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老人ホーム介護職員ヒダカさんと吃音

快活で明朗な言葉遣いが特徴的なヒダカさんは現在、特別養護老人ホームで介護職員をしている。また宮崎県の言友会「わ」の会長だ。
個人的な話、鹿児島に住むいとこを思い出すのか、彼の宮崎県の訛りには妙な懐かしさを感じる。

そんな彼のイメージは、とにかく「多動」だ。吃音がありながらも、軽音楽や演劇、ダンスなど様々な表現に力を注いできた。
また全国の小中学校職員へ、吃音の理解を促すためのパンフレットを配りたいとも仰っていた。
今でこそ行動力のあるヒダカさんだが、様々な表現の面白さに気づくまでには、過去の様々な紆余曲折があったという。

名前のない苦しさに悩む小学時代

どもりが出た最初の思い出は、小学校の日直の号令や音読の時間。
特に音読ではあらかじめ読む行を予想して練習。言葉が詰まるときは
「漢字なんて読むんだっけ・・?」
などと言いつつ、話し始めるまで皆待ってくれていたという。
また低学年の時は、ことばの教室に通い発話練習もしていた。

しかし彼は当時まだ「吃音」を知らず、彼のそれについて咎められたのは一度だけ。言葉が皆のようにうまく出ず、悩んでいたと思うがあまり思い出せないという。

打ち明けられない、理解されない中学時代

中学へ上がると親の一声でソフトテニス部へ入部。
大会時、ローテーションで1人1人回ってくる声援では
「いけいけ」の「い」が出ず、自分の番だけ詰まり気まずくなった。

しかし、ヒダカさんは、どもっても応援し続けた。
自分だけ除外されたり、特別扱いされるのが嫌だったからだ。
それに、言い切れた事に達成感もあったからという。

また覚えているのは国語の授業。
野球中継か気象情報、どちらかを選んで音読するテストがあった。
目的は定かでないが、先生がタイマーで音読時間を伝えてくれる。
皆に従って野球を選んだヒダカさんは、教室で何度もどもってしまった。

「はい、ありがとうございました~!」
先生は自分の番だけタイムを伝えなかった。ヒダカさんのための配慮だろうか。しかし自分だけ除外され、無かったことにされたのが逆にすごく辛かったという。

「いじめ」「いじり」?心を閉ざす高校時代

「自分にはなじめない・・・。」

1年生から治安の悪いクラスに当たった彼は、心を閉ざしてしまった。
また「いじり」というものを知らなかった彼は、クラスメイトからのそれをすぐに「いじめ」と受け取り、先生に伝えた。

その後いざこざは無くなったが、クラスメイトの間に冷たい距離ができた。当時のネット掲示板のような場所で、暗に自分の陰口も書かれていたという。彼はリアルと現実での素振りの違いに、人間不信になってしまった。その後もクラスメイトには馴染めなかったが、励んでいた弓道部のおかげで3年間登校することができた。
また「吃音」を知ったのはこの頃だったが、はっきりと覚えていない。

軽音サークルへ!バンド漬けの大学時代

軽音サークルへの出会いは、入学式でのバス通学申請待ちの時だった。
校内で軽音部の一人から誘われ、言われるままに部室へ向かう。
そこではマキシマムザホルモンの楽曲演奏をしていた。
しかし、すごいなぁと思う程度で余り感動はしなかったという。

「とりあえず次の日も行こう」
話しかけられたら話すが、自分からは話さない。
なんとなくそんな日々が続いた。

そしてヒダカさんがバンドを組み、大きな変化を遂げるきっかけになったのは、軽音部員である大学の同期からの一言だった。
「俺ギター弾きながら歌うの難しいから、歌ってよ」

それは歌詞を作ってと同じ意味だった。作詞は門外漢なので拒否したが、次第にお互い興味が出てバンドを組むことになった。
同級生がギター、シンガーがヒダカさんの2人コンビ結成だ。

最初は人前に出ることに緊張したが
近くのライブハウスで毎度、ギターのメロディに思いの丈を叫んだ。
チケット販売ノルマもあったが、赤字を自腹で払ってでも歌い続けた。

「もう歌うな」
余りの叫び具合に見かねた先輩の一声に目もくれず、歌い続けた。
すると周りも面白がってくれて、最終的にバンドは4人組になった。

スタジオのワクワク感、熱気。
そこにいるのは、自分ではない自分。
ー歌っている時だけは、どもらない。

気付けば彼は、人前に出る事を避けていた昔の自分と全く異なっていた。
「大勢の前で何かを表現するって楽しい!」

普段できないことが、ステージでは表現できる。
そんな強烈な成功体験は、後々舞台演劇やダンスなどの自己表現を
始める大きなきっかけとなった。

本人曰く、高校の思い出を歌詞にした音楽を叫びながら
高校卒業アルバムを破り捨てたことが一番の思い出だという。

吃音との向き合い方の変化、そして伝えたい事


昔は吃音を直したいと思っていたが、今はそれが余り無くなり武器になったという。吃音があったからFOX(自助グループ)等で様々な方と出会えるし、他者に対する共感力もついた。ワンピースの悪魔の実の如く、吃音は毒にも薬にもなりうると例えていた。

「どんなに辛い状況でも、何とかなると思っていれば
絶対なんとかなる。」

実業家である、斎藤ひとりさんの著書の一節だという。
自分に嘘をつかず、一生懸命にやりたい事をしていたら、色んな人に出会って、支えてくれる、手伝ってくれる人が増える。繋がりができる。

こうして私がヒダカさんのルポを書かせて頂いているのも、奇遇ではない気がしてくる。また私は、まさにこのメッセージを伝えるための漫画を企画しているので、その意味でも、大きな勇気を頂いた。

現在のヒダカさんは定型文がニガテのようで、職場での教訓を述べる際、特にどもってしまうのだという。
そして最近、病院から発達障害と診断された。
今では吃音よりも、発達障害の悩みが多いのだそう。
それでもヒダカさんは、自分を特別扱いせず、真っすぐに仕事に励み、様々な表現や活動に挑戦している。
そこには、負けず嫌いなヒダカさん流の、障害との向き合い方があった。











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