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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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2021年11月の記事一覧

心を閉ざしていると知ることが出来ない世界がある

人生は謎だらけ。分からないことが多過ぎる。しかし、真理はシンプル。誰にでも解るのが真理。しかし、そこまで知ろうとするか、知ろうとしないのかの差が出てしまう。人間が作り出した理論と真理実相は全く違う。人間の創り出した時間とは別の時間が存在する。自然の中に、それはある。現実に力の及ぶ世界(真理、道理、実相)が在る。在るや無しやの議論をしたところで、好もうが好まなかろうが委細構わずに存在する世界がある。心を閉ざせば、知ることの出来ない世界。分かっていない人ほど、反論しようとする。人

何かが疎かになっていないか

真理(本当のこと)を知らずに生きていても、明日の栄光はない。ふざけ、思い上がり、いい加減で、わからずやであるならば、下落の一途。生きることに、もっと大切なことがあるのではないかと、もっと大きくて大事な存在があるのではないかということになぜに気付けぬ。己の自信、自己評価、そんなもの、何に役に立つと言うのか。何か当てになるとでも思っているのだろうか。人生、そんなに甘くはない。現状に満足できない、何かが足りない、常にイライラ、せかせかしている。それは、何かが疎かになっているからだ。

器(うつわ)というものがある

人間にも会社、都市や社会にも、器(うつわ)というものがある。その個々の容量は決まっている(決められている)。歳相応、経験相応、器量相応にその器は変化していく。従って、器に見合ったものが入ってくるということ。それ以上によいもの(事)を詰め込もうと思っても、器に見合った質量以上のものは入らず、零れ落ちる。器は大きいから良い、小さいから悪いということはない。自身の器の中で、どれだけ精一杯に生きることが出来るか。与えられたものをどう受容し、向き合い、生かすことが出来るか。その中身は、

この世に生まれてきた約束も思い出せずにこの世の生涯を終えていくことほどに

この人生、思っている程に単純ではない。人生は、「真実」を知らないままでは先に進めないようになっている。この現代社会においては、この「真実」知る、解ることは相当に難しい。なぜならば、幾重にも塗り重なれた真実でないものが社会を覆ってしまっているからだ。これは人間が自ら創り上げた虚構。余程の探究心、苦労を重ねなければ、真実に辿りつけないようになってしまっている。例えば、「人間性を磨く」ことが真実を知ることに繋がるとしても、それが何のことだかさっぱり理解出来ない。この人生全ての基礎、

なのになぜ続けるのか

人間の雑多な知識に塗れれば塗れるほどに、現状が複雑、乱雑、混沌化していく。もっとシンプルに自然界の法則に目を向けよ。全てはそこにある。心を清め鎮め、問えば答えが得られる。それは、生活の営みの中、経験の中からしか得ることは出来ない。そのことを知ろうともせず、溢れんばかりのゴミの情報に流され、忙しそうなふりをしている。もうそれは違う、真実ではないことは承知しているはず。なのになぜ続けるのか。人間は、バカになり切れる人ほど良くなっていく。何を躊躇しているのか。何を我慢しているのか。

仕事はWorkとは違う

仕事とは、事に仕えていくこと。事とは、役割。この人生での約束をこの役割を持って成し遂げること。事は部分。部分は全体とのつながりによって生かされている。勘違いをしてはいけないのは、部分が全体を動かしているわけではないということ。全体が部分を仕切っているということを忘れてはならない。この部分を仕切っている元の元があることをどれだけ深く認知出来るか。従って、私たちは、皆、事に仕えている。事は、自分自身に与えられた今世での役割。これは必ずしも、世に言う「ワーク」とは違う。そのことを熟

滑稽だ

自然界は、人間に対して、あらゆるものを無償で提供してくれている。人間に代償を求めたりはしない。このことをどれほど人間は、理解をしているのか。「儲ける」とは、人間の発想。身に得る、利益、収入を得るという意識。自然界には、「儲ける」という発想はない。人間は、自然界の一部であり、全体性の中での一役割を担う生き物。「儲けよう」としないもの(自然界)に乗って、人間は生活をさせてもらえている。その実相にある以上、「儲ける」ことを主体とすることはおかしな話。人間の本来の役割をはき違え、自然

