ミスチル「しるし」の意味は「感情の揺らぎ」?
こんにちは!YouTuberのシンガーソングライター金やんです!
今回は動画でカバーさせてもらったMr.Children「しるし」の歌詞を読み解いていきたいと思います。
『14歳の母』の主題歌としても有名なこの曲ですが、桜井さんご本人が「最高のラブソング」だと評されています。
「相愛」と「別れ」という両極な物語の中心にある愛。
同時に表現するのが難しいようにも感じますが、そこを巧みな言葉遣いでやってのけるのが桜井和寿というアーティストです。
この桜井さんの言葉を念頭に置いて、歌詞を解釈していきましょう!
基本情報
「しるし」は2006年11月15日発売の、Mr.Children29枚目のシングル。
5thシングル「innocent world」から25作連続初登場1位を獲得というえげつのない記録を打ち立てています。
ドラマのヒットと相まって、10週連続トップ10入りを果たし、累計売上は74万枚。
曲と歌詞が出来た経緯
この曲は浮かんだメロディから曲を形作って、その後に歌詞を乗せていったそうです。
そのメロディが好きで大事にしたいから、最高の言葉を乗せたいと思った時に、別れの歌なのか、すごく恋愛真っ只中の歌なのかを迷ったと言います。
ですが、そこで「どんな物語であったって、伝えたいことは、その中にある『想い』だと思った」そうです。
だから冒頭で述べたように、両極にある物語の中心にある愛をテーマにすることで、どちらかの側面だけでなく、両方の側面を表現しようとした訳なんですね。
と、言葉にすれば簡単ですけど、これはとんでもなく難しいことでして。
抽象的な言葉遣いをすると輪郭がぼやけて、「結局何が言いたいの?」となってしまうこともあります。
だがしかし、そこはグンバツの歌詞センスを持つ桜井さんは、その上でどちらの意味に取ってもグッとくる歌詞に仕上げてくる恐ろしい詩人でございます。
内容に関しては、7年間大切に飼い続けていたリスザルの「モンちゃん」を想って書いた曲だそうです。
桜井さんは、自身の個人的なエピソードを歌詞へと繋げることが多いようですが、その時に「どうすればリスナーが共感できるか」というところに重きを置かれています。
愛するリスザルとの別れをそのまま表現すると重すぎるので、その出来事によって感じたことを、恋愛というフィルターを通して描くことでリスナーが受け取りやすくなる。
しかも、それを別れの歌としてではなく、恋愛真っ最中の歌詞とも取れるような表現を使って書くことで、リスナーそれぞれが聴く時の状況に置き換えて聴くことができるように作ってあるということです。
とんでもなくないですか?
さらにドラマの主題歌ということもあり、例の如く桜井さんは脚本を読んでから歌詞を書いています。
つまり、ドラマの内容ともリンクしていくわけですね。
お手上げでございます…。
ちなみに、「しるし」のMVは桜井さんが歌っているシーンのみで構成されていますけど、元々はメンバー全員や老人、子供が登場するシーンも撮影されていたそうで。
ですが、桜井さんがメッセージが強く出過ぎると判断して、ただ「想い」だけが伝わるようにシンプルな映像にしたということです。
曲自体の持つテーマに沿うよう余計なものを一切削ぎ落として、そこに込めた「想い」だけを伝えたかったんでしょう。
その誠実で真摯な音楽との向き合い方には感嘆させられます。
ドラマ『14才の母』との関連性
「しるし」は、2006年10月11日から12月20日まで放送された、ドラマ『14才の母』主題歌に起用されていました。
志田未来さんが主演の、未成年の妊娠と出産をテーマにした社会派ドラマで、当時とても話題になりました。
ギャラクシー賞を受賞した作品でありながら、「子供に見せたくない番組」ランキングでは2位に入るなど、賛否両論を巻き起こした作品です。
当時僕は大学生でしたが、ドラマであまり取り上げられないテーマでセンセーショナルな内容でしたし、衝撃を受けた記憶があります。
