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泣いた青鬼

【こらしめる】
意味:悪いことをした人に罰を与えて、二度とするまいという気持ちにさせること。



カチカチ山、さるかに合戦、したきり雀、エトセトラ……。

日本には悪い奴らやズルい奴らをやっつける昔話が残っていて、おとなにも子どもにも人気がある。こんなにもこらしめられる話がたくさんあるのに悪い奴らはいなくなりません。

きょうはそんな、こらしめなきゃいけない令和の時代の悪い奴らのお話です。旅の途中で出会ったある〈オニ〉から聞いたお話です。むかしむかしでも、いまはむかしでもなく、いまのお話。それでは、ものがたりのはじまりはじまり。

あるところに、旅ばかりしている青いレガシーに乗ったオニ(青オニ)がいました。オニはいつもコッチでもアッチでもない境界線を歩くように、のんきに気ままに旅を続けていました。ニンゲンに怖がられないように静かに旅の途中の出会いの中に生きていました。

例えば、ニンゲンと仲良くなりたい赤オニがいれば願いを叶えてあげたり、困ったニンゲンがいればこっそり話を聞いて手を貸したり、手伝いに来てほしいといわれれば青いレガシーに乗ってニシヘヒガシヘ訪ね歩いていました。ひと所に長くいられない性分のオニでもありました。

あるとき、青いレガシーに乗ったオニは海岸沿いの平屋の一軒家に住んでいました。窓を開けると松林の緑の間から、白い砂浜と青い海と雲が流れる空が見えました。水平線には夕陽が沈み、波音で目覚め、波音の子守唄で眠りにつく。そんなすてきな場所でした。

休みの日にはニンゲンの子どもたちが青オニの家を訪ねてきました。いつもひとりだった青オニを、遊びに連れ出してくれるのです。浜辺で遊んだり、おまんじゅうを買いに行ったり、自転車でちょっと遠くへ出かけたり、海辺のまちでとても幸せに暮らしていました。

オニは波音が聞こえてくる海岸沿いの平屋の一軒家のあるまちで、ちょっとしたお手伝いをしながらゴロゴロと寝転がっているだけで幸せでした。
プライベートビーチでひがなゴロゴロ鬼ざんまい
そんなある日、そのむかし大きな災害のあったまちのニンゲンから、たすけてほしいと連絡がありました。ようやく手に入れた海岸沿いの平屋の一軒家やニンゲンの子どもたちとの穏やかな生活。別れを思うと、青オニはずいぶんと悩みました。寝ても覚めても夢の中でも悩みました。お世話になった人との別れはつらいからです。何ヵ月も悩みました。悩みすぎて毎日ゴロゴロしていました。でも必要としてくれるのであればと、お手伝いをすることを決めました。

新しいまちは遠くて寒いところにありました。災害のキズあとも、見えないところにたくさんあるまちでした。訪ねるたびに緊張するまちでした。ちゃんとした覚悟がないと訪ねられないまちでした。


青いレガシーにのったオニが新しいまちへ到着すると、出迎えてくれたのはニンゲンの子どもたちでした。海岸沿いの平屋の一軒家で仲良くなったニンゲンの子どもたちとはちょっと様子がちがいました。新しいまちで出会ったニンゲンの子どもたちは、ニンゲンのおとながつくった社会の中で困ったり苦しんだり傷ついたりあきらめたりしていました。いろいろな事情や思いを抱えた子どもたちが集まる場所でした。こうして青オニの新しい生活がはじまりました。

ふりかえれば青オニは、いろいろなまちでニンゲンの子どもたちにふれあいながら生活をしてきました。そのおかげで、新しいまちの子どもたちともすぐに仲良くなりました。子どもたちも青オニをすぐにスキになりました。


でも、ニンゲンのおとなたちは、ちがいました。

穏やかに暮らしていた青オニをわざわざ遠いまちから呼び出しておきながら、ニンゲンのおとなたちはすぐに青オニを憎むようになりました。理由はすぐにわかりましたが、理解なんてする必要もない理由でした。ニンゲンのおとなたちは、自分たちが集めた子どもたちの愛情や信頼が、青オニに向かうことをおもしろく思わなかったのです。自分たちよりも好かれていく青オニを煙たく思いはじめたのです。まもなくニンゲンのおとなたちは、青オニをジャマに思うようになりました。

そして青オニはあっという間に、そのまちを追い出されてしまいました。

これまでも何度か同じようなことがあった青オニは、さようならと静かにまちを離れることにも馴れていました。でも今回ばかりはそうはいきませんでした。海岸沿いの平屋の一軒家をうしろ髪を引かれながら別れを惜しんでまでもやってきて、新しいまちの子どもたちにも受け入れてもらえた矢先のできごとを、はじめは理解できませんでした。考えれば考えるほど苦しくなりました。

