平がつぶやく。
「忘れてた……」
 おれは、そこで見ていたのならなぜ教えてくれなかったんだ、と天を仰ぎ恨めしそうに満月を見つめる。

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