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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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2021年10月の記事一覧

固定観念の呪縛

固定観念は、自分を飛躍させない。自分をそこに留めてしまう。固定観念とは、絶えず行動を決定するように支配している観念のこと。他人の意見や、周囲の状況に応じて変化しない、行動を決めているような観念。即ち、思い込み。固定観念は人の経験や得てきた知識から形成され、真理に対する受容や、自由な発想を制限してしまう。固定観念の枠にはまってしまうと、まだ考える時間があるのにも関わらず、固定観念の枠の中で堂々巡りし行き詰まり状態になってしまう。人間の生み出した偏った(あるいは間違った・真理に反

真善美の本流を掴め

この世の物事は、「真・善・美」によって形成され、維持されている。この流れ、運行こそが本流である。真なものとは、本当のこと、真実、紛い物ではないもの。善なものとは、いい加減ではないもの、中途半端ではないもの、尤もであるもの。美なものとは、豊かになれるもの、役に立っていくもの、よく生かされるもの。本流に乗るか、弾き出されるか。真善美なものは、生命力が強く、生かされ、成長していく。真善美でないものは、汚れ、成長できず、枯れて、滅んでいく。真善美への感性は、何も持って生まれたものでは

生まれ乍らにして

次世の姿が見えている。今ある姿が、そのまま過去の姿としてある。因果応報の世界。そして、今の生き様が、因果の因として、来次に向かう姿となる。即ち、今、変わらなければ、次世も同じことの繰り返しとなる。我欲どろどろ、業(魂の汚れ)に気付かず、魂の輝きを自ら遮断し、意図せぬ不幸な生き様。このままいけば、来次の姿は、今よりももっと悪くなる。この世に生まれてきた時点で、過去の清算が残っている事実を受け入れよ。それに気付き、この世で精算できるのか、はたまた果てしない強欲や微悪を繰り返し、穢

慎ましいもの

天地、大自然と対話せよ。大神殿を造り、通い祈るのもよいが、足元にもっと大切なものがあることを気付くべし。人間が、宇宙やこの地球を造ったのではない。人間が、自然界を造ったのではない。人間が、人間を造ったのではない。さすれば、野に出よ。花を見よ。鳥を見よ。星を仰げよ。太陽を拝めよ。生命の営みとは、素朴なもの。慎しいもの。自然なもの。人の人生は、一人ひとりの問題であり、群れをなして動いて得るものではない。日々の生活の営みの中で、自分自身と向き合い、静かに真理を悟るべし。 そのこと

迷走するのは当然の至り

理念が厳しく問われている。理念とは、物事がどうあるべきかという根本的な考え方。即ち、元の元。国の理念、社会理念、企業や組織の理念、社長、上長の理念、そして自分自身の理念。常にここに立ち戻り、反省し、行い・ふるまいを正し、やり直せる根本原理。これが考え尽くされず、意味も分からず、普段より使われることもせず、忘れ去られている状態ならば、当然、戻るべき処もなく、迷走するのは当然のこと。それをすることなく、ただ単に、目先の利益、己が先、我が先、今だけ、金だけ、自分だけの要人があまりに

どれほど今が大切な時であるかが骨身に沁みることであろう

人間の「下地」。この世の人生での持ち分、言い換えると主成分ともいえる。つまり、過去(過去世)からの出来(人間としての仕上がり)具合によって、一人ひとり違う状態にある。それは、人間としての基礎、素質。その成長度合いの違いが、この世での差となって表れている事実がある。この下地の存在を理解し、その在り様を受け入れることが出来なくば、その差の違いに一喜一憂して、何も進歩をすることなく、この短い人生を、再び終えることになろう。人間は、全てを修得している存在ではない。それを得るために、生

前提条件がある

意識革命。本当のことが解らないと、人間、真に意識を変えることは出来ない。人間、一人ひとりの意識が変わると(本当のことが解るようになると)、地球意識が変わる。地球意識が変わると、宇宙が変わる。宇宙意識が変わると新しい次元となる。そのためには、前提条件がある。一人ひとりが、謙虚に人間性を高めること。今のままではダメだ。人間が、ますます人間らしくなくなってきている。本当のことを忘れ、本当でないことにまみれて生きている。本当のことを忘れていることすら忘れている。だから人間性が高まらな

