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売れない土地と隣人 2023.5.17

通学路の途中の角地に古い建物付きの土地が売り出されている。穏やかな住宅街で駅も遠すぎず、南東角地だし、広いし、結構良さそうな物件だけど、なかなか売れない。

たぶん、その理由は隣の家なのではないか、と思っている。なんだか崩れそうなベランダ、ところどころ剥がれた外壁のペンキ。一部分には長期間ブルーシートがかけられている。でも洗濯物は干してあり、生活感もすごい。どことなく問題のありそうな隣人といった雰囲気があるのだ。

もし、隣の住人のせいで売れないとしたら、売り出している人が可哀想だ。
本来ならさくっと売れてまとまった金額を得られるはずなのに、売れないとしたら…。
あるいは、売りに出す理由さえ、その隣人がいるために住むことにストレスを感じて、というものだったとしたら…。


一方で、今度は隣の住人についても考えてみる。
何か精神的な病気なのかもしれない。
何か事業に失敗するなどして経済的に困窮してしまっているのかもしれない。

精神的な病気だとしたら、非常に難しい。
迷惑を被った側だとしても単純に非難をぶつけるわけにはいかなくなる。
なぜなら、彼らにも生きる権利はあるし、できるだけ自立して生きていかなきゃいけない。精一杯ぎりぎりで生きているので、ベランダを直す余裕なんてないのかもしれない。

こういった人々は、手を差し伸べてくれている社会的サポートやその他の親切な人々の他にも、手を差し伸べる意思を特別に持ってるわけでもない「関係のない他者」に、我慢を強いてしまったり迷惑をかけてしまうこともある。
もちろん、どんな人であってもそういう部分はあるけれど、どうしてもその度合いが強くなってしまう。

我慢しろ、寛容になれ、受け止めろ、支え合おう(時には一方的に支えろ)。
ある程度ね。ある程度は、この精神は大事なんだけれど、この「支える側」に分類されてしまった人もまた、100%の健常者とは限らない。
精神的な病かどうかは白黒はっきり人々を分けられるものではなく、グラデーションなので、グレーにいる人には荷が重すぎることも多々ある。

どうすれば、支える人たちの負担を軽くできるのか。
支える時間と内容をできる限り分散させることがキーなのかもしれない。
行政や民間が、公式の社会的サポートをより手厚くしていくこと。

...だが隣の住人は?
我慢するか、逃げるが勝ちでしかないのか...?



今日もまた、古い建物付きの土地は、売れた気配もないままに雨に濡れていた。何の根拠もない私の想像など吹き飛ばして、売主さんにも隣人さんにも幸がありますように。


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