不安定な旅を選んで生きてきた青オニとはいえ、知らぬ間にニンゲンたちの憎悪を受けて心身ともにどうにもならなくなっていきました。オニ仲間からもガマンしちゃダメだ、まちがいに負けちゃダメだと言われました。そこではじめてボロボロになっている自分に気がつきました。

いつもと違って追い出されたあとの気持ちを思い出すたびに、コンチキショーと思うのでした。ボロボロになりすぎて、まったく傷は癒えません。青いレガシーも、青オニの苦しみの重さで動かなくなってしまうほどでした。

そんなイッサイガッサイをダレにも知られちゃいけないと思った青オニは、気がつくとダレにも助けてと言えなくなっていました。そして、青いレガシーに乗ったオニは静かにまちを離れて、人里離れた場所へ身を隠してしまったのでした。めでたくないけど、おしまい。



日本だけでなく、世界の昔話にも悪い奴らをこらしめる話が残っています。なぜ昔話には、悪い奴らをこらしめる話があって、どこへ行っても伝えられているのか、オニとはいったいどんな存在なのか。ちょっと考えてみました。

伝承されてきた理由は、現実には悪い奴らをこらしめることができずに、つらい思いをする人がとても多かったからじゃないか。物語とはいえズルい奴らをこらしめる痛快な昔話を聞いて、晴れやかな気持ちを思い出そうとしていたんじゃないか。そして、そういう理不尽できゅうくつな環境に馴染めない人たちがオニと呼ばれていたんじゃないか。
悪い奴らはそういうことを知っていて、ますますイジワルになって人々を困らせ苦しめ、幸せだった人からすべての幸せを奪い取り、またその周囲の人たちにもイヤな気持ちを味あわせ、すべての笑顔を奪い去った挙句に、奪った幸せをむさぼりながら生き延びてきたんじゃないか。

自分だけが幸せであればいいと考え、人の痛みや苦しみに共感することもなく、ニンゲンに悪さをするウイルスや悪魔のように日本中に世界中に時代を超えて伝染して、いつまでも生き続けているから昔話は令和の時代にも伝えられているのかもしれない。気をつけなきゃいけないよと。


ようやく表へ出られるようになった青オニにインタビューをしてみると、追い出された青オニの心には、仕返しや仇を討つという復讐心はありませんでした。静かに暮らしたい、なにげない毎日を穏やかに送りたい、気楽に生きていたい。ニンゲンとは仲良くしたいけど、かまわずにそっとしておいてほしい。それなのに、そうはさせてくれない悪い奴らが近づいてきて、使い勝手のいいオニたちを乱暴に扱うんだと。だからせめて、これ以上の被害が広がらないように、悪いニンゲンはこらしめなきゃいけないと。


青いレガシーに乗ったオニは、今まで誰かをこらしめようと思ったこともありませんでした。ニンゲンから数時間に渡り罵詈雑言を浴びせられたときも、都合のいいときだけ拾われて用がなくなれば捨てられる100円ショップに売っているモノのような存在にされたときも、仕方がないよねといって、静かに居なくなることを選んできました。

憎しみを持たずに生きているオニたちは、悪い奴らに出会ったときのために普段から愛とユーモアと想像力を働かせる特訓をしていると話してくれました。

その特訓の内容は……
友だちをトコトン大切にすること
笑顔はゼッタイ忘れないこと
助けてと言えるようにしなやかでいること
イヤなことがあったとしても……
「にもかかわらず」ユカイなことやステキな出会いを見逃さないこと

それは、悪い奴らからオニの社会を守るために必要なことなんだと。


悪い奴らには、オニの心を思いやるよゆうもやさしい気持ちもこれっぽっちもないんだと知ったオニは、これからどうやってニンゲンの社会の中で生きていけばいいのか。そもそもニンゲンの社会に生きる必要があるのか。

ぼくは、そもそもオニという存在は、ニンゲンとニンゲンの境界やニンゲン社会のフチに生きているたくましくてしなやかな存在なんだと思うようになりました。目立たないよう見つからないよう、傷つけられないようにしながら、これからも静かに生きていく存在なんだと。もちろん良いニンゲンにも助けられてきた青オニです。そんなオニたちの思いを大切にしたい一方で、さみしい気持ちにもなります。

せめて、こらしめられたニンゲンは、二度とするまいという気持ちになってほしい。


もしもみんなのまちに、青いレガシーに乗ったオニが訪ねてきたら、気軽に声をかけてみてください。同じように世間の境界でのんきにくらしている赤とか黄色とかのオニを見かけたら、ちょっとだけ見守ってあげてください。そして、悪い奴らが近づいてきたら、すぐに逃げてください。そういうニンゲンとかかわらなくても生きていけます。もしも傷つけられてしまったら、青いレガシーに乗ったオニを探して助けを求めてください。きっとすぐに駆けつけてくれるはずです。

合言葉は、「愛とユーモアと想像力」です。

青オニ、見た目はアレだけど……応援しよう