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おじさん(30代/会社員)が趣味で漫画を描き始めて、漫画家になって、連載を終えて。

古都かねると申します。
会社員をやりながら漫画を描いている二足の草鞋の漫画家で、コミックDAYSで「青とオレンジ」という漫画を連載しています(いました)。
会社の仕事の方は、グループ全体で3千人程の会社で、グローバルマーケティング部の部長を務めさせていただいております。

先日、最終話が無料公開となり、これでひとまず連載終了となりました。今は、電子版の単行本に向けて準備を進めているところです。

今回noteを書こうと思ったのは、

・なんで会社員やってて漫画家になったの!?
・34歳で漫画描き始めたってホント?
・会社員と漫画家って、どうやって両立してるの!?
・第1章が終わりって書いてるけど、第2章はあるの?
・打ち切りですか?
・全然、伏線を回収してねぇじゃねぇか!

等のお声を頂いたので、連載を終えたこのタイミングで色々とまとめようと思ったからです。

会社員だったおじさんが、趣味で漫画を描き始め、漫画家になり、連載を終え、今後の展望を語るストーリーです。

漫画家として輝かしい実績を残しているわけではありませんが、読んでもらえたら幸いです。

1.おじさんは馬鹿にされるのが怖かった

本格的に絵を描き始めたのは30歳なんですが、全く絵を描いたことがなかったわけではないんです。むしろ、幼少期は絵を描くのは大好きでした。しかし、徐々に絵を描かなくなってしまい、気がつけば社会人になっていました。30歳になって、20年ぶりくらいに絵を再開したきっかけは、話が長くなるので今回は割愛しますが、一言でいえば、会社の仕事だけでは自分のアイデンティティが保てなくなってしまい、何か自分を表現するものが必要だったのが、絵を再開した理由です。

絵を描き始めて4年くらい経ち、pixivで交流するようになった同年代の創作仲間に

「実は…漫画を描いてみたいってずっと思っているんだけど…まだ画力も足りないし…」

と思い切って相談したところ、

「画力関係ない!描き切ることが大事!とにかく1話描け!」
「ここに読んでくれる同年代の仲間が沢山いる!とにかく1話描け!!」
「誰も馬鹿にしない!だからとにかく1話描け!!!」

と背中を押されて、思い切って34歳で漫画を描き始めました。

「誰も馬鹿にしない」

この言葉が、本当に背中を押してくれたというか、突き飛ばしてくれたというか。
この時の仲間達には感謝しても仕切れないです。

僕が無知ゆえにいきなり長編を描き始めてしまい、「いきなり長編www」という冷笑はあったものの、pixivやニコニコ漫画やマンガハック等の投稿サイトで、時折寄せられる温かいコメントに励まされながら、2ヶ月〜3ヶ月に1話のペースで描き進めていました。

ちなみに、背中を押されて初めて描いた漫画がこちら。

背中を押されたとはいえ、よくこれをアップしたな。
当時は、「描けたー!!ついに漫画を描いたぞー!!」と思っていたんだから、当時の僕のマインドが怖い。

そして、コミックDays連載時がこちら。

流石に成長したな。(当社比)

すでにお気付きかと思いますが、コミックDAYSで連載させて頂いた『青とオレンジ』は、僕の初めて描いた漫画でもあります。
描き始めた当初はこんなレベルでも、発信し続けること、継続することって大事だなと、自分の原稿を比較して感じます。

2.会社員はハッシュタグに淡い夢を見る

転機が訪れたのは、36歳。
約2年間、描き続けていた『青とオレンジ』を、淡い期待半分、腕試し半分で、そっとコンテストに応募してみました。

コンテストに応募しようと思えたのは、応募方法が

『Pixivにアップしてある作品に
コンテスト参加のハッシュタグを付ける』

という、精神的なハードルが極めて低い応募方法だったからです。

編集部に原稿を持ち込む勇気なんぞ持ち合わせていませんでしたが、ハッシュタグというお手軽さにそそのかされて、佳作とか〇〇賞とかに引っかかったりして、ふへへ…

と、コンテストに応募してみました。

その結果…

グランドチャンピオンの7作品の一つに選ばれました。

身に余る光栄とはまさにこのことだと思います。

これは個人的な考察ですが、画力で言えば、連載を貰えるレベルの画力ではなかったと思います。
それでもグランドチャンピオンとして評価して頂けたのは、通常の持ち込みが、1話やネーム数話で判断されるのに対して、今回のコンテストは12話まで描いたものをまとめて審査してもらえたので、より深くストーリーを知ってもらえた結果かな、と思っています。

