ぼちぼちポジティブにいこか

真木悠介のことば

以下 真木悠介 "気流の鳴る音"からの引用


「真に明晰な意識にとっては、われわれすべては死刑囚であり、人類の総体もまた死刑囚である」

「いっさいの価値が空しくなったとき、かえって鮮烈によみがえってくる価値というものがある」

「この物質性の宇宙の外に、どのような神も永遠の生命も存在しない。
ここまで幻想を解体し認識を透徹せしめた時に、はじめてわれわれは反転の弁証法をつかむ」

「われわれの行為や関係の意味というものを、その結果として手に入る「成果」のみから見ていくかぎり、人生と人類の全歴史との帰結は死であり」

「いっさいの宗教による自己欺瞞なしにこのニヒリズムを超克する唯一の道は、このような認識の透徹そのもののなかにしかない。
すなわちわれわれの生が刹那であるゆえにこそ、また人類の全歴史が刹那であるゆえにこそ、今、ここにある一つ一つの行為や関係の身におびる鮮烈ないとおしさへの感覚を、豊穣にとりもどすことにしかない」


以下 真木悠介 "自我の起源"から引用

「〈私〉は自然の波頭のひとつだと。宇宙という海の波立ちの様々なかたちとして、個体としての「自我」はあるのだと」。
「海が宇宙だとすると、波というのはある数秒間の形としてあるわけです。自我というのは宇宙の海の波みたいなもの」

「海とたたかう波として近代的自我というのがあるというイメージが、ぼくにはあるんです」


これは"気流の鳴る音"から
「存在それ自体という、最もたしかな実在の大地にわれわれが根をおろすならば、根をもつことと翼をもつことは矛盾しない」


あたかも自分が見つけて来ましたよ、という感じを出してるけれど、真木悠介に関しては鶴見済氏からの受け売りです(他にもいろいろ)
引用箇所も鶴見氏のブログ記事からの孫引き。

Chill

アンビエントを聴いても癒されることはあまりない。頭が痺れるだけ。
(癒されるアンビエントもあるにはあるのかもしれないけれど...)

自分は巷で流行しているchillという概念を懐疑的に見ている。

頭を痺れさせないといけないような状況にいるということが一体何なのか、そこを真剣に考えることが癒しなんではないかと自分は思う。

とはいえ、頭を痺れさせるのも悪くない
テキトーに酒でも飲みながら、旨いツマミをつまみ、気の合う友人と駄弁ったり...。

人間の尊厳

精神科医・益田裕介氏の解説動画

人間の尊厳とは何か? 現実が詰んでいる時に見る動画


未来全開!

以下 隅田川乱一 "穴が開いちゃったりして"から引用

"悟りというものがあるとすれば、それは将来に開かれた透徹した思考のことを言う"

"現在を過去の頂点として捉えるのではなく、未来の底辺として捉える"

少し躁っぽい気もするけれど、ポジティブにいこうということか...

本当に切実な問い

鶴見済氏のブログ。三田宗介(真木悠介)の追悼記事。
"本当に切実な問題"について書かれている。

この記事がなかったら自分もかなりやばかった

"ぼくたちの「自分」とは何か。人間というかたちをとって生きている年月の間、どのように生きたらほんとうに歓びに充ちた現在を生きることができるか。他者やあらゆるものたちと歓びを共振して生きることができるか"
泣ける。

ぼちぼちいこか

真面目に考えるのもいいけれど、普段は鼻歌でも歌いながら、のほほんとしていればいいんじゃないかと思う。

あまりくよくよせず、よく寝て、よく食べ、よく動こう。
太く短いのも悪くないけれど、出来るだけ長く楽しんでいたいし。

できない時はできないし、誰にでもできるわけではないけれど、言うだけ言っておく。

ぼちぼちいこか。

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