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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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#実相

どこまで昇っても、上には上がある

運良く、成功出来た者たちよ。 お主ら、今、何をしている? 成功したことを維持するのに必死か? 更に名声や富を得るために躍起になっているのか? それとも謙虚に、己の成功を他の者と共に分かち合い、感謝と報恩の世界に身を置いているか? 将又、既に落魄れて、歯ぎしりをしているところか? まあ良い。 いずれにしても、人間の思いと実相には、大きな隔たりが生じているこをと悟った方がいい。 己の成功は、なぜ起きた? 運が良かった? 実力? もともと能力が高かった? 努

知ったかぶりは、その形相に現れる。

世の中を豊かにする会社の経営者、国の重要な政を司る政治家、未だ見ぬ神秘を探究する科学者、患者の命を預かる医者、子供たちの夢や希望を育む教育者、真に重要な情報を国民に知らしめるマスコミ…。 これに携わる今の実行者たちは、実相から見れば、相当思想が偏っていると思った方がいい。 そもそも、会社とは、国とは、政治とは、科学とは、医療とは、教育とは、情報とは何ぞやという真理に基づいた実態を理解せずに勝手気儘に運営している。 自分の持つ哲学が全ての人間に通用すると思い込んでいる。

“明日に備える”

人間、その日暮しになっている。 「もう疲れたから、明日があるし、今日はもうこのへんで店じまい…。あとはビール飲んでテレビ観て風呂入って寝るだけ。ああ、今日も忙しかったなあ…」 人間、これ横着の典型。 もっと実相を見た方がいい。 今日という日は、明日に繋がっている。 今日一日の自分の行動が明日に繋がっている。 今日は今日、明日は明日と分断されているのではない。 今日という日は時間の経過と共に少しずつ明日に食い込んで来る。 この意味がどれだけ理解できるか。 今日

栄華を極める日もあれば、どん底に落ちる日もある。

今ある苦労は、永遠ではない。 その不幸も永遠ではない。 然し、幸せも永遠ではない。 人生は、波。良い時もあれば、どうにもこうにもうまくいかない時もある。 栄華を極める日もあれば、どん底に落ちる日もある。 ただ、一つ云えるのは、実相の本流に乗るということ。 これなくして、永い長い人生を上昇させていくことは出来ない。 これまでの自分の生き様を振り返ってみるといい。 「ああ、確かに、それなりに良い事もあったなあ。でも、良くない時の方が多かったかも知れない。それでも、

人間は、何のために産まれ、生き、死んでいくのか。

人間、実相から見られている。 一部始終を。 最も問われるのは人間性。 といわれて、お主、人間性とは何かということを理解出来ているか? 人間は、そもそも人間のことを知らなさすぎる。 調べようともしない。 なぜ手足が二本あり、目や鼻の穴、耳が二つあるのか。 人間の身体の器官一つひとつの機能、役割、それらの神秘をどれほど知ろうとしているか。 人間には、なぜ意識があるのか。 意識とは何か。 なぜ、人間には寿命があるのか。 人間の思考とは何か? 心とは何か?

実相は、己の生き様を全て記録している。

人間、皆、死んだらあの世に逝く。 死んで終わりではない。 そこで「己、確信を持って、善に生きたか?」と問われる。 ほとんどの人間が、「はい。私は善きに生きました」と答える。 しかし、実相はそうはみない。己の生き様を全て記録している。 己が好もうが好まざろうが、完璧に隠していたと思っていることも全て。 善でない行為、不善、微悪、極悪の類まで、すべて証拠を見せられる。 「ああ、神様、どうかご勘弁を…私はそれでも一生懸命に生きてきたつもりです。多少の不備はあったにせよ

真理を知ろうとすることは、自分を知ろうとするのと同じ。

己、真理に至らぬのは、己自身が知ろうとしないから故に。 真理を知ろうとする心、真理に近づこうとする心。 この思いが有るか否か、真理に対し真剣に取り組むか、いい加減に取り組むかで、それによって結果は自明の理。 真理を知ろうとすることは、実は、自分を知ろうとするのと同じ。 それは、宇宙を知ろうとするのと同じであり、人類の由来、人間の生きる目的を知るのと同じ。 そして、過去と未来を知るのと同じこと。 真理が分かってくれば、3次元にいながら、上の次元のことが分ってくる。

