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20歳になったら

  この春、大阪の大学に進学するために18年間住み慣れた我が家を離れ、1人暮らしを始めていた娘が久しぶりに帰ってきた。
 リビングでカラフルなパンフレットを広げながら妻と談笑している娘の手元を覗き込んでみると、それは成人式で着る着物のレンタルのパンフレットであった。
 「まだ、成人式は再来年のはずだろ?」
 とビックリして聞いてみると、どうやら今のうちから予約しておかないと、気に入った着物は借りられないらしい。ついこの前、小学校の体育館で『2分の1成人式』として無邪気に踊ってくれていた娘だったのに。


 楽しそうな2人の様子を見ながら、不思議と今から約40年前に交わした『ある約束』を思い出して、1人で苦笑してしまった。


 40年前、小学生の私は福岡にいた。当時、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』といった戦闘物のアニメ番組が夕方からゴールデンタイムに堂々と放送されていた時代。塾や習い事に全く通っていなかった当時の私は、毎日心躍らせながら、こうしたアニメ番組を食い入るように見て育った。


 その影響たるや凄まじいものがあった。学校に行っても、「ヤマトは本当にイスカンダル星にいけるのだろうか」「波動砲の威力はどのくらいだろうか」「地球の危機は自分が何歳くらいでやってくるのだろうか」等が、友達同士の最大の関心事だった。


 放課後には、空き地でチャンバラや戦争ごっこに夢中になった。中でも、忘れられない戦争ごっこがある。


 段ボールで自分がスッポリと入れるくらいの囲いを作り、前面や側面に穴をあけ、ロケット花火をストロー等で固定した『戦艦』で遊んだことだ。この『戦艦』は、中にいながらロケット花火の導火線に引火できるという画期的な構造をしていた。後は、爆竹や白煙の出る花火を揃えれば、戦闘開始。


 今考えると、危険極まりない遊びだが、親たちの知らない世界で平気に楽しんでいた。アニメ番組の影響はこうした悪遊びだけでなく、正義感の育成にも大きく影響したと思う。私たちも大人になったら、絶対に地球の危機が迫ってくるから、そのときは一緒に『ヤマト』を造って地球を守ろうと誓いを立てたのだ。


 当時の私たちは本気だった。その証拠に具体的な約束まで思い出すことができる。

『日本全国どこにいても、何をしていても、20歳の誕生日には車や鉄屑をもって、この小学校の正門の前に集まろう』と。

 小学6年生のときに、私は岡山へ転校となってしまい、福岡の友達とこんな約束をしたことをスッカリ忘れていた。しかし、私が20歳の誕生日を迎えたときに真っ先に思い出したのが、なぜかこの約束のことだった。


 そして、この約束の重大な欠陥に気づいて、ただ呆れるしかなかった。なんと、私たちは誰の20歳の誕生日に小学校に集まるのかを決めていなかったのだ。


 転校して以来、1度も連絡さえとったことのない当時の同志たちも、それぞれの20歳の誕生日にこの約束のことを思い出してくれただろうか。少なくとも、今の子供たちと全く違う少年時代を過ごせたことを、本当に幸せだったと懐かしむ瞬間があることを願う。


 ただ確実に言えることは、あの正義感に燃えていた少年たちも、あれから40年余りそれぞれの人生を生きてきて、自分の子供たちの成人式のことを考えなくてはならないような『おじさん』になってしまっているということだろう。

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