ドラマを見てそれぞれがどう感じるかはわかりませんが、ストーリーの中で「恋人への愛」「親子の愛」「子供への愛」など様々な愛が描かれています。
「物語の中心にある愛」という桜井さんの歌詞に込めたテーマというのがここで繋がってくるわけです。
それぞれの関係の間にある愛を想起させる内容になっていることで、ドラマとの親和性が高まっています。
ラブソングという形態を取っていますが、元を辿れば桜井さんの愛猿への愛の歌。
その対象はあなたの大切な人(恋人・家族・友達・ペットなど)であればいいのだと思います。
歌詞の解釈
ということで、ここからあなたの大切な人を思い浮かべながら一緒に見ていきましょう。
1番A~Bメロ
ワンセンテンス目から意味深な言葉で始まります。
歌詞の一行目ってその先を聞いてもらうために重要な役割を持ちますけど、ここだけで「どうなることが決まってたの?」とリスナーが能動的に聴こうとする姿勢になりそう。
自然と曲に入り込んでいってしまうような導入が素晴らしいです。
相愛の物語をイメージすれば、恋人になることだったり結婚することだったりを指すように聞こえますし、
別れの物語をイメージすれば、恋人でなくなってしまうこと、相手を亡くしてしまうことが思い浮かびます。
次の「違うテンポ」という部分も聞き手によって解釈が分かれます。
2人が寄り添って鼓動を聞いている様子が思い浮かびますが、「元々は同じ感覚だったのにズレてきてしまった」みたいな捉え方もできますし、
「違ったリズムや感覚でいることすら愛しい」と取ることもできます。
そして、ドラマとのリンクを考えると「お腹にいる(生まれた)子供の鼓動」も想起させます。
その後に出てくる「左脳に書いた手紙」という表現も面白いですね。
前の文との兼ね合いを見ると「左脳」ではなく、例えば「君に」としても意味は通りますが、
「左脳」=言語能(思考・論理を司る)
「右脳」=イメージ脳(知覚・感性を司る)
そこを「左脳に」とすることで、自分の中に生まれた感情(右脳)を考えた言葉に置き換える作業(左脳)を頭の中でしている、という意味が含まれることになります。
そして、「ぐちゃぐちゃに丸めて捨てる」とあるので、その頭に浮かべた嘘っぽくなってしまった言葉は伝えずに胸の中に閉まった。
自分の中にある気持ちをうまく言葉にできない状況を描いているんでしょう。
大切な人に何かを伝えたくても、上手に言葉に変えて伝えられずにモヤモヤしてしまうなんてことは誰にでもある経験かもしれません。
好きだという想いであったり、相手の嫌な部分であったり。
これも状況によって思い浮かべることが違ってきますよね。
そして、その言葉にできなかった心の声はどこに行くんでしょうか。
「君に届くのかな?」と書いてあるので、言葉には出さないけれど、振る舞いや行動からそれが伝わってほしいという願いにも感じます。
別れをイメージすれば、「沈黙の歌」の意味も「別れの前の気まずさ」のように聞こえてくるかもしれません。
ドラマと関係付けて見ると、「言葉は通じないけどその想いが伝わってくれていたらいいな」と母が子へ伝えたい想いのようにも捉えられます。
1番サビ
このサビの「ダーリンダーリン」という歌詞は、「メロディがそう歌ってくれって言ったから歌っただけ。浮かんだ後で恥ずかしくて躊躇したが、しょうがない。俺のせいじゃないから。」とコメントをされているそうです。
カッコよすぎませんかね。
メロディにこう歌えって言われたって…ミュージシャンなら一度は言ってみたい一言ですw
一人称が僕なので「ダーリン」という言葉に違和感を覚える人もいるかもしれませんけど、英語圏では男女問わず使われることが多いみたいです。
そしてこの部分は後に出てくる「半信半疑」「カレンダーに」「泣いたり」で韻を踏んでいます。
ミスチルといえば歌詞の韻踏みで有名ですし、わかりやすい押韻ですが、「ダーリンダーリン」を繰り返して印象付けることもできるのに、あえて別で韻を踏んでより良い歌詞にするという桜井さんの作詞能力の高さよ。
一緒に過ごしていると、否応なく相手の様々な面が見えてきます。
いい面だけじゃないけど、どんな君も素晴らしいと思えて、愛していると思い知らされる。