あと、運。

ちなみに、コンテストはPalcyというマンガアプリでの連載漫画募集でしたので、最初はこちらで連載を開始したのですが、その後、コミックDAYSに引越しをさせて頂きました。

3.おじさんになったから描けるストーリーがある

僕は

「何事も始めるのに遅すぎることはない」

という言葉に対しては

「主語がデカすぎるんだわ」

と思っているんですが、たしかに遅くから始めても結果が出せるものってあるんですよね。そのうちの一つが、漫画なんじゃないかな?と思っていたのですが、連載をいただけたことで、その考えがより強くなりました。

「漫画家は、経験したこと以外描けない」

という言葉にも象徴される通り(この言葉が正しいかどうかは別として)、人生経験や知識というのは、漫画を描く上で非常に重要だと思います。

そう考えると、重ねた年齢も漫画家以外の社会経験も、漫画を描く上で武器になるはずなんですよね。

僕は、高校や大学で経験したことを、反芻(はんすう)して、咀嚼(そしゃく)して、その時の感情や学びを言語化できるようになったのは、社会人でアラサーになった頃で、今のストーリーが頭に浮かんできたのも、ちょうどその時期です。

なので、若い頃に漫画家を目指していたとか、漫画家に密かに憧れを抱いているおじさんやお姉様がいたら、改めて、自らの人生経験や知識を振り返ってみて、そこから得られた喜怒哀楽を言語化してみてほしいなと思います。きっと、あなただけのストーリーがあるんじゃないかと思うんです。

若くして凄まじい才能を見せつける天才もいますし、正直そこに憧れたりしますけど、おじさんになったから、天才じゃないから、描けるものもあるし、それが共感を呼ぶこともあると思います。それが漫画特有の戦い方なような気もします。

4.「夢を叶えた」と言いたかった

実は、受賞の連絡を受けたときに最初に考えたのは、受賞を辞退するということでした。
なぜかというと、受賞の特典の一つが

『連載確約』

だったからです。

現在勤めている会社では、それなりに責任のあるポジションにいることもあり、会社を辞めるという選択肢はありませんでした。しかも数ヶ月前に双子が生まれたばかりでした。

「会社員の自分に、連載なんてできるはずもない」
「編集部に迷惑をかけてしまう」
「育児は夫婦でちゃんとやりたい」

その反面

「自分の力を試してみたい」
「もっと多くの人に読んでもらいたい」

という思いもあり、冷静と情熱の間で苦悩しておりました。
ちょうど実家を訪れる機会があったので、親にもこの話をしました。漫画を描いていたこと自体を伝えていなかったのでやたら驚いていましたが、その時の母の一言が、

「夢が叶ったじゃない」

でした。

「そうか。漫画家になったら、子供の頃の夢を叶えたことになるんだ…」
「あれ…夢叶えたって…、かっこよくない…?」

すぐに、実家の押し入れの奥から、幼稚園の卒業アルバムを引っ張り出しました。
そこには、こう書いてありました。

サッカー選手になりたい

適当すぎる幼少期が残念でならない。
僕はサッカー部に入ったことすらない。(バスケ部です)

でも、漫画家になりたいと、確実に言ったんです。
そして、「そっかぁ…他には?」と、結局は「お医者さん」とかに誘導されたんです。

そう考えたら、このチャンスを逃してはいけないと思いが強くなり、講談社さんと相談を重ね、すでに描き溜めてある原稿があるので、数ヶ月分の原稿ストックがある。連載を開始して追いつかれる前に、ストーリーの切りの良いところまでを第1章として原稿を進めて、最終話まで逃げ切る!
という作戦で連載をすることを決めました。

何歳になっても、カッコつけたいのである。

つまり実態は、会社員をやりながら、週刊連載で毎週20P近くを描き上げるようなスーパーマンではございません。アシスタントもいなかったので、ヒーヒー言いながら、ギリギリで描き切った感じです。

ちなみに、会社の仕事での拘束以外は、育児と家事は分担するというのは、僕自身が大切にしたい家族ルールだったので、あくまでも漫画執筆は僕の個人の時間(趣味の時間)を使うことにして、基本的には子供の寝かしつけが終わってから原稿作業をしていました。

