台風の前日

 お昼に訪れようと思っていた定食屋がいつもよりも早じまいしていた。明日から台風が通過するらしいが、今日の昼の時点ではまだ少しばかり風が強く、空が晴れているのに濁り始めたくらいである。仕方がないのでパンでも買おうと直売所に寄ると、どの買い物客のカゴの中身もいっぱいである。レジで店員さんとおっちゃんが「この時間に来るのも珍しいねえ」「今日は台風だから早じまいしてきたんたよ」などと話を交わしている。今日行こうとしていたお店の人だろうか。
 帰り道は心なしかいつもより車通りが多い気がする。軒先の井戸端会議もポツリポツリと開催されているらしい。帰りがけに灯台のある展望所に寄ってみると、そこではめったに人に合わないのに、今日に限って見物客が呑気にベンチに座っている。
 夕方近所の商店に買い物に出かけると、おばあちゃんと「なんだか風が強くなってきましたねえ」みたいな会話をする。そこまでの強風ではないのだが、あの一山来そうなとき特有の湿った空気のにおいが商店の中まで充満してくる。おばあちゃんは明日も台風に構わず商店を開けるらしい。余裕があれば来店してみようか。でもあのおばあちゃんなら、自分でお店を開けているくせして、わざわざ暴風雨の中やってきた私のことを心配してきそうな気もする。
 家に戻ると台風の注意喚起のLINEが送られていた。家の周りに置いてあるものはとりあえず中にしまうように、と言われたが、長らく放置されて苔の生えた鉢とか錆だらけのブリキバケツとかばかりが大量にあるのでとりあえずそのまま置いておいて何事もないことを祈る。私の住む集落には島の中心地から一本しか道路が通ってなく、土砂災害等があれば孤立してしまうらしい。その時は商店のおばあちゃんに助けてもらおうと思う。
 夜22時頃、台所の諸々の仕込みをする。外からは秋の虫の声が聞こえ、風が戸を強く揺さぶる音はまだない。なんとなくその気になって、玄関を出て夜道を散歩する。雨風はまだまだやってこないけれど、やはり嗅覚と触覚がまず先に、もうすぐ台風がやってくることをキャッチしているらしい。近所の公園に寄ろうとするが、なんとなく通り過ぎる。ブランコでも設置されていれば立ち寄ったかもしれない。集落唯一の自動販売機を目指していると近隣の方とすれ違う。自販機の灯りくらいしかない真っ暗なこの時間に外を出歩いている人なんて普段はめったに見かけない。どうにもこうにも町全体が浮ついているような一日だったが、どれもこれも風の怪のせいだろうか。

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