求めよ

人間とは何か?人間の真実を捉え切れているか?なぜ、この地球に、この世に、この時代に、その日に、その両親から生まれてきたのか。その答えを明解に答えられるか?一つひとつ、思いを馳せて考えてきたか。人間には、誰もが初発(初めの出生)より与えられている宿命がある。そのことを知らずして、意識をせずに安穏と日々を送ることほど、無駄な人生はない。全てが偶然、たまたまだと思っていたら大間違いである。全ては采配により図られている。そのことをどうすれば知れるのか、教えてもらえるのか、気付けるのか

今生きる者たちが、先達として最後の務めを果たさなければならない

銀河系は約100億年、地球の誕生から約46億年、人類種の誕生から約700万年の間に、膨大な時と、精密な計算と仕組みの中で創造されてきている自然資源。人間は、何一つ、その元を創り出せていない事実を知りながら、この果てしない宇宙史のうちたった300~500年の瞬くの間に、その自然資源を傍若無人に消費し、地球そのものを改変してしまっている。現代人は、この大量消費の生活に甘え、うぬぼれ、止まらぬ我欲に気付かず、自らの首を絞めている。正に自滅の道を自ら喜んで選び、わき目もふらずに突き進

目に余る

生殺与奪の権利は、人類側にはない。従って、権力を持つと勘違いをしている、国家や王や法律側には、そのような権利も力もない。そのことを理解せず、勝手気ままに権利を振りかざす者、それに従うものたちには、自然からの制裁が待っている。宇宙創成から現在に至るまで、この僅か300年、地球に住まうその道の専門家、政治家、役人、経営者、報道関係者などの人間たちの、宇宙や自然界に対する過信は、目に余る。これらの者たちを野放しにしている無関心な一般人にも多いに問題がある。この人間の浅はかな思い上が

調和の道しか残されていない

滅びゆく中にある。原因は、地球資源の枯渇によるもの。人間が、天文学的な数量を無駄に消費し、我欲の中に使い切ってしまうことが原因。神の采配とか、誰かの陰謀だとかの話ではない。この流れは、もはや止められない。この僅か300年の間に、人類は、己の欲望を満たすために、石油、石炭、天然ガス、あらゆる鉱物資源を使いたい放題し、地球の構造を改変してしまっている。そのことで大気が汚染され、空気が薄くなり、木々や植物が枯れている。それを食物とする生物が全滅し、食物連鎖が崩れ、生命の生きる根幹で

他力本願、寄らば大樹の陰のままならば

未熟である。だから「人間」をやっている。善悪を半々持たされ、葛藤の中で、分別を悟り、人として仕上がっていく。人間は、この仕組みの中に生きている。人間は、自分独りでは生きてはいけないのも事実。しかし、人生とは、傍に誰がいようとも、皆、一人ひとりの問題なのである。それぞれの段階において、必要な課題を持ち、意味があり、この時代に生まれてきているが、その課題は、一人ひとり違う。従って、自分には出来そうもないから誰かが何とかしてくれるであろう、こんな事態になっているのは、私の所為ではな

宇宙が喜ぶのである

人類を含め、全ての生物には、命が宿る。即ち、生きている。それは、超大大宇宙、自然界の総和の一つとして存在する。その総和の中で、乱れが起きると、それを整える力が働く。人間は、その全体の中の部分として関連している。従って、人間一人の乱れ(自我による行為の乱れ、心の乱れ)が起これば、それを正そうとする力動が発せられる。それは当人が望もうがそうでなかろうが起こる。一方、人間一人の良心に基づいた善なる行いによって、良い波が起こり、やがて宇宙全体に響き渡る。宇宙が喜ぶのである。これほどま

まだ仕上がる可能性は残されている

今からどう生きるかの生き様次第に掛かっている。モヤシのままでは大木になれない。恵まれたものの不幸もある。苦労もせず、中途半端にいい加減に、楽に、安穏と生きるだけでは、大地に根は生えない。見た目は華やかでも中身はスカスカ。ちょっと風が吹けば、倒れてしまう。苦労の風を受け、太陽の光をしっかり浴び、人生たくましく生きるには、性根を変えるしかない。善に満たされた良き種は、初めに与えられている。やがて、思い違いが我欲(悪)を生み、善に背いて不幸を託つ。今、こうなってはいないか。内省をし