見出し画像

著者の鐘崎裕太と吃音

※知人が僕をインタビューして頂いた時のルポです。

アニメーション映画を作りたいという今回の協力者。

母子家庭で育ったのだが、協力者が言語障害を持っていることが関係してコミュニケーションがうまく取れず、仲は良くなかったのだそう。

母親は仕事で忙しく、小学生の時は家に帰ってもやることがなかった協力者は唯一買ってもらった漫画『ブリーチ』の一巻をずっと読んでいて、そのうち模写するようになっていた。

絵を描くことで現実逃避をしていた少年時代だったという。
当時何があったのかその先はきけなかったが、言語障害によるコミュニケーションの困難さから生まれる寂しさは私には想像できないような辛さがきっとあったのだろう。

それから高校生になると学校でも人間関係が上手くいかなくなり、いよいよ居場所が無くなっていった。気づけば鬱状態になっていたという。

そんな彼が唯一心を休められる時が映画館で映画を観ている時だった。
漫画もずっと好きでこの時期は特に『聲の形』にどっぷりハマり、自分のバイブルとして学校によく持ち込んでいたという。しかし、それでも映画館で映画を観る時の没入感を超えるものはなかった。

映画館の存在に支えられて高校生活を進めていくなかで進路を考える時期になり、自分の苦しい今の時期を糧として、仕事をしたい!と次第に思うようになっていったが、まだその時は絵を描くことと仕事は結びつかず、高校卒業後は工場に就職した。

ただ高校生活での鬱状態はまだ続いており、仕事はすぐに辞めることになった。

それからしばらくは友達の家を泊まり歩いていた。

そうしているともちろんお金はすぐに無くなっていく。
どうにかして稼げないかと考えた時に彼は広告漫画を描く仕事があることを知った。自分の絵を描くというスキルが仕事になるなら!と思い、すぐに始めてみた。

すると、意外と需要があることを知り、自分の得意なことを仕事にできたのでしばらく広告漫画を描いていた。

しかし、一つひとつの案件の値段は安く儲かることはあまりない。
その割にはずっと家に篭っていなければならず、どんどん気が滅入っていく。

将来が見えてこない日々に不安を憶えつつも彼は自分のやりたいことを今一度冷静に丁寧に振り返っていた。

自分が感じてきた苦しみはなんだったのか。


自分を支えてくれたものはなんだったのか。


自分がやるべきことはなんなのか。


その中で彼は
『人生を立ち止まって歩けなくなった人に一歩踏み出す力を与える』ことを信念に作品を作ることを決意する。

そのために彼は広告漫画の仕事をやめ、コンビニでアルバイトをしながらアニメーションや漫画の製作を続けることを選んだ。

まだまだ歩み途中でアニメーションか漫画かどちらを製作するのか迷いつつも、講談社の編集者に作品を見てもらったり、オリジナルCMをYouTubeに載せたり着実に前に一歩踏み出している。


最終的には自分の居場所であった映画館で自分の映画を流し、多くの人を感動させることが夢なのだそうだ。

作品をいくつか見せてもらったが、人の生きてきた道を大切にする協力者の強さや優しさをその作品から感じることができた。

『今の苦しいことは君の力になれる』と教えてくれているようだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?