「僕」の「君」に対する想いの大きさを感じさせます。
そして、そんな君が示そうとしているのが、「半信半疑=傷つかない為の予防線」。
「半信半疑」は文字の通り、信じたい気持ちと疑わしく思う気持ちが心中で微妙に揺れ動いている様子で、それを「傷つかないための予防線」と書いています。
信じ切っている人に裏切られたらそのダメージは計り知れません。
しかし、半分疑っている状態を残しておけば、そうなったときに傷つかないで済む。
こういう恐怖から身を守ろうとする危機管理のような装置は古の時代からの積み重ねで人間に備わった能力だそうですが、多くの人が「もしかしたらこうなるかもしれない」という未来のリスクを考えた思考を持っていることだろうと思います。
「君」がどんな状況で何に対して半信半疑なのかはわかりませんけど、ほんの些細で微妙な変化を見逃さず、「君」の言動から「僕」は感じ取っているんでしょう。
恋愛において相手を信じられない状況というのはマイナスに働くことが多かったりします。
別れの歌と考えると、「君」にとっては気持ちが離れていることを示唆しているとも取れる部分です。
ですが、この半信半疑の状態は裏を返せば、「期待の現れ」です。
何も期待していなければ傷つくこともありませんし、「あなたにはこうあってほしい」という期待を持っているからこそ、それが裏切られて傷つきたくないという感情が生まれるはずです。
そして、その前の歌詞にもあるように「半信半疑」な君すらも愛しく想っているというのが、「僕」の気持ちなのでしょう。
2番A~Bメロ
夫婦は顔が似てくるという話がありますけど、元々似ていたから一緒になったのか、それとも過ごす時間が長くなって似てきたのか、どちらもあるかもしれません。
少なくとも近くにいる人の影響は色濃く受けるものなので、似てくる部分は少なからずありそうです。
冷やかされているようですが、「僕」はそれを嬉しく思っているように受け取れます。
その次には、自分自身が以前は真面目ではなかったと取れる文章が出てきます。
「軽はずみだった自分」が「君」と出会う以前のことを指してると思われますけど、その頃は相手と真面目に向き合わない自分だったということになるということです。
でも、君と出会ったことで考え方が変わっていったのでしょう。
そして、そんな風にいくら真面目に頭の中で君のことを考えていても、心の中の声は誰が聴くわけでもありません。
今では面倒くさいほど真面目なので、「重い」と受け取られかねませんが、言葉に出さなければそう思われることもない。
1番では君に届いてほしいという願望も見て取れた心の声。
ここでは届かなくてもいい。その方がいいんだと変化します。
「僕」の心の声だけでなく、「君」の心の声に対してもそう思っているのでしょう。
前半は1番と共通する表現が使ってありますが、2番では「思いだして苦しくなるんだ」というネガティブに捉えられそうな言葉遣いがされています。
苦しくなるのは、その人ともう会えないから?というイメージが湧きそうですよね。
ただ、一緒にいない時も思い出して苦しくなるほどに君のことを愛しているとも捉えられる絶妙な抽象度で、別れを示唆しているのかどうかが曖昧になっています。
そして、「カレンダー」で韻を踏んで、「記入」「記念日」「記憶」で「しるし(記し)」を紐付けるという高等技術が登場。
マジかよという感じですねw
恋愛では記念日を大事にする人が多いですが(勿論大切だと思います)、日常で見せてくれるようないろんな顔がどんな時でも思い出されて、僕の記憶を埋め尽くしていく。
そんな日々を君と過ごしていることが幸せなんだ、と感じているように思えます。
別れの歌と捉えて、それほど想っている君と会えなくなってしまったのだとしたら、この部分はとても切なく聴こえてきますね。
ラスサビ
最後はサビが三回繰り返される作りになっていますが、間奏後に演奏が落ち着いて、
歌・ピアノ・ベース・アコギ・ギター・ストリングス・ドラムとどんどん音が重なっていって盛り上がったところでブレイク(演奏ストップ)!