どう在り、何を考え、どう生きたかだけ

人生は、自分自身がどう在り、何を考え、どう生きたかだけ。人間社会における地位や名誉、財産、権力などのラベルは一切関係ない。そこはマイナスに考慮されることはあっても、プラスに作用することはない。この人間社会で得た地位や名誉、財産や権力を持ったものは、相応の在り方、考え方、どう生きたかがより厳しく問われるということだ。どのような状態であっても、その時どう在り、その時どう考え、その時どう生きただけなのである。そして人間には、今世での器がある。大きな器か、小さな器か。その差は、前世で

何人も、この実相を避けて通ることは出来ない

実相無視して出来る由なし。人生、実相を知ることが先の先。実相とは、すべてのものの、生滅変化する仮のすがたの奥にある真実のすがた。万物の真相。森羅万象。事実としてある力動。人間が、強力に影響を受けている世界。そして、そう在りたいが、そうはさせないコントロールの世界。そして、自分自身の視野の外にある秩序、法、これに触れて生きている現実がある。人間が作った社会秩序や法のことではない。仮に人間が作った法に触れていなければ、何をしても良いなどと幼稚なことを考えてはならない。万人何人も、

動けば光のゆらぎを捉えることが出来るようになる

道が啓かない。それは、自分自身の感性に磨きが足りないから。総体的に素直さに欠けている。もし今、生き辛さを感じているのであれば、道が啓いていないからだ。人間とは如何なるものか。人生とは何ぞや。そのことを探究し、本当のことを知り得た時、即ち道が啓ける。八方塞がりのままだと、苦しく、希望を感じれなくなってしまう。従って、闇から放たれている僅かな光を見つける。その光を見つけるには、感性が必要なのだ。感性を磨くには、素直に物事を見て、逃げずに対峙して、行動してみよ。動けば光のゆらぎを捉

やり切らないから、何も見えてこない。

自分は、何をしなければならないのか。先ずは、自分自身で考える。誰も、何人も、そのことをいちいち教えてはくれないし、知らない。だから考える。考えて考えて考え抜く。何事も究めること。中途半端では役に立たない。何も起こらない。やり切らないから、何も見えてこない。時間は掛るが、自分で追求していけば、誰にでも解る真理がある。そこまでやるかやらないかの差だけだ。この世は、表と裏、縦と横の二重構造になっているから、物事の表面だけを見たのでは、その真を知ることは出来ない。そして、人はそれぞれ

「やってくれて当たり前」はない

自分のことは自分でやっていく。してくれるだろう、してくれて当然…では、良くならない、成長できない。学校でも、会社でも、行政でも、国でも、政治でも、何でもかんでもやってくれて当たり前はない。何かが足りなければ、自分で補充する。何かがおかしければ、自分で治す。何かが必要であれば、自分が何とかする。目の前にボールが落ちていても誰も拾わない、そのような状態では、物事何も進まないし、良い結果など生まれない。ボールは自分が拾う。それを責任を持って最後までやり抜く。誰が何と言おうと、誰も手

とうこちゃん、教えてくれてありがとう。

昨日の私たちの「大人のためのSDGs超基礎講座」で、もう10回も参加をしてくれている小6のとうこちゃんから教えてもらった12歳の少女・坪田愛華さんの『地球の秘密』について、調べてみました。 この絵本は、環境問題をテーマとし、地球の自然の構造、公害などによる自然破壊、人々が自然を守るために行うべき環境運動などを取り上げた作品で、世界11か国語に翻訳されて、世界中の子供たちに読まれているとのことです。作者の愛華さんは、1991年当時、斐川町の町立西野小学校の6年生の国語において

税の意味

税とは、天地、自然への恩恵に対する借料。何人も、誤魔化しのない完納が必要。これがこの地球上で生きるものの定め。国の法律云々の話ではない。会社であれば、天地、自然の恵みによって、稼がせて頂いたお金であり、それに対する感謝と報恩という感性を見られている。人間は、皆、既にこの地球上に存在した物、資源の上に生かされ、生活し、その既に有ったものを発見、利用、活用しながら、事業、商売をし、お金を得ている。それは、会社の代表のみならず、雇われて給与を得ている者も皆同じ立場であることを肝に銘