5.そして兼業漫画家は連載を終えた

米中貿易摩擦やコロナウィルスなど、会社員の仕事の方が想定外の忙しさになったこともあり、本当に描き切れないのではないか…という焦りの中、なんとかここまで描き切った感じです。
最後の方は、深夜2時〜3時くらいまで描いて、朝8時半から会社で仕事をする日々でしたので、なかなかキツかった…

コミックDAYSでは24話が第1章の最終話となっていますが、元々の想定が24話だったかといえば、そうではないです。自分の原稿スピードと穴をあけずに第1章の最終話まで描き切るためには、24話に納めなければらなかったというのが正直なところです。

なので、一部の読者の方からは打ち切りですか?と聞かれていますが、強いていうのであれば、自らの作画ペース上、編集さんと相談してここで打ち切ることにした。と言ったほうが正しいと思います。

そのため、最後はやや駆け足になってしまったことは否めません。あと2話くらい追加していれば、もう少しまとまりがあり、納得のできる終わり方ができたのではないかと思っています。

また、コミックDAYSでの連載を終わらせるために、24話は最終回を意識した展開になってしまいました。本来のストーリー構想上では、まだまだ話が続いていく予定なので、あまり劇的な展開は考えていませんでした。未回収の伏線もある中、この終わり方になってしまったので打ち切り感も強く、終わり方に納得できない読者の方がいらっしゃるのも理解できます。

もちろん、コミックDAYSを牽引するほどに人気作になっていれば、長期休載ですとか、継続の方法をあれこれ模索することもできたと思いますので、ここは自分の力不足によるものが大きく、悔しいです。

6.自分も『青とオレンジ』も第2章へ

非常にきついスケジュールの中でしたが、商業連載できたことは大きな糧になりました。
連載することの大変さも身をもって体験できましたし、毎週、読者に楽しんでもらうために、1話、1話に見所を作っていく必要があることもわかりました。

編集さんから頂くアドバイスはいつも目から鱗でしたし、最後は知人に原稿を少し手伝って頂いたので、アシスタントさんへの依頼の仕方も勉強できました。

持ち込みもしたこともなければ、アシスタントもしたことがない、本当になんの知識もない中、編集さんに支えて頂き、連載ができたことは漫画家として大きな成長になったことは間違いありません。

ただ、これまでの実績や、僕の兼業漫画家という立場もあり、現在の編集部でのお仕事は、第1章までで終わりです。
なので、コミックDAYSでの連載は続きません。第2章がすぐに続くと思われている読者の皆様には、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

では、『青とオレンジ』はこれで終わってしまうのかというと、

第2章、描きます。

ただ、今までお世話になった編集部で第2章を描き、コミックDAYSでの連載になるわけではありませんので、つまり『青とオレンジ』に関しては、個人的に描き続けて、ちゃんと完結させようと思っています。それが、兼業漫画家だからこそ、突き通せるワガママだと思うのです。

その決意があったので、わざわざ、第1章はこれで終わりと書かせて頂きました。
あれは、

「どうであろうが、僕はこの漫画を完結させる」

という決意表明です。

僕にはこの漫画に込めたメッセージや想いがあって、第1章ではそれが描き切れていません。
ちゃんと完結させることで、魅力が伝わる作品もあると思うんです。自分の作品がそうだとは言い切れませんが、もともとストーリーのおしりから組み立てていった作品なので、きっと第2章はもっと面白くなると自分を信じて描いていきたいと思います。

更新はゆっくりになってしまうかもしれませんが、Twitter、pixiv、ニコニコ漫画、マンガハック等、あらゆる媒体を使って、発信していきたいと思っていますので、もう少し、兼業漫画家のワガママにお付き合いいただけると嬉しいです。

漫画家になるという夢は叶えました。
だから次の夢は、

「ちゃんと完結させた『青とオレンジ』の紙の単行本を出す」

で、頑張りたいと思います。

別の漫画のアイディアもあったりするので、これからも漫画業界とお付き合いできたらいいなーと思っていますし、原作者として活動するなんてアイディアも頂いたりしています。最近Clubhouseで漫画家の方々と交流させていただけるようになり、モチベーションが上がる一方です。

古都かねると『青とオレンジ』の第2章は、5月の単行本発売後にスタート予定です。

まだ、『青とオレンジ』を読んでいない方は、是非、3月発売の電子版単行本を買っていただけたら嬉しいです!

ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
「漫画家なんだから、これを漫画で描けよ」という声が聞こえてきますが、スピード重視でnoteにしたので、許して下さい。

これからも、兼業漫画家 古都かねるをよろしくお願いします。

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