からの「ダーリンダーリン」で一斉にバンドイン!
というドラマチックなアレンジになっています。
そして、この間奏後のサビは非常に重要で「しるし」とは何かを物語っている部分です。
ドラマでは、子供ができてから泣いたり笑ったりの繰り返しでした。
恋人・家族・友達…主人公を取り巻く環境の中でそれぞれが色んな感情で揺れ動いていったんですね。
それは、僕たちが生きている日常も同じ。
人と人が関わり、そこに感情が生まれて、揺らぐ。
それこそが、「君」と「僕」がいた「しるし」であり、その中心には「愛」があるという証なのだと。
桜井さんは人間関係の中の心の「揺らぎ」の部分を大切にされています。
前回解説した「HANABI」では、常に動いていることで透き通っていく水のように、心も動いていれば澄んでいくと表現されていて、その考え方にも通じるものがあるのかなと感じました。
そして、最後のサビへ。
キーが1つ上がって感情を込めて歌われているので、よりグッと来る仕上がりになってます。
歌詞は1番と2番のサビを合わせたような作りになっていますけど、この部分にしか出てこない表現があります。
2番同様「共に生きれない」というワードで「別れ」にも取れる部分です。
ここの「どうせ」という言葉のチョイスに関して、桜井さんは「自己満足だけど巧く言えた」と自画自賛されています。
この歌は「相愛」「別れ」どちらでも取れるように書かれていると冒頭で書きましたが、「僕」の気持ちは一貫しているんですよね。
「僕」の心の声は届かないし、「君」の心の声もわからない。
半信半疑なのかもしれない。
でも「君」がどうあれ、「僕」は「君」を愛している。
だから、もし「共に生きれない日が来た」としても、「どうせ」愛してしまうんですね。
そんな狂おしいほどの想いを抱かせる「君」が「僕」の記憶を埋め尽くしている。
相思相愛の相手への気持ちでも、別れる人への気持ちでも、母から子への気持ちでも、その物語の中心には「愛」があることには変わりがありません。
冒頭で触れた桜井さんがこの曲に乗せた想いというのが、見事に表現された歌詞になっていますよね。
その中には、常人には思いつかないような表現方法がふんだんに盛り込まれていて、なおかつ多くの人が共感できるよう、計算されて作られているのには天晴れとしか言いようがありません。
まとめ
「14歳の母」主題歌の「しるし」の歌詞を、桜井さんのコメントを元に解釈してみました。
上で少し書きましたけど、文章は抽象的に書くことで何が言いたいかがぼやけてしまうこともあります。
でも、その中に具体的にイメージできるワードや出来事を入れてあるんですよね。
具体と抽象が絶妙に絡み合っているからこそ、リスナーそれぞれの状況に寄り添った解釈ができるような歌詞になっているのだと思います。
こんな芸当ができる人は作詞家の中でもほんの一握りじゃないでしょうか。
この歌をどんな風に捉えるかはこれを読んでいるあなた次第ですし、あなたの物語に合った解釈をすることが、桜井さんが望んでいることだと思います。
せっかく読んでもらえたので、この文章がその一助となるように願っています。
今回も勉強させてもらいました!ありがとうございました!
それでは!またお会いしましょう!
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