人間の宿命とは何か

人生の大いなる宿命。 その一つに、生涯学び続ける、ということがある。 お主ら、学び続けているか? もうこれで十分学んだ、もう終わり、ということはない。 命の灯がついえるまで、人間は、学び続けなければならぬ。 これが実相における宿命。 「なあんだ。そんな簡単なこと、やってますよ。学校出て、社会人になってからも、本とかセミナーとか資格とかで勉強は続けています。それが何か?」 「ええ?一生勉強なんてムリ!学校の勉強だってつらくて早く終わりにしたいのに、一生ずっとなんて

相手は、変わらないし、変えることは出来ない。

己、苦しければ、自らを改めよ。 心底“良くなりたい”と願うのであれば、自分が変わるしかない。 これしかない。 父、母、夫、妻、子供、仕事の上司、同僚、教師、隣人、友人、知人、政治家、経営者、国、世界の所為にしたところで、何一つ変わることも、良くなることも、楽になることもない。 絶対にない。 相手は、変わらないし、変えることは出来ない。 これ、望もうが望まなかろうが、道理。己自身を鏡で見てみよ。 これまでの生き方や、生活態度が、今の己を形成している。 誰かに謀ら

人間全てに与えられた真理。

人間、過去世で人として仕上がることが出来たならば、この世には生まれて来ない。 この世で生きている人間すべて、人生の課題、即ち”業”を持って生まれて来ている。 「え?ということは、私には、何かやらなければならないことがあるっていうこと?それ、教えてほしい!まったく想像もつきません…」 「そんな過去世だのなんだのって、宗教の話は御免です。人間の生涯は1回きり。だから、思いっきりやりたいことやって、人生楽しみます!」 「私には、過去世があって、そこでどのような課題を抱えてい

努力は無駄だと思っている

未熟な人間が、人として仕上がるために出来ること。 それは、反省、忍耐、努力しかない。 これしかない。 残念ながら、人生一足飛びはない。 己の人生の目的、使命がはっきりしたのなら、あとは一心不乱に、そこに辿り着くまで、自らを省みて、耐え忍び、努力を続けるしかない。 現代は、これを否定している。 だから、良くなるどころか、悪くなる一方であることを自覚すべし。 現代の人間は、反省の仕方、忍耐の度合い、努力を続けることの本当の有用性を知らない。 知らないから、実行しな

生きても死んでも付き纏うもの

人間、どっち付かずの中途半端な生き方をし続けていると、生きていても、死んでみても苦悩と迷走が付き纏う。 これ好もうが好まざろうが真実。 これが実相の道理なのだから、苦悩を晴らし、迷うことのない明確な道を生きたいのであれば、その中途半端な生き方を止めねばならぬ。 「いやあ、それはムリっすね。これまで半端人間で生きてきたし、もうこれが自分っていうか、もう変えられないっす。でも苦労はしたくないから、何とかラクな道を見つけてすり抜けてみせますよ!」 「え?死んだらみんな天国に

今、実はそのような場面にあるのではないか?

「転機」。 即ち、あれこれ回してきたたくさんの皿を、思い切って一つに絞る時。 将又、もう後がない、厳しいがこの道しかないという時。 人生には、何度かこのような機会が訪れる。 この時、その機会に抗うのか、それとも流れに身を任せるか、知らぬふりをするか、あるいは覚悟を持って一つを選び進むのか。 お主、今、実はそのような場面にあるのではないか? 「いや、そういうチャレンジ系は、どうせ失敗するのが分かってるんで、やらないようにします。もう損したくないんで」 「目の前に転

ここぞという時の人間性を見ている。

世の社長さんよう。 社長さんも人間。 従って、個人の立場においては、社員と平等線上にいることを推して知るべし。 会社を運営する役目を天から与えられたのは、何も腕がいいとか、仕事が出来るからだけではない。 社員と共に、感性、人間性を高め合っていける度量があるかどうかを見られてのこと。 社長という立場を履き違えて、社員を下に見たり、業者を下に見たりしているようでは、いずれ会社が続かなくなるか、お主が辞めさせられるかという憂き目に遭う。 社員は、社長のここぞという時の人