シネマ

ワ

 六つの島を経由して、本州と四国を結ぶしまなみ海道、その本州側の入り口にあたる尾道という町、山の斜面には歴史を感じる古い街並みと狭い路地、商店街には古本屋やアートが佇む町、そんな尾道という町には、シネマがある。映画館ではなく、シネマ。なんと素敵な響きであろうか。調べてはいないけれど、多分フランス語だとおもう。シネマ。のっぺりとしながらも、涼しい顔をした響きが、なんとなくパリジェンヌっぽくもある。パリジェンヌに会ったことはないけれど。シネマ。パスピエというバンドに、「シネマ」というタイトルの曲があり、私はこの曲がとてもお気に入りなのだが、きっとそれも、シネマという言葉の響きが素敵なところから、心惹かれているのだと思う。
 といいつつも、シネマというもの自体へと、訪れたことは、今まで経験がなかった。イオンシネマなら言ったことがあるけれど、今はそういう話はしていない。尾道を訪問したのは、これで確か四回目だが、初めて訪れたときから、この町にシネマがあることはチラシで知っていた。チラシには、ショーシャンクのような有名な旧作から、映画ナタリーで最近目にしたような新作、ここの他にどこで上映してんねんみたいなドキュメンタリーなど、雑多なラインナップがスケジュールに刻まれていた。シネマ。心惹かれる響きだけれど、こちらはこちらでそれなりにスケジュールが刻まれていたので、実際に身体が赴くことはなく、その後も尾道を訪れる度に、忘れ物を思い出すように、シネマの存在に惹きつけられた。
 そんな私とシネマに、ようやくチャンスが訪れたのが今回の訪問だった。今回の私の目的地は、尾道ではなかったのだが、この辺りで2時間ほど時間を潰す必要があるスケジュールとなっていた。こうなったらシネマに行くしかない。と思い、マップでシネマの位置を調べる。なんと自分でも驚いたことに、この時になるまで、シネマがこの尾道の町の何処にあるのかさえ知らなかったのだった。
 到着したのは、商店街の少しハズレの建物群にひっそりと佇む、少し背の高い古びた建物。どおりでシネマの場所すら知らないわけである。現在時刻は9時5分。スケジュールでは、9時30分から、『タレンタイム』という映画が上映されるらしい。全く知らない映画である。自分の端末で観る旧作の映画と異なり、シネマで知らない映画を観るという行為は、その約2時間を、丸々拘束されるという行為である。倍速再生も一時停止もできない。その2時間という重みが、シネマを前にした私にのしかかる。退屈だったらいやだな、という気持ちが、私の判断を鈍らせたが、最終的には、シネマという素敵な響きを信じて、120分コースへと、コーヒーのオプション付きで、足を踏み入れた。
 『ダレンタイム』は、どうやらマレーシアの高校を舞台にした映画だったようだ。結果的にそれなりに面白かった。少年少女の群像劇のようで、彼らのそれぞれのテーマが、画面の中で、それぞれ描かれながら、終盤に向けて、一つに絡み合っていくようであまり絡み合っていかない。もしかしたら絡み合っているのかもしれない、という塩梅である。なんだか散漫な印象ではあるけれど、その散漫さが心地よかったりもする。
 丸2時間知らない人のセレクトの、知らない映画に拘束されるという経験は、そう悪くはなかった。退屈を感じる箇所も少しはあったけれど、何か分からないものに、期待を込めて身を預けてみる、というのも、なかなかいいものである。きっとその期待が裏切られても、シネマという響きが、どうにか誤魔化してくれるだろう。
 また来週には、帰り道に尾道を経由する予定だが、その際にはシネマに寄る時間の余裕は無さそうだ。無理に時間を作ってもいいけれど、きっとシネマはわざわざ行くところでもないのだろう。今度また、時間があるときに行くので、ぜひとも、よく分からない映画を用意して待っていてほしい。